以前、清水ミチコさんの対談集を読んでいたら光浦さんとの対談が面白くて、いつかエッセイを読みたいと思っていました。

 

 

 本書。

 光浦さんがカナダ留学を準備していたもののコロナ禍でとん挫したというのは、もはや知られていると思いますが、そのために「時間ができて」、出来上がったエッセイ集のだそうです。

 

 

 以下、気になったところをランダムに。

 

 

 別の本にも書かれていた光浦さんにとっての「女性の語り」について。

女の人はお喋りです。でも男の人のような、深く深く掘り下げてゆきたいわけじゃないんです。横にスライドしてゆくトークが得意です。感覚で話ができます。だから手を動かしながらお喋りをすることができます。ただ聞いてほしいだけ、そんな話は山ほどあります。オチなんかありません(p65)

 

 「横にスライドしていく」というのが、なるほどなあという感じです。

 

 私がいつも感嘆(?)するのが、女性が「ながら話し」ができることです。

 

 時代劇なんかでも、数人の女性が針仕事をしながら話しているシーンが出てきますが、男があのくらい細かいことをすると、たぶん黙々と仕事をしてしまうと思うんです。

 昔の洗濯(洗濯板にたたきつける、こするを繰り返す、あれ)のような比較的神経を使わない(使わなそうな)ものなら男でもできそうですが。

 

 あと、

胸のところに留めておいたら、嫌な形に化けてしまいそうなモノを早く吐き出したいんです(略)一緒に笑い飛ばしてほしいんです。笑い声が成仏させてくれます(同)

大切なモノは胸に留めて、ちゃんと育てて、いつか話すかもしれません(同)

 なるほど。

 話す内容の優先度、深刻さにメリハリがあるわけですね。

 隣で聞いているとわかんないんだよなあ。

 

 おそらく、男が話す時は光浦さんのいう「嫌な形」にすでになっていて、だから「どうすればいいか」という方向に進む。

 でも女性はその前のまだ笑える段階で話して(放して)しまい、「成仏」させるのですね。

 

 そういうことはもっと前に教えてほしかったです(私が鈍感なだけ)。

 というか嫌な形になる前のタイミングを教えてほしいです(だから鈍感なだけ)。

 

 

 

 光浦さんの本に対する感情は大変に共感。

 なかなか本を捨てられない問題(p159-161)。

 積読しても「いつか読むだろうなあ」と思ってしまう。

 

 でも私は、本当に「読む機会がとうとうきた」ことがありました。

 ある本を高校時代に買って、読まず(読めず)に捨てないでいたら、この年齢になって必要になりました。

 とはいえ、最近は「あと30年くらいしか生きられないし、これ絶対読まないなあ」という本を捨て始めていますが。

 

 

 

 仕事の内容は全く違っても、仕事の悩みは共通。

若手が出できて、「あれ?その役、今まで私がやっていたよね?」とか「あれ?その立ち位置、私が編み出したやつだよね?」ってものまであって。なになに、私はところてんですか?押し出されてペチャッですか?(略)年齢が上がれば、仕事内容も変わっていきます

私は新しいものを開拓するより、失ってゆくことばかりにフォーカスしていました(p94)

 わかるなあ。

 年齢と共に変化する仕事内容に戸惑ったり、できなくなることに気づいて罪悪感を抱いたり、どうやってもうまくいかないことを諦めきれずに器用な若手に嫉妬したり。

 本当はこの年齢で「できるようになった」「うまくなった」何かがあるはずなのに、そもそもそういう発想がない。

 よしんばあったとして、「この年齢でできるようになったことなんて、どうせつまんないことだ」などと僻んでしまう。

 

 どうすればいいのでしょう・・・・あ、こういうことを人に話して「成仏」させるのか。

 でも、こういう類のことは男同士で話さない(話せない)。

 (以下の記事後半に理由を書きました)

 

 

 本書後半で、光浦さんが清水ミチコさんにあることを相談なさっていて、清水さんのお返事に救われました。

光浦さん、潔癖すぎるよ。なんだって100点なんかないよ。60点だよ。60点いったら、それはもう満点なんだよ。手放しで喜んでいいんだよ(p187)。

 マッサージについての話ですけど。

 

 

 

 私は自分の姉妹を見ていて感じていた、思春期女子の人間関係の面倒さ(p164-166)。

小学校高学年のザ・女子の世界、 1,グループのメンバーはいつも一緒にいなきゃいけない 2,グループの結束のために定期的に誰か一人を無視する 3,ボスの言うことは絶対 (p134)

 この関係性、女性のメンタルを<鍛える>一方で、確実に何かしら<傷を負わせている>ことはないのでしょうか。

 

 

 光浦さんにとって「タレントさんに大事」なこと。

 会う人全てに「この人と一緒にいたい」と思わせる力で、「言葉選びの面白さ」なんかではない。

 

 なるほどと唸りました。

 「話が面白ーい」「ウけるー」も大事なのでしょうが、そういった要素も「この人と一緒にいたい」に含まれます(しかも、おそらくほんの一部)。

 私だと「人望」とか、熟語でしか表現できない。

 うまいなあ。

 

 しかし、「この人と一緒にいたい」・・・・もう愛情表現ではないですか。

 

 ちなみに、光浦さん的にはそのような方がお二人いらっしゃるそうです。

 お一人は、うん、そうだろうなあと私も思ったのですが、もうおひとかたは、ええ!と驚きました(p169)。


 

 
 

 光浦さんの、いくつになっても持て余し気味な自意識、どうしても得られない自己肯定感、「世間」と折り合いがつかない厄介な価値観、これらに共感し、そして光浦さんがこれらにどう対処したか(または放っておいたか)、参考になりました。

 

 光浦さんにおかれましては、ぜひご自愛いただき、長くご活躍していただきたいです。

 

 

 

  

 

 

光浦靖子「50歳になりまして」

文芸春秋

1350円+税

ISBN 978-4-16-391378-0