ヴォルテールの本を読んだ時に出てきたシャトレ夫人。
プルーストの作品でも、シレー城のことが出てきました。
評伝があったら読みたいと思っていたら、本屋パトロール中に偶然にも確保。
やはり本屋定期巡回はかかせません。
評伝といっても物語形式ですので厳密さはないのですが、その分、肩ひじはらずに読めます。
シャトレ侯爵夫人の肖像 お綺麗な方です
さて、シャトレ夫人の住んでいたシレー城。
パリから250km・・・といってもピンとこないのでGoogle mapさんで調べると、東京から直線距離で名古屋、または新潟(の南の柏崎)、あるいは福島あたり。
実際にはパリとストラスブールのちょうど中間あたりです。
ちなみに北東にメッツがあり(Google Mapさんではメッスという記載でした)、軍事マニアならご存知、パットン第三軍が初めてフランス国境に到達した、しかし進軍が早すぎて補給が間に合わず苦戦したメッツ攻防戦があったところですね(って、大半の方は何のことだか分かりませんかね・・・)。
シャトレ夫人はパリの貴族出身で、正式な名前(旧姓)はガブリエル=エミリ・ド・ブルトゥイユです。
1706年生まれ。
ということは、いわゆる革命貴族ではない、本物の貴族。
幼いころから数学好きで、10歳にはラテン語の詩をそらんじるようになり、ミルトンの失楽園などを読みふけっていた(p38-40)。
15歳になると古代ローマの詩を翻訳するなど(p41)、大変な才媛です。
エミリにとって幸運だったのが、彼女の父親が「女に学問はいらねえ!」などというバカ親父ではなかったこと。
彼女の父親は彼女の学問好きをむしろ評価し、その能力も含めて大変に娘を愛していたようです。
やっぱり、娘にとっての父親って大事ですね。
ところで、辻先生によれば、エミリが生きた18世紀は「科学の時代」であると同時に「女性の時代」だった(p44)。
というのも、サロン文化がもっとも花開いた時代だったから。
サロンで芸術から政治、科学と様々な話題が取りあげられ、これらの議論ができる学識がなければ会話に参加できなかった(p46-47)。
いわば「非公式な学術機関」としてサロンは機能していたのだそうです(p50)。
さて、エミリは18歳の時、11歳年上で軍人のフロラン=クロード・ド・シャトレ侯爵と結婚します(p67)。
またも彼女にとって幸いだったのが、シャトレさんが妻の知性を高く評価するような男性だった点です(p67-68)。
シャトレ自身はあまり教養はなかったらしいのですが、自分の妻のことを誇りに思っていたようです。
器の広い男です。
男たるもの、こうありたいものですね・・・・・。
本格的に社交生活を送るようになったエミリ。
物静かな文系(理系)女性かと思うと、実は恋多き女性だった(タイトルの「火の女」は情熱的だったという意味です)。
とはいえ、ただ「遊んでいた」わけではない。
当時のサロン活動は、夫の軍隊生活を支えることでもあったのだそうです(p71)。
軍人さんはほとんど自国にいないので、社交界、特に宮廷の人事や人間関係の噂などの情報に疎くなる。
これは昇進や猟官活動に直結します。
なので、社交界での妻の言動は、夫の仕事に大変に重要だった。
そして、エミリはうまく立ち回ったようです。
エミリが、ちょっとどうかと思うような女たらしの男性と恋愛して捨てられ、憔悴しきっていた時に現れたのがヴォルテール(p92)。
ヴォルテールはすでに有名人で、発禁処分になるような政治的著作の出版で英国に一時亡命し、帰国したところで二人は出会った(厳密には再会ですが、その辺は本書をどうぞ)。
当時、デカルトの渦動説とニュートンの万有引力のどちらが正しいかが、フランス国内で議論されていた(p103-109)のだそうですが、二人は議論がかみ合うことで意気投合。
ヴォルテールはシレー城に入り浸りとなる(p98)。
後に「哲学書簡」で英国を範としてフランス批判をするヴォルテールですから、当然(?)、ニュートン派。
また数学を理解していたエミリも、哲学的なデカルトの議論よりもニュートン説に惹かれたようです。
こうして、二人の共同の学究生活が始まる。
エミリは「火は物質か」というテーマの論文を世に出したり(p157-158)、450ぺージもの物理の本を出版する(p164)。
そしてニュートンの「プリンピキア」の仏語訳に着手します(p171-172)。
それもただの翻訳ではない。
ニュートンの定理などを自分で計算しなおして、微積分の解説も付け加えた形での出版。
なにしろ当時最先端の学問である微積分を十分に理解してる人なんぞ少数しかいなかった訳で、しっかりとした解説を含めての翻訳だった(!p172)。
すごいです。
ラテン語のみならず、数学、物理の知識も十分にあったということです。
ところがプロイセンから召喚があり、ヴォルテールはシレー城を出てしまう(p174-175)。
以前、ご紹介した本がこのあたりの経緯を描いておりました。
エミリはヴォルテールはプロイセンに行ってもうまくいかないだろうと考え、また自身も寂しくなるために、プロイセン行きを諦めさせようとしていたようです(p176-180)。
しかし、ヴォルテーヌ。
ちっとはじっとしてろよと思ったりするのですが、寅さんみたいな人だったのでしょうか。
突然、ぶらっと帰ってきて、近所の勤労青年たちに「おう、青年諸君、今日も労働しているか!」とか声かけて、大体本人を最初にみつける隣の社長・・・いえ、王様に「お!ヴォルテーヌじゃねえか。おーい、みんな、ヴォルがけえってきたぞー」とか言われて、「おう、タコ!今日も相変わらずバカか!」なんて返事をするとタコ社長・・・・いえ、王様が「なにおー!」とか喧嘩になりかかっているところに、ばたばたとやって来たさくらと博・・・いえ、エミリとその夫に「お兄ちゃん!」「兄さん!」・・・じゃない「ヴォルテーヌ!」とか言われたりして・・・・って、もうやめます。
えー、寅さんの映画、結構好きなんですよね。
‥‥話を戻して、ヴォルテーヌはシレー城に戻り、ほどなく二人はリュネヴィル領にいたスタニスラフ王という、なんかそういう指揮者いたよなあ、ポーランド出身だったよなあという王様(実際、この人もポーランド王からロレーヌ公になった)の宮廷に呼ばれて、学究生活を続けます(p214)。
ところが、エミリ。
またもちょっとどうかという女たらしの貴族と恋愛関係に。
根が学問少女(女性)なので男を見る目がないのでしょうか?(← それは言い過ぎ)
で、40歳を過ぎて身重になり(p238)、男は当然、遁走。
周囲の尽力でシャトレさんを数日里帰りさせて「シャトレさんの子ども」というていに出来るようにして妊娠を報告。
シャトレさん、大喜びで軍隊に復帰(p240 可哀そうな旦那さん・・・・)。
そして、43歳で出産。今でも高齢出産です。
このハイ・リスク出産でエミリは体調を崩し、そのまま生涯をとじてしまいます。
ヴォルテーヌ、倒れこんで悲しんでいたのだそうです(p247-248)。
なんというか、男を見る目って大事ですよね・・
私も子供たちに「勉強とかいいから、男(女性)を見る目を養っておけ!なぜなら、パパは・・(以下略)」と日々申しております。
・・・・話をまた戻しますが、18世紀にこんなにとんでもない女性がいたのですね。
というか、もしも今の日本にこのような女性がいたとして、活躍の場があるのだろうかと考えると、ちょっと複雑な気持ちになります。
本書でもっとも私が惹かれた絵:ヴォルテールとシャトレ夫人が仲睦まじく研究しているところ
最後に本書で面白かったこと。
夫人と関係ないのですが、翻訳の効用です。
もし原文を読めるのであればそのまま読めばいい。しかし、当時の知識人が翻訳活動をしたのはなぜか。
それは「作品をよく理解するため」(p58)。
あるいはルソーは文体練習、ギボンはフランス語とラテン語の勉強になるために翻訳をしていたのだそうです(同)。
なるほど!
あるエライ分析家の先生が、論文が書けなくなって、フロイトの翻訳をしていたら、彼の思路が理解できるようになり、ご自分の研究が進み始めたという主旨のことをおっしゃっていました。
まさに18世紀の知識人的振る舞いをなさっていたのだなあと深く納得です。
またも意外な本から、意外な学びがありました。
読書って、ホントにいいですよねー。
辻由美「火の女 シャトレ侯爵夫人 18世紀フランス、希代の科学者の生涯」
2400円+税
新評社
ISBN 4-7948-0639-6