第五編を読みかけたのですが、思い直して順番に読むことに変更。
途中までしんどかったのですが、やはり面白かった!
本作はあらすじを紹介しても全く意味がないので、以下、ざっくりと。
とはいえ元が長いので、本ブログも長くなり、二つに分けました。
Ⅰ部。
コンブレ―からパリに引っ越した「私」。
プルーストお得意の<名と実体のズレ>の話の後(これ本作の伏線ではないかと。Ⅰp13-14)、20世紀初頭のオペラ劇場の雰囲気が描かれます(Ⅰp81-134)。
まだオペラ座が華やかだった時代。
オペラ好きの方は堪能できると思います。
その後はプルーストの芸術論(今度は演劇論)(Ⅰp105-119)。
さて、語り手の「私」、成長しています。
彼が自身の観念の中の女性よりも、実際の女性を見て感嘆する(! Ⅰp112-115)。
自分の中の想像との「ずれ」さえも楽しんでいる。
で、本作では「私」の愛情の対象はあちこちに移る。
冒頭こそゲルマント夫人ですが(Ⅰp146)、これは第一編の伏線回収なので、本編全体を通じて「私」がいよいよ退廃上流文化の仲間入りを果たしたということでしょうか。
というか、女性より気になる登場人物が。
第二編から登場したサン・ルー侯爵です。
彼と「私」の交流シーンが大変に微笑ましい。
恐る恐る「あなた(Vous)のことを君(Tu)と呼んでいいかな」と言った後に、不器用にVousとTuが混じっちゃったり。
「君のことが好きでたまらないよ」とか「好きでありがとう」とか、お互いに言っちゃったり・・・(Ⅰp162-179、232、289)。
・・・・えー、BL好きの方、ぜひどうぞ!
Ⅰ部前半で、個人的に面白かったのがサン・ルーの戦争講釈です(p251-269)。
ずっとナポレオン戦争の話をしている。
つまり、機動戦についてですね。
何でもしっかり調べるプルーストの几帳面な性格からして、当時のフランス軍の考え方の主流は実際にこうだったのかもしれません。
ナポレオンの軍隊の強さの一因は、歩兵の練度が高くて行軍速度が猛烈に速かったことだとされています。
まず、いかに敵よりも速く戦場に着けるか。
そうすることで、実際に地形を見て作戦を先に立てる余裕ができ、兵士たちも休ませられる。
そして開戦後は、敵の背後にまわり込む運動を混乱せずにできるか(歩兵の行軍が乱れないこと、敵正面から突撃することもある騎馬隊に勇猛さがあること、援護する砲兵は射撃の正確さを持っていることなど)が、勝敗のカギでした。
いずれも栄光のグラン・ダルメGrande Armeeは欧州随一だった(途中までだけど)。
うーん、なるほど。
どうりで第一次世界大戦で万里の長城みたいな塹壕ができちゃったわけです・・・・。
敵に背後を取られないように、かつ総動員で人数はやたら多いので、隊列が無茶苦茶伸びた、みたいな感じなのでしょうかね。
文学でフランス軍の軍事思想的欠点を学べるとは!
要は直前の戦争(=普仏戦争)の反省・研究をしない。
おお・・・・どこかの国も先の戦争で同じ過ちを・・・・。
ちなみに第二次世界大戦でもフランスは同じ過ちをおかしています。
でっかい要塞まであるマジノ線という超長い<一種の塹壕>を作ったけど、戦車主体の機動戦に先祖帰りしていた独軍にあっという間に背後取られて・・・って、すいません、当方、軍事オタクなので・・・。
・・・で、話を戻します。
面白いことに「私」が抜け出しつつある陥穽に、サン・ルーがはまりこんでいる。
彼も実際の愛人ではなく、「幻」、「はっきり記憶に残っていない」ものに欲望すると描かれています(Ⅰp417)。
で、スワンさんや「私」のように強烈な嫉妬にさいなまれる(Ⅰp277-278,p282,p382,p387-389,p407-414)。
ただスワン氏や「私」と違うのが、嫉妬が唐突な暴力に結びつく点です(Ⅰp414-415、p418)。
しかも、暴力の相手が嫉妬している相手とずれていて、なんだか不気味です。
サディズムに関するプルーストの見解も、突然、出てくるし(Ⅰp398)。
ところでサン・ルーとその愛人、そして「私」との意外な関係。
このくだり、何回、思い返してもいたたまれない(Ⅰp361-362)。
初見では、ショックで本を閉じました。
さて、高遠版はⅠ部の真ん中で2冊目になります(高Ⅱとします。Ⅱ部は第一章、第二章に分けられていてⅠ部と構成が違います)。
で、Ⅱ部第二章から3冊目になるらしい。でも、まだ発売されていない・・・。
光文社版、第三編は3分冊だったのですね、購入してからわかりました。
しまった・・・・。
気を取り直して、Ⅰ部中盤(高遠版Ⅱ)。
いよいよサロンの場面です。
帯には「物語屈指の名場面」とある。
期待でいっぱいです。
で・・・・約200頁、スノッブな会話が延々と続く・・・・・。
当意即妙なやりとり(高Ⅱp78)、下品すれすれな嫌味(高Ⅱp136-137、223-224)、ガン無視されおろおろするブルジョア達(シャルリュス男爵の態度! 高Ⅱp84、230-232)、ドレフェス事件の噂話での露骨なユダヤ人差別(当時のユダヤ人差別描写、たとえばレストランの出入り口が不文律として違うとか、驚きです。高Ⅱp176-192、あと鈴Ⅱp168-169でも)。
・・・・おやおや?
・・・・ちょっと退屈?・・・・
すいません、私はここのくだり、苦痛でした・・・
とはいえ、私的に面白かったのが「サロンのバカ」という概念を具体的に理解できたことです。
これは、知的問題はないけど自分の能力にあわない場所で馬脚を現してしまう現象のこと。
で、ゲルマント公爵がそういう人なんです(高Ⅱp152-156)。
気取った引用をするけど、ことごとく間違っている。
ここは笑えました。
サロンから戻った「私」は、おばあちゃんの具合が良くないことに気付く。
どんどん体調が悪化(高Ⅱp331-332)。
ああ、もしや・・・・・でも、中途半端で読み終わりたくない!
Ⅱ部第一章。
やっぱり、おばあちゃん、亡くなります(高Ⅱp334-406)。
この箇所、唸りました。
プルースト特有の行ったり来たりの文章で分かりにくいのですが、死の間際の病人の描写の緻密さです。
痩せや表情を失うことで、<私たちが知っているおばあちゃん>でなくなってしまうこと。
意識がもうろうとして、様子や言動が動揺すること。
脱水で変化する皮膚の質感。
それらが、ものすごくリアルに描かれます。
最後の一文は泣かせます。
さて、高遠版で読んだ範囲で面白かったこと。
「私」にとっての睡眠、夢の意味です。
眠ることは「美しい」「生活を囲い込むもの」(高Ⅰp190-191)で、「私たちの生きる現実の世界から脱出」できる時間である(高Ⅰp194)。
昼間やっておくべきことを「夢の中で(略)現実と別の道を辿って(略)成し遂げることがある」。
目を閉じたものの眠れず、また目を開くと、「少し前の時間」(=うとうとした時間ですね)が「論理の法則」や「現在の時間の明証性とは明らかに矛盾した論理によって(略)重苦しい時間」になっていたことに気が付いて、ほっとする。
確かにうとうとしている時って、夢のような考えのような曖昧さがあって、その内容もちょっと嫌なものが多くないですか?
そして、「ドアが開いている」(=眠れそうな)中で、やっと「ドアを通って(略)現実の知覚世界から逃げて(略)現実から離れたところへ休息しにゆく」ことができる(高Ⅰp194)。
どんだけ現実が辛いと思っていたのでしょう、プルースト。
夢については第二編と同じく、「私」が見た夢の内容を考えて自身の内面を理解するシーンが出てきて、私の仕事的にも面白かったです(高Ⅰp333-334)。
もう一つ、自我と絡めて。
夢(眠り)から目覚めると「どうして以前の人格と(略)別の人格ではないのだろうか」。
「何が選択を指示するのか(略)他の人間になれるかもしれないというのに、前日の自分をうまくつかみ取る」のが「なぜだかわからない」
(高Ⅰp199)。
「この私」がずっと「この私」であり続ける必要性は無いといえば無い。
たぶん、ワンちゃんも「わたしは昨日のわたしと同じだもんねー」と特別に意識せず、この瞬間を、記憶を参照しつつ、一生懸命に生きている(のでしょう、たぶん。犬になったことがないからわかんないけど)。
でも、なぜか人間だけが<そういうことになっている>。
面白いこと考えるなあ、プルースト。
ここから先は鈴木道彦訳のⅡ部を購入して再開です。
鈴木版ではp70までがⅡ第一章ですが、読み比べると、高遠版は意味がよく分かる。でも時に読みにくい箇所があって読み返すことがある。
一方、鈴木版はするする読めるけど、時々意味が理解しづらい(読み返すほどではない)ことがある。
何が違うのでしょうか?
ちなみに岩波文庫と、光文社、集英社の私にとっての大きな違いは、文章よりはフォントの差。
光文社も集英社も、ちょっと丸みのあるわずかに太目の明朝体で、しかも字の間隔が空いている(気がします)。
うーん、文章表現の差を論じるほどの能力は私には無いので、どなたかのブログに指摘があるでしょうから、検索して読んでみることにします。
しかし、「名場面」とされるサロンのシーン・・・・・
なんだかしんどかったなあ・・・・
・・・・・と、ところが!!!(つづく)
プルースト「失われた時を求めて 第三編 ゲルマントのほうⅠ」 高遠弘美訳
1260円+税
光文社古典新訳文庫
ISBN 978-4-334-75345-0
「同 ゲルマントのほうⅡ」 高遠弘美訳
1260円+税
光文社古典新訳文庫
ISBN 978-4-334-75381-8
Proust M: A La Recherche du Temps Perdu. Le Cote de Guermantes. 1920