私が大好きな横光の盟友だった川端康成先生、まともに読んだのは「眠れる美女」だけなので古書で入手。
「古都」
冒頭から、私は違和感を抱いてしまいました。
もみじの樹にすみれが咲いている。
「上のすみれと下のすみれとは、会うことがあるのかしら」
「こんなところに生まれて、生き続けていく・・・・」(p6)
20歳と思われる主人公千重子さんの独白。
この台詞、思春期の夢見がちな乙女(という名の男が作り上げた幻想)の独り言つにしか思えない。
「生き続けていく・・・・」も含めて。
ほかにも、千重子さん、ことあるごとに顔を赤らめる。
とにかく姉妹のいる私には「幻想としての女性」という印象です。
全体に柔らかな京ことばで物語は進み、しかも地の文もほとんど硬い表現がない。
ところが、お父さんが(なぜか)わざわざ尼寺にこもって帯の図柄の下絵を作っている時に、知人の息子にそれを見せると「あったかい心の調和がない」(p63)と言われる。
「調和」などという生硬な言葉が、突然、出てくる。
しかも、この台詞、物語の展開にほぼ絡まない。
お父さんの行動も、私にはよく理解できませんでした。
千重子さんがある人物と会話していて、唐突に口走る「心にひそんだ厭世やないの?」(p153)。
<心にひそんだ厭世>・・・
ここでの対話も、何がどう嫌いなのか、人物の言動では描かれず、文脈からも、私は理解できない。
また、この台詞も物語全体の展開と関係ないように思います。
そもそも登場人物に、感情移入するのが難しい。
たとえば、p113で大変な事実が判明しても、千重子さんはほとんど動揺しません。
素朴そうなある登場人物は実は計算高そうだったり(p186)、織屋さんの息子の真意も、私にはよく分かりませんでした。
分かりやすいほど分かるのは、出てくる男という男が、あまねく千重子さんに惚れること。
それを千重子さんは分かっている時もあるらしいけど、ほとんど分かっていないらしい(?)。
自分の美しさを自覚していない美人って、男の大好物な幻想です。
同じ新感覚派の横光も心理描写をしません。
でも彼の小説の登場人物たちは、どんなに短い物語でも、その言動から、依存心、悲しみ、怒り、嫉妬などが、しっかり伝わってくるように描かれています。
私が誤読しているに違いありません。
あるいは、ひょっとして主人公は京都なのか?
時代と共に失われていく文物があり、京都が観光地化していく描写が後半に急に増えますし(p129、166、170、174)。
それに京都の四季とその風土を描いたと評されているらしい(解説p246)。
川端の名作といえば「古都」というある評を信じて読み始めて結果が上記だったので、「雪国」をすっ飛ばして、若書きの方へ。
「伊豆の踊り子」。
私世代なら山口百恵さん。下なら後藤真希さんで映像化されてきた。
今更読むのも恥ずかしい・・・と思ったら、寓話的で面白かったです。
冒頭に主人公が出逢う老夫婦のおじいさん、「到底生物と思えない山の怪奇」(p10)。
最後に主人公は子供3人(赤ちゃんから5歳)を、別の老夫婦から託される(p39)。
つまり「私」は、天城峠で人間と思えない風貌の老人 → 生命力あふれまだ性的存在ではない少女 → 乳幼児と、出会っていく。
<再生>の物語でしょうか。
意外だったのが、踊り子さん、設定では14歳なんですね。
しかも彼女の自意識としては思春期前で、露天温泉から真っ裸なまま主人公に手を振りにくるという無邪気なシーンがあります(p19)。
同時収載の初期短編。
これが本当に面白かった。
「温泉宿」
うらぶれた名もなき温泉宿で、春をひさぐことで生き抜いている女性たちの群像劇。
読後、言いようのない気持ちになって(女性の逞しさに感心するような、でもやっぱり侘しくなるような・・・)、私は好きです。
「抒情歌」
仏教(p100、105-106)、降霊術やスウェーデンボルグ(p101-105)、インドやギリシャ神話、キリスト教(p108-113)の説話が出てくるスノッブな印象がありますが、私は切なくて美しい話だと思いました。
「禽獣」
異様な設定の観念的小説。
人間嫌いな男がとんでもない種類の動物たちを飼育している。
「動物」を「おもちゃ」にし、「理想の鋳型」として「人工的に、畸形的に育てている方が、悲しい純潔であり、神のような爽やかさがある」から(p136)。
そして「もっと自由な傲慢を寂しみたい」から(p147)。
まるで江戸川乱歩。
彼は冒頭に白日夢を見ているのですが、ラストにその内容が明かされます。
白日夢に出てくるある女性を思い浮かべると、彼は<なぜか>「真夏の白日の眩しさ」に包まれ、その女性と再会した時に<なぜか>彼は身を隠そうとし、彼女の一連の思い出を考えて<なぜか>急に「何か甘いもの」を思い浮かべなければと慌てる。
彼の脳裏に浮かぶのは、ある少女の遺稿集の、最後に残された母親の句。
「抒情歌」と同じテーマで、かつ病理が深い。
解説は三島由紀夫の再掲(昭和25年執筆)。
三島は「抒情歌」を、川端を論ずる上で「重要な作品」とし、川端の「最も純粋な告白」「生命への嗜慾」が描かれていると述べています(解説p170)。
一方「禽獣」は、川端の「小説家(略として)の悲哀」、つまり「製作心理」が描かれているだろうと(解説p169)。
私は「抒情歌」を<死への嗜慾>、「禽獣」が<生があまりに眩しく、死んだようにしか生きられない者の寓話>と感じました。
ところで、彼の文章で、どうしても受けつけない点が。
女性の身体についての描写があまりにもフェティッシュすぎる。
「首の肌が白い色情に濡れてきた」(p63「温泉宿」ある女性が思春期を迎えたという文脈。ホントにただそれだけ)
「生白い肉の盛り上がった足だ」(p71「温泉宿」)
「ええ匂いがする。若いひとの匂いやな」(p131「古都」母親が娘に言う)
とはいえ、長編2作品、短編4作品だけを読んでの感想なので、誤解だらけだろうなあ・・・・。
川端康成「古都」
360円+税
新潮文庫
ISBN 4-10-100121-9
「伊豆の踊子」
362円+税
新潮文庫
ISBN 4-10-100102-2