新刊が出ると、とりあえず手に取る辛酸なめ子さんのエッセイ。

 今回も即購入。

 

 本ブログでは関東圏の方でないとわからない内容ですので、あしからず。

 本書では関西圏についても触れられております。

 

 

 私の高校は公立の共学で私服でした。

 ダッサい私服の私は、深い紺か黒の、ブレザーかセーラー服の、吉祥女子や立教女子の皆さんと通学中に一緒でした(曖昧なのはガン見できなかったから)

 バスの中の思春期男子率が異常な低値となる条件下で、自意識過剰だった当時の私は、即座に読書か英単語の暗記に意識を切り替えるという、今にも続く大変ありがたい習慣を身に着けました。

 窮すれば通ずとはよくいったものです(大げさ)。 

 

 

 ちなみに辛酸なめ子さんは四谷大塚に入って女子学院中学に入学なさったそうで、地頭のいい方なのだなと感嘆。

 ほぼ同世代なので当時の受験事情はわかりますが、四谷大塚に入ったというだけで尊敬してしまいます。

 本書にもありますが、四谷大塚に入るための塾(!)があったのですから。

 まま、受験事情はどうでもいいので、この話題はここまで。

 

 

 校風。

 私立は違いがはっきりしているのですね。

 空き缶が落ちていたら?

 拾ってごみ箱に入れるのは雙葉。

 読書に夢中で気がつかないのが桜陰。

 缶蹴りを始めるのが女子学院だそうです(p46)。

 

 桜陰エピソードで可笑しかったのが、入学直後で緊張して教室に入ったら「朝、クラスメイトは静かに本を読んでいて(略)緊張して自分も本を読んでしまった」(p194)。

 日本人の読書率をわずかでも引き上げているのは、桜陰出身の皆さんの貢献でしょうか。

 

 

 「女子校というとドロドロ」しているイメージがあるかもしれないが「そんなことはない」。

 なぜか。

 「男子をめぐった」闘いや「モテがヒエラルキー」にならないから(p64-65、p225-226)。

 女子しかいないので「個性的」だろうが「自己主張が強かろう」が、基本的に認めあえる余裕がある。

 なので、「皆仲が良い」「同性に敵対心がない」(p65、93-99、p101-102、p132-136、p149などなど・・・)

 これは女子校出身の方の特徴で、成人になってもそのような雰囲気があるそうです。

 

 あと、凄まじいお金持ち談義があるのですが、基本的に「みんなお金持ち」(のことが多い)ので、お金持ち自慢はかえってないのだそうです(p83-85)。

 基本的な雰囲気は「お金があるから何?」(p83)だそうな。

 

 本書では皮肉っぽく書かれていますが、敢えて真剣に考えると、要は基本的欲求が十分に満たされた方が多く(経済的余裕は<大事に育てられた>と等価かもしれません)、だからこそ「今以上を求める」という構えが「金を稼ぐ」「私だけ成功すればいい」といった方向に歪まずにいられるということでしょうか。

 ・・・・って、「皮肉」に真面目な感想を書いて、無粋ですいません。

 

 

 また、陰湿ないじめが(滅多に)なく、あるとすればガチの喧嘩(p148)。

 互いを認め合っているのと、精神的成長が早い女子だけの世界なのでしっかりと自己主張しあえるから。

 かえって、男子の見えないところで行われる、女子同士のいじめの方が「えげつない」そうです(p149)。

 なので、女性同士のトラブル回避術が鍛えられると(p150)。

 

 

 ただし副作用も。

 男女の仲に敏感で邪推しがちになる(p68)。

 自己主張がはっきりしているので、話したいことを一方的に話してしまう癖がつく(p69)。

 笑いのセンスが磨かれ、卒後に男との会話で困る(p77-79)。なぜなら「男性を笑わせてもモテにはつながらない」(p79)。

 

 そうです。男はナルシストなので「自分の話を笑って聞いてくれる人」を求めがちですから・・・・(遠い目)。

 

 

 

 雙葉で興味深い話が。

 宝塚的な時期が思春期女子の皆さんにはあるようで、先輩に疑似恋愛的に憧れる。

 雙葉では、先輩の靴紐をもらうのが共学の「第二ボタン」の代わりなのだそうです(p103-108)。

 もちろん洗濯するそうですが、中には香水をつけて後輩に渡した先輩もいたという・・・。

 

 私は、中学から大学まで、ほぼ男だけの陸上部に所属し、部室にはXX雑誌やXX漫画、たぶんかつては食べ物だったであろう何かが転がり、風化したジャージやスパイク・シューズが放置されていた環境だったので、別世界の話のようです。

 

 

 

 唸ったのが「できる子」は「質問に来ても要点だけ聞く」「できない子は一から全部教えて欲しがる」(p146)。

 やはり校風が絡み「桜陰に受かる子は余計なことを言わない(略)JG(注:女子学院)に受かる子は質問に来て余計な話をして帰る(略)雙葉タイプの子は、とことん面倒見られたがる」(p146)。

 

 

 

 最も性を意識し、かつその扱いが不器用な時期に、そのような問題から<保護>されて生活するのも一つの生き方ですね。

 自分を顧みてもそんな気がします。

 女子に関心がある癖にやせ我慢をして、キラキラ男子を遠巻きにし、「チッ、なに色気づいているんだよ」と圧倒的多数なモテない男同士でじゃれあっている雰囲気の方が楽だっただろうなあ・・・。

 共学はその点が中途半端でした。 

 

 

 あるお母さんの経験談。

 男子校に行った息子さん:「うるせー女がいない方がいい」

 女子校に行った娘さん:「ガキな男子がいない方がいい」(p154)

  

 同性しかいない人工的な環境ですが、「男としての」や「女としての」という余計な複合助詞がつかない<この私>をしっかりと作り上げることができる点で、女子校(男子校)はなかなかのものということになるでしょうか。

 

 

 結論

 「別学の6年間の方が圧倒的に楽しい」(p153)

 

 悪口を書きましたが、共学もそれはそれで楽しかったですよ(やせ我慢)。

 

 

 

 

辛酸なめ子「女子校礼賛」

860円+税

中公新書ラクレ

ISBN 978-4-12-150705-1