本作。予告編を見て映画館で観たいなあと思ったら、いつの間にか終わっていた一本。
レンタル屋さんで見つけてきて、さっそく借りてきました。
尺が長いだけあって重厚な作品でした。
余計な台詞が一切ない、静謐な映画です。
役者さんの演技、そして風景を観る、そんな映画でしょうか。
なんというか、いい意味でアメリカ映画っぽくない雰囲気でした。
私のお気に入りの一本になりそう(だけど・・・後述・・・)。
ネタバレにならないように書きます。
まず冒頭から、いきなりの急展開。
隣で見ていた子供たち、脱落。
子供1だけ、辛うじて残りました。
ざっくりとしたストーリー。
南北戦争も終わり、アメリカのフロントラインがニューメキシコまで到達している1892年が舞台。
おそらくアメリカ先住民たちはほぼ壊滅している。
前回、ご紹介した本、そのままの内容。
その最前線の何もない風景にぽつんと立つ野営地に、先住民たちが収容されている。
で、ある部族の酋長がガンで余命いくばくもない状態になった。
彼の強い希望で、酋長の家族ともども故郷に戻ることが許可される。
目的地はモンタナ。
GoogleMapさんによると、ニューメキシコの中心地からモンタナの中心地まで、1130マイル≒約1700kmで徒歩約370時間と出ました。
映画では馬で隊列は進むのですが徒歩の子どもがいるのでかなり遅く、確かに物語的に約10日くらいの話かなという印象です。
で、話を戻すと、家族には女性や子どももいるし、道中は危険なので(途中に闘争的なコマンチ族がいることになっているらしい)、護衛が必要。
調べると、当時のアメリカは東西両海岸から州に編入され、ちょうどやや西よりのニューメキシコからモンタナまでの南北一直線が挟まれるように取り残され、「準州」として、おそらくまだ治外法権的地域だったのかもしれません。
そういう意味でも確かに危険そうです。
その護衛隊の隊長に、主人公のクリスチャン・ベール演じる退役直前のヴェテラン軍人が選ばれる。
一方、時代はすでに人権派の人々が先住民の権利を主張しはじめており、新聞記者が彼に「殺しを愉しんだのではないか」などと皮肉を言うシーンがあったりします。
軍人の彼は命令に従っただけであり、同朋のために戦った。
そして、彼自身が先住民たちによって傷つき、さらに苦楽を共にした多くの友人たちが殺された。
彼にとっては「敵を殺すこと」は「It's my job」なのであり、そこに感情はない。
というか、なくなっている。
そうしなければ、彼の精神の均衡が保たれないのであろう、そのような緊張感が初登場シーンからみなぎっています。
また、彼にとって先住民はあくまで仇であって、「権利」どころではない。憎しみの対象でしかない。
とはいえ、(東部の?新聞に大々的に掲載されたこの「人道的」決断は上司の昇進と絡んでいるらしく)恫喝まがいの上司の命令で、しぶしぶこの任務を引き受けるが・・・・という話です。
で、クリスチャン・ベール。
とにかくカッコいい。
理想の男像です。
しかし、私はもう遅いな。
とにかく無駄口を一切、たたかない。
この受け入れ難い任務を、たとえば「途中で事故にあった」とか「コマンチ族に襲われて、酋長一家は殺された」とか、適当な嘘をついて酋長一家を殺して戻ってくることもできたでしょうが、彼は文句も言わすにまっとうすべく、責任をもって全力を尽くす。
酋長一家に対しての憎しみはほとんど表に出さない。
そして礼儀正しい。
ある家が先住民に襲撃されて丸焼けになっている。中に生き残りの方がいらっしゃる。
他の軍人さんたちは帽子をかぶったまま、壁があったであろうところを通り抜けて入るのですが、彼だけ「玄関」(といっても枠だけになっている)の焼け跡からそっと入り、声掛けしながら、きちんと帽子を脱いでいます。
それから野営地では、ずっと本を読んでいる。
頁のタイトルには「ユリウス・カエサル」としかないので、ガリア戦記なのか誰かによる伝記なのか分かりません。
冒頭シーンに本がちらっと映るのですが、この本、たぶんラテン語で書かれているのです。
名前はブロッカー中尉(大尉?すいません、忘れました。captainと言っていましたが・・)なので、すくなくともイタリア系ではないし、本もイタリア語ではないと思います。
つまり、きちんと教育を受けたか、あるいは独学だとすれば、そのような努力を惜しまなかった人です。
ちなみに、物語が本格的に動き始めるのは、「川を渡った」後からです。
そう、「ルビコン河を渡った」わけですね。
さて、寡黙というと、日本人の男は、ともすると俯きながら「・・・・自分・・・・不器用ですから・・・」とかになるじゃないですか(← 高倉健の映画を見過ぎ)。
これ、一見、「カッコいい」。
でもですね、こう言われちゃうと、「え、じゃあ、何? 私があなたの気持ちを察しないといけないわけですか?その言い訳で、こちらとコミュニケートしようとなさる努力は放棄して、こちらがむしろ努力しろと、そういうことですね。ああ、はい、はい、わかりましたよ」という返事しか、私には思い浮かびません。
要は甘えにしか聞こえないです。私の性格が悪いのでしょうけど。
あ、えーと、そういうお前はどうだと言われますと・・・・はい、もっと甘ったれです・・・・
すいません・・・・・
まま、だからこその、私にとっての理想の主人公です。
本当の意味において、ただただ寡黙です。
大声も出さない(敵などに対して叫ぶ以外で、あるシーンで少し大きな声を出しますが、あの一回だけではないかな)。
笑顔も一回もない(と思います)。
そして、淡々と行動する。
悲しそうに。
とにかくこの映画の主要人物は、ほぼ全員、メンタルをやられている。
理不尽なことが起き、あるいは必要に迫られ、あるいは立場的にやむを得ず、それぞれが行動し、その結果、深い傷を抱えて生きている。
ただ、ラストだけがつくづく残念。
酋長と主人公はどうなるのか?
ロザムンド・パイクさん演じる女性とは?
・・・てか、私が見る映画はなんでパイクさんばっかり出てくるんだ?
それはさておき、この映画、映像が美しい。
カメラマンさんは日本人か日系人さんのようです。
遠景が多く、また「本当にここはアメリカ?」という、観たことのない雰囲気になるように撮られています。
アメリカ人が大阪を撮ると「ここどこ?」になった「ブラック・レイン」のちょうど逆でしょうか。
さて、邦題原題問題。
私はこの邦題、なぜだかどうしても覚えられないのですが原題はシンプルです。
Hostiles
直訳すると「敵たち」です。
これ、普通にEnemiesでもいいですよね。
私の妄想では、Hostileが語源的に「主人」と「客」の二つの意味を持っていることと関係しているのかなと。
先住民からすれば後から来たヨーロッパ人は「客」だった。しかし、「敵」になってしまった。
ヨーロッパ人からすると、彼らは「客」のはずが自らを「主人」と称し、かつもともとの主人たちに対して「敵」になった。
見終わった子供1が、「アメリカってこういう国だったのかあ・・・」とぽつりとつぶやいたのが印象的でした。
次は「ウィンド・リバー」を見せようかな・・・・ちょっと刺激が強いかな・・・・
スコット・クーパー監督「荒野の誓い」 原題:Hostiles 2017年アメリカ公開、 2019年日本公開