ようやくヤスパースの片方、完読しました!

 

 

 誰も褒めてくれないから、自分で褒めます。

 よくやった!おれ!(← ただのバカ)

 

 でも、もう片方の本がまだ2/3です。

 途中で元ネタのカントの勉強し始めてしまい停滞。

 

 

 頑張れ!おれ!

 あと4冊だ!

 

 

 

 

 さて、自分のご褒美に、古本屋で買って読むのを我慢していた本を読了。

 マリア・テレジア、ヴィクトリア女王の伝記・・・・

 ではなくて、その夫たちの伝記。

 

 邦題より原題がいい。

 「Die Manner im Schtten」

 「影の中の男たち」

 

 

 まずはマリア・テレジアの夫、フランツ・シュテファン。

 彼は、第二次大戦まで取ったり取られたりでどこの領土か分かんなくなる、ロレーヌ(ロートリンゲン)地方の王子だった。

 調べると、ロレーヌ地方ってキッシュとかマカロン発祥の地なのだそうな。

 文化の交錯する土地は面白いものを生み出しますね。

 

 さて、フランツ・シュテファン。

 ちょうどロートリンゲンがスペイン継承戦争でフランスに占領されていたころに幼児期を迎えていた。

 なんとかしたいお父さんのレオポルト。

 そこで人懐っこいけど全く勉強はしなかったフランツ(p19)を、なんとかハプスブルグ家の王女と結婚させることを決意(p16)。

 で、いろいろな思惑が交錯し、お互い10歳にもならない段階で結婚することが決められた(p21)。

 しかし、当初はマリア・テレジアが皇位継承者になるとは誰も考えていなかった(p17)。

 そのうち男の子が生まれると考えられていたんですね。

 

 が、結局、男子は生まれず。

 マリア・テレジアに皇位継承権が転がり込み、フランツ、突然<女王の夫>になる。

 女王の夫なら自動的に皇帝かというと、そうはいかない。

 なにしろ、天下のハプスブルグ家と、消えたり復活したりのロートリンゲン家では天と地ほど格に差がある。

 結婚式では、二人並ぶことは許されず、フランツは末席やら二列目に座らされるという扱いだった(p38-39)。

 

 でも、二人は愛し合っていたようで、プライドの高いマリアにフランツは上手についていったようです。

 フリードリッヒ大王が戦争を仕掛けてきたりしてもhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12620241249.html、二人で何とか難局を乗り切った(p50-63)。

 

 割と晩年にやっと皇帝になりますが(p70)、結局、イニシアチブはずっとマリア・テレジアのもとにあった・・・。

 

 

 とはいえ、少なくとも若いころのフランツは結構遣り手です。 

 フランスが撤退したロートリンゲンに戻って財政を素早く立て直したり(p29)、自然科学に関心をもって独学していたこともあり、自然史博物館のもとになる施設をつくったり、自然分野の講座を大学に開設することに尽力した(p74)。

 ほかにも、領内の公国の財政破綻を私財をなげうって国債発行して立て直すこともしています(p79-80)。

 もし、ちがった場にいたら、もっと活躍できた人なのかもしれません。

 

 家庭でもよきパパで、マリア・テレジアがほっといた子供たちを<大変に>可愛がったそうです(p87-88)。

 えー、わざと括弧をつけましたが、彼の愛娘の一人が、皆様ご存じ、後のマリー・アントワネットさんです。

 溺愛しちゃったんでしょうね・・・

 

 

 

 

 さて、次がヴィクトリア女王の夫、アルバート。

 私的にはこちらのカップルに大変、興味を惹かれました。

 

 アルバートですが、ザクセン・コーブルク家の出身(どこ?)。

 なんでも1900平方キロメートルしかない領土で、人口が20万弱の弱小公国(p100-101)。

 調べると、広さは大阪府程度、人口は台東区と同じです。

 

 で、面白いのがアルバートをとりあげたお医者さんです。

 その名もシャルロッテ・フォン・シーボルト・・・・おっ?

 調べると・・・・そう、あのシーボルトの従妹だそうです(石原あえか他:ヴュルツブルグのシーボルト家 ドイツ語学・文学 47:189-215、2011)。

 

 ただアルバート、両親に恵まれなかった。お父さんは遊び人。お母さんも不倫して死去(p106-109)。

 さらに彼自身、虚弱な体質だった(p109)。

 しかし、フランツと違って、彼は物静かな努力家で、勉強を好み、ピアノやオルガンを弾きこなし、フェンシングや乗馬を好み運動神経もよかった・・・・って、完璧じゃないですか(p110-111、120)。

 しかも、「青く大きな瞳」をもつ美男子だったらしい(p118)・・・・って、完璧じゃないですか(← しつこい)。

 

 

 物静かなアルバート。このまま自国に留まることができれば幸せだったのではないかと思います。

 しかし、運命は許さない。

 野心家のおじさんによってイギリス王室の王女と結婚することを勝手に決められてしまう(p113)。

 そう。ヴィクトリア。

 王位継承権は4番目で、誰も彼女が女王になるとは思ってもいなかった(p115-116)。

 しかし、親族が亡くなり、なんと11歳ころに継承者に。

 そのため、かぐや姫じゃないですが、欧州中から王子たちが押し寄せた(p118)。

 アルバートもおじさんの差し金でヴィクトリアに会っていますが、「ヴィクトリアは薄っぺらで口数が多い」と言ったそうな(p119)。

 でも、ヴィクトリアはすっかりアルバートを気に入っていた。

 お世辞にも美人とは言えなかったヴィクトリアは、王位継承者である自分に関心を向けようともしないアルバートがかえって魅力的だったのかもしれません。イケメンだし。

 

 

 で、結婚することに。

 

 乗り気ではなかったアルバート(p122)。

 しかし、真面目な彼は、ヴィクトリアと生活をするうちに彼女の良さを見出して愛するようになる。

 そもそも、まともに女性とお付き合いしていないので、彼にとって初恋だった(p128)。

 そして、結果としてアルバートが生涯にわたって愛したのは、ヴィクトリアだけだったそうです(p128)。

 

 

 いいなあ。

 私が勝手にイメージしている<ドイツ人>そのものです。

 勤勉。寡黙。誠実。

 

 

 ただ、繊細で文化を好むという性質から、どうしてもイギリス王室の公務(という名の連日のパーリー・ナーイツ!)に耐えられなかった。

 彼は社交上の「中身のない会話」「噂話」(p135-136)にまったく無関心だった。

 なので貴族には堅物と不評。

 国民からも外国人と陰口をたたかれていた。

 

 アルバート自身は個人的に学者や芸術家を呼びたかったようです(p137)。 

 ちなみに彼の功績の一つにロイヤル・フィルを設立したことがあります。

 当時、イギリスでは知られていないようなドイツ音楽を紹介し、ワーグナーを指揮者として招聘したりした(p144-145)。

 

 

 また、アルバートは子供たちとの時間をとても大事にしていた(p142-143)。

 ただし甘やかさず、「早寝早起き」「忍耐強く、なすべきことをなせ」などの標語を家に貼っていた(p152)。

 で、本書では長男のバーティとの関係がクローズアップされています。

 バーティはアルバートと性格が真逆だったので、かなり葛藤があった(p166-168)。

 

 でもですね、バーティくん。長じて、平和維持のために外交努力をした名君になっています。女好きだったけど。

 私たち的には日英同盟で日露戦争時に大変にご助力いただいています(君塚直隆:ベル・エポックの国際政治 中央公論社)。

 これもひとえにアルバート公の教育のおかげです(たぶん)。

 

 

 ちなみにヴィクトリアはあまり教養はなく(p138)、わりと享楽的で感情の起伏が大きく(p123-124)、嫉妬深い(p136)。

 そして家庭では子供たちに冷淡だったようです(p142)。

 

 

 さて、アルバートですが、繊細で文芸を好む性質から政務はできないタイプかというと、実は彼もそうではなかった。

 ある程度の権力を掌握してから王室の財政改革をしており、かなりの節減に成功しています(p149-150)。

 また貧困問題に関心をもち、労働者の住居問題に熱心に取り組んだ(p157-158)。

 しかし、彼のこの働きは批判されたようです。

 おそらくイギリス特有の階級意識、「なぜ労働者を我々の金で助けるのだ」という見方が根強くあったのではないかと思いますし、さらに彼がマルクスと同じドイツ人だったことも無関係ではない気がします(私の妄想だけど。でもエンゲレス、イギリスに住んでたし)。

 

 

 とはいえ、影の存在として不自由な生活をし、慣れない王室生活を強いられ、不眠などに悩まされながら亡くなっています(p179)。

 

 

 しかし、死せる孔明、生ける仲達を走らす・・・・ならぬ、死せるアルバート、生けるヴィクトリアに影響す。

 そう。男女のモラルです。

 

 ヴィクトリア朝名物<極端な慎み深さ>は、どうもアルバートが元凶らしい(p141)。

 アルバートが亡くなった後、彼のことを美化しまくったヴィクトリアは、亡き夫のいささか過剰な男女のモラル―アルバート自身の両親への想いに遠因があるのですが―に、さらに過剰に忠実であろうとしたのでした。

 

 

 そしてこのビクトリア朝文化、つまり性を過剰に抑制する風潮が、(反動としての)オスカー・ワイルドやらラファエル前派やらはもちろん、世界一有名なホモソーシャルな二人、ホームズとワトソンを生み出したのは、ご存じの通りですね。

 

 

 

 アルバート、なんかいいいなあ。

 伝記を探してみます。

 

 

 

 

 

テア・ライトナー「女帝が愛した男たち」  庄司幸恵訳

1700円+税

花風社

ISBN 4-907725-08-6 

 

 

Leitner T: Die Manner im Schtten.  Carl Ueberreuter,  Wien, 1995