意外にも、と言っては失礼ながら、面白かった一葉作品。

 ぜひ「名作」とされている代表作を読んでみようと購入。

 

 読後。

 私は断然「たけくらべ」がよかった。

 

 

 あ、その前に、「一葉したたか説」https://ameblo.jp/lecture12/entry-12612165141.htmlについて、自分なりに考えてみました(なので私の妄想)。

 まず一葉のお父さんは、一応、士族だったんですね(お金で買い取ったとはいえ。本書解説p125)。

 ならば、「士族の娘」であることのプライドが当然あったはず。

 さらに、お父さんが亡くなって女性だけになった樋口家(長兄も早逝)で、彼女は戸籍上、戸主だったそうです(本書解説p127-128)。

 明治初期の混乱した渡世を生き抜くのに「ぼんやりとしたお嬢さん」では困ります。

 

 もう一点。

 樋口家は山梨の出で(本書解説p124-125)、彼女は生まれこそ江戸(東京)だけれども(同p124)、彼女自身にとっては、郷里はあくまで山梨だったのだろうと思います(日記に山梨への憧憬を記しているそうです。 「大つごもり 十三夜」解説)。

 「大つごもり 十三夜」https://ameblo.jp/lecture12/entry-12612165141.htmlでも甲府が第二の舞台となっている「ゆき雲」という佳作が収載されていました。

 

 問題はここなのですが、山梨、調べてみると戊辰戦争で戦場になっていて、しかも幕府側だった。

 私は日本史は苦手なのですが、言われてみれば新選組ものを見たり読んだりすると「甲陽鎮撫隊」って出てきますね。

 

 

 つまり、彼女は武家の娘であっただけでなく、薩長に郷土を蹂躙されていた。

 彼女は1872年生まれですから、まぎれもなく「明治生まれ」です。

 しかし、5歳の時に西南戦争、物心つく10歳のころはまだ内閣制も成立していない(伊藤博文が初代首相になるのは1885年だそうです)。

 帝国憲法発布は彼女が第一作目を書く、わずか3年前の出来事です。

 いわば「臨時革命政府」がぐらぐらしながら日本を引っ張っていた中、江戸(東京)市中の暮らしを眺め、生きていた。

 

 そのような、江戸っ子(生まれは、今なら帝国ホテルのあるあたり、内幸町。かつては大名屋敷が並ぶ武家が住む区域だったそうです)で、かつ郷土が幕府側だった武家の娘で、戸主だった女性の目に、「明治(政府)」はどのように映っていたのでしょう。

 

 そう考えると、一筋縄ではいかない「逞しく生きる力」を持つ女性になるだろう(というか、ならざるをえない)と推測されます。

 

 というわけで、次に読む本は決まり。

 山川菊枝の「武家の女性」で。

 

 

 あ、それから私はなんとなく一葉に「貧窮しているイメージ」を持っていたのですが、調べると住まいは東京で一番有名な大学の真っ赤な門の前だったんですね。

 私は仕事でしか行かない無縁な場所ですが、ご存じの方なら、門の真ん前の某コンビニのすぐ裏です。

 たまーに仕事で行くとき、困窮している私がひもじい昼飯を買っている場所だったので驚きました。

 ええ、あの裏手?みたいな。

 あと、一葉が最後の時を迎えた場所は、西に平行移動した中山道(今の白山通り)の外れで、近くに商店街があったようです。

 さらにあの辺りは、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」という川柳があったように(現在の本郷三丁目交差点)、旧江戸のぎりぎりはずれとはいえ、<貧乏長屋がならぶようなところ>ではなかったのではということです(間違っていたらすいません)。 

 まま、そもそも加賀藩邸があったところなのだから、当然、あのあたりは旧武家屋敷地域ですよね。

 

 ちなみに「かねやす」は本郷三丁目交差点角にまだあります。

 ただ閉店しています。確か奥に古本屋があったはずで、私は何回か行った記憶がありますが・・・・間違えかも。

 あとあの界隈に行くとき、必ず私は本郷薬師堂によるのですが、一葉さんもよく訪れていたそうです。

 なんだか身近な存在に感じます。

 

 

 というわけで、なんだか、ちょっとイメージが変わりませんか?(てか、私が物を知らないだけですね)

 

 

 

 はい、前置きはここまでで、感想です。

 

 まずは「にごりえ」なのですが、読み終わってどよーんとしたのですが、時間がたつと「われから」と筋が混乱してきています。

 

 主人公は、いわゆる酌婦を生業にするお力さん。

 調べると、要はお酌をするホステスさんですが、<それ以上>になるかは場合によるらしく、お力さんがどのような人かは不明です。

 ただ、かつて裏に住んでいる源さんといい仲だった。ただ、今は相手にしないでいる(第一節)。

 そこに「官吏だ」と名乗る男性客が(第二節)。

 やたらと身の上を知りたがる男性客(p12)とのらりくらりと話をそらすお力さん(p12-15)。

 しかし、彼女はとうとう自分の身の上を明かし(p34-37)、男性客との対話からある決断をする。

 それが悲劇を生んでしまう(第八節)。

 

 

 「われから」との共通点は血筋、そして女性が決断することの意味です。

 

 彼女もやはりメンタル的に不安定。

 頭痛もち(p15、27)、不眠もある(p20)、急にあらゆることが「つまらない」「気狂いはせぬか」と混乱気味になってしまう(p30-31)。

 また「三代伝はつての出来そこね」(p35)「気違ひは親ゆづりで折ふし起こる」(p37)と彼女自身述べている。

 

 ただ彼女自身、父と祖父を<気違ひ>と言っていますが(p35-36)、決してネガティブなだけの意味ではない、私なりに言い換えれば「頑な」で「自分の理想だけを追い求める」「生活力がない」人だった。

 

 そのような彼女が、自分の境遇を決めかねている時(ある意味、生活力がない状況)、男性客に背中を押されて、遂に自身の道行きを決める。

 しかし、それは(当時の)世間的には<男をたぶらかす>ことにしか見えない。

 

 

 なんとも言えない読後感でした。

 

 

 一方、「たけくらべ」。

 これもどよーんです。

 でも、「にごりえ」と違う種類のどよーんです。

 

 一言でいえば<子供時代は永遠に失われる>です。

 当たり前のようですが、責任を抱えず(回避して)に生きることはできないと受け入れる、自分の思い通りにいかないことを受け入れるといった、大人になるために必須の要件を満たしている人って、意外に少ないのではないでしょうか(含・私)。

 

 主人公(たち)は、これまでのことも、この先のことも深く考えずに、<今>を生きることができる(責任は過去を背負うことで、思い通りになるかどうかは将来と関わりますよね)<子供時代>を満喫している。

 とりわけ、信如くんと美登利さんの、何かというと大声で怒鳴ったり泣き叫んじゃったりしちゃう今時の映画やドラマではついぞ見かけなくなった淡い恋心の交歓に、おじさん的には胸がきゅんとします(←気持ち悪くてすいません)。

 

 ただ一葉の意地の悪さは(悪口ではないです)、美登利さんの、可愛い、でも未成熟ゆえのアンバランスな容貌を描写した直後に、わざわざ「大黒屋の」美登利と表記するところ(p57 まだ物語前半)。

 あるいは中盤、二人の仲がいい感じであることを描く第七節の冒頭の文章がいきなり「龍谷寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら学校は育英舎なり(略)」から始まること(p70)。

 遊郭と寺の子供であることをわざわざ書き記す。

 どうやってもこの二人の運命は交錯しないよと。

 

 で、有名な鼻緒のシーン。

 初見の私が切なかったのが、終盤、美登利さんに急な変化があり、幼馴染の男の子が困惑するところです(第十五節)。

 ある日、急に塞ぎこむ美登利さん。

 正ちゃんは無邪気に「美登利さん何うしたの病気なのか心持が悪いのか全体何うしたの」と「恐る恐る」尋ねる(p100)。

 美登利さんは理由を言わない。

 ただただ「大人に成るは厭なこと」という(p101)。

 

 

 美登利さんの境遇の特殊性を差し引かなくてはならないのですが、男が「社会的訓練」「修行」をする、いわゆる<青年期>という中間的な時期を経るのに比べ、女性は身体的なことも含め、暴力的な唐突さで「大人」になる(ならざるをえない)ことを描いているともいえないかなあと愚考したりします。

 

 

 「鼻緒」とか「窓に置かれた花」とかべたじゃん・・・とか思っていましたが、やっぱり筋じゃないんですね、小説・・・・(当たり前)。

 

 

 どちらも短編ですが、読後にぼうっと外を見ながら、あれこれ考えてしまいました。

 

  

  

 

 

樋口一葉「にごりえ たけくらべ」

420円+税

岩波文庫

ISBN 4-00-310251-7