本書で驚いたのが「全米図書賞受賞」という帯の文句。

 本書の面白さ、翻訳でどう伝わるのでしょう。

 

 

 大きな地震があり、洪水があって、放射線関連の事故があったらしい、災厄後の日本が舞台の短編集。

 一見、SFのようですが、SF好きな方には物足りないと思います。

 そういうこととは違う面白さがあります。

 

 漢字で遊んでしまう姿勢です。

 

 この点で名作と思ったのが、「韋駄天どこまでも」。

 主人公は東田一子さん。

 そして、彼女に「てんちゃん」と呼ばれる束田十子さんが主な登場人物。

 この名前で、漢字で遊んでいるのがわかります。

 老婆心ながら、「一(いち)」の「位置(いち)」がずれています。

 

 傑作なのは、「献灯使」にでてくる、インターネットを使わないことになった日を記念日とした「(オフライン)御婦裸淫の日」(p55)

 野崎歓先生も書評でこの言葉を面白がっておられますが、インターネットがどういう使われ方が多いかを考えると、かなり皮肉が効いていると思います。

 

 あと、パン屋さんの名前が「刃の叔母(たぶんハノーヴァー)」「ぶれ麵(たぶんブレーメン)」「露天風呂区(たぶんローテンブルク)」(p17)という、なかなかに「夜露死苦」な世界。

 外来語を使ってはならないので、こうなったという設定。

 Philosophieを「哲学」とナイスな翻訳をした西周が草葉の陰で泣いていそうです。

 

 もう一つ、傑作が、飛行場の「民なる(ターミナル)」(p35)

 確かに、税関通れば「日本にいる人(民)」に「なる」。

 山田くーん、座布団を持ってきてー。

 

 

 

 表題作。

 どっかで読んだような・・・と思うと、私が小学生時代から中学時代にドはまりした筒井康隆大先生のテイストに似ている。

 でも、筒井先生ほど攻撃的でなくて上品です。

 とぼけていて乾いた笑い。でも毒がある。

 

 

 この話、いろいろな要素を混ぜ込んでいます。

 政府機能は九州に移っている。

 まるで隼人とか倭人が大活躍した時代みたいです。

 海賊が出没することになっているし(p111)

 

 立神海運(p60)とか、御御輿部という部活(p68)とか、「神」関連の言葉が頻出。

 

 東京の西が「西域」と呼ばれている(p61)って、孫悟空でも出てくるみたいな。

 あるいは「聖域(サンクチュアリ)」?

 

 果物は「なんとかの園」みたいに隔離されて作られている(p57)

 

 鶴みたいな顔の妻が、出産後の肥立ちが悪くて死んでしまう。

 で、遺体が鳥のように変態している(p84)

 なにか恩返しでもしてくれるのでしょうか。

 そもそも、あの民話、「出産のメタファー」という考え方もあります。

 

 義郎さんが首を伸ばすのを「キリン」のようにでなくわざわざ「麒麟」と書く(p78)

 これだと、あのキリンさんよりも妖獣の「きりん」さんみたいです。

 

 

 何よりも、主人公の男の子(といえるかどうか)の名前。

 「無名(むめい)」です。

 名前がない方って、「あの方」しかいないではないです。

 

 そう思うと、曾おじいちゃんの「義郎(ヨシロウ)」さん、ヨシュアとかヨセフとかに語感が似ている。

 ヨシュアだって110歳まで生きたし。

 

 義郎さん、作家という設定。

 「遣唐使」という歴史小説を書いたという設定です(p45)

 かつて「何かを伝えようとした」人の話を、後世に伝えようとしている。

 義郎さんはその小説、「地名が多すぎ」だと思って、結局、焼いてしまう。

 私は、悩み多き思春期時代、「マタイの福音書」を読もうとして、冒頭のあまりの「人名の多さ」に読むのをやめてしまいました。

 

 

 謎だったのが、義郎さんの奥さんは「鞠華(マリカ)」で娘「天南(アマナ)」だったこと。

 意味ありげです。

 

 で、あっと思ったのが、p127から出てくる、無名くんの先生。

 夜那谷(ヨナタニ)先生。

 名前が沖縄っぽいなあ、でも「那」って古代日本ぽいとか思っていると、実はお父さんは「ヨナタンさん」だった(!!p151)

 

 死ぬほど細かい旧約談義を読まなければならなかった「神学・政治論」の中盤で出てきました。

 第8章で、妄言を述べた人物としてスピノザに批判されています(吉田量彦訳「神学・政治論 上」p375 昨日、下巻をやっと読み終わったばかり・・・)

 調べると、ダビデ王を助けた人なんですね。

 

 そう思ってダビデ王近辺を調べると、ダビデ王の妻、「マアカ」という名前。

 ヨシュア・・・もとい義郎さんの奥さんと娘さんの名前を分解して合成すると「マアカ」になります。

 ちなみにダビデ王とマアカの息子はアブロサム。

 アメリカ人ならフォークナーでおなじみ。

 

 あと、ドイツ人のヒルデガルドさん(そのまま、フォン・ビンゲンさんと言いたくなる)は、イラン人(=ペルシャ人)と結婚している(p69)

 

 

 というわけで、古今東西のあらゆる要素が組み込まれたデストピアのような、ユートピア(どこにもない場所ou-toipia)のような、ユートピア(理想郷eu-topia)な場所が描かれている。

 

 作者さんは明確に「日本の将来」云々とおっしゃっているのですが、私は別の世界を描いているように思います。

 

 老人が「死ねない」し。

 死なない人って、もう死んでいる人でないですか。

 

 

 大好きな「韋駄天どこまでも」。

 P177-179は、ちょっとすごいです。漢字でこれだけ淫靡なシーンを描けるのだと。

 表記の仕方でないです。表記の仕方は、かの団鬼六先生以来、いろいろあるけど、「漢字をいじる」という行為がそのまま色っぽいんです。

 文字へのフェテッシュ全開です。

 これ、翻訳不可能ではないでしょうか。

 「献灯使」だって、先ほど書いたけど、漢字の部分は訳せないと思います。

 日本のジョイスみたいです。

 

 あと、私はこの物語自体も好きです。

 なんとも悲しくて切ないです。

 

 

 

 「不死の島」。

 表題作の梗概みたいで・・・

 

 「彼岸」。

 こういう男性像なら、筒井先生がもっと過激に面白おかしく、そしてもっと哀れに書いていらしたよなあ・・・

 

 「動物たちのバベル」。

 面白かったのが、誰がボスになるか(p253-254)

 

 <正しい知識を得る>とは<よく知っている人>から<知らない人>に向かって、つまり<方を超えて>trans、適切な言葉を<運ぶ>lat(late)ことです。

 つまり、<翻訳trans-late>。

 

 

 

 テレビをつけると、今日も「あれが危険」「これはリスク」とやっています。

 

 

 多和田葉子さんが本書をお書きになったのは2014年です。

 「正しく翻訳をしてくれる/通訳してくれる人」はどこにいるのでしょうか。

 

 

 

 

 

多和田葉子「献灯使」

650円+税

講談社文庫

ISBN 978-4-06-293728-3