久しぶりに読んで、びっくりした「夢十夜」。

 これ明治41年の作品だったんですね。

 漠然と「晩年の作品」だと思っていました。

 

 いつを晩年とするかですが、「吾輩・・」が1904年(明治36年)作で、亡くなったのが1916年(大正5年)だから、創作期間わずか12年!!。

 明治41年だと「中期」といっていいのでしょうか。

 少なくとも「三四郎」(1910年 明治43年)を書く直前です。

 私は「彼岸過迄」「道草」(1914~15年 大正3~4年)あたりの作品だと思ってました。

 

 

 さて、まず小説版。

 教科書に載るレベルの名作ですから、いろいろと論じられていると思います。

 その手のものを読んでいないので、以下、私の勝手な妄想です(逆にいえば、とっくにどなたかに指摘されているかも)。

 

 

 ところで、以下、こういう時期に適当な話題ではないかもしれません。

 でも人と「生死」は不可分なので、そのまま進めます。

 もし不快に思われる方がいらしたら、申し訳ありません。

 以下は読まずにスルーしてくださいませ。

 

 10の夢。

 たぶん「死」のテーマで共通している。

 読み終わって調べた限りで、死のテーマが「多い」とは書いてありました(名取琢自:漱石『夢十夜』の夢体験とイメージ系列の特徴、2011、五味淵高志ほか:夏目漱石『夢十夜』総合的解釈のこころみ、2019など・・。あまりしっかり読み込んでいないのですが、心理学的、精神分析的な解釈のようなので、お好みの方はどうぞ。PDFで読めます)。

 私は「多い」ではなく、「すべて」だと思います。

 

 1:若い女の死んで、墓を作る

 2:短刀で自害しようとする(もしくは和尚を殺そうとする)刹那

 3:自分が子供を殺していたことに気が付く

 4:年齢不詳のおじいちゃんが河に入水する(あがってこない)

 5:敵に捕らえられ殺されそう。好きな女性に会いたいと思っていると、馬に乗ってやってきた女性が死ぬ

 6:運慶は明治時代になっても、まだ仁王を掘り続けている(=運慶が「死ねない」)

 7:船から飛び降りて死のうとする(死につつある)

 8:お金を数え終えない女がいたが、消える。動かない人がいる

 9:夫(父)はすでに戦死している

 10:豚を殺し続けた男。先がないだろう(=死ぬだろう)

 

 ただ、もっといろいろな切り口で分類できます。

 たとえば、女性がでるか、でないか。

 こどもが出るか、でないか、どのような立場か。

 自分が死ぬのか殺されるのか、死んでいるのか、誰かが死ぬのを見聞きすのか。

 数字の意味(特に8番目の夢は「四」角い部屋で、「二つ」の窓があって、「六つ」の鏡がある。そこに「十」円札を「百」枚くらいもっている女性がいる。最後に桶が「五つ」ならんでいる)。

 動物の意味(4から10までの夢は、へび(本物ではないけど)、馬、金魚、フクロウ、ぶたが出ます)などなど。

 

 名作の第一夜と第三夜以外で私が好きなのは、第七夜です。

 どこに向かっているか分からない船上で、絶望感で海に飛び込むのですが、海面に到達しないままに終わる。

 「死に向かい続けている(が死なない/死ねない)」という地獄のような時間が描かれた夢。

 

 それと第八夜。

 すでに書きましたが、お札を数え「終わることができない」。

 第六夜の運慶の夢も。完成しないので生き続けている。

 「終わる」ことを「終えられない」。

 

 「坑夫」の奇妙な味わいに似ていて、漱石ってこういう小説の方が面白いのではないかと思ったりします。

 岩波文庫だと「永日小品」が同時収録なのですが、これは逆にとぼけた雰囲気で最高です。

 

 

 

 

 さて、これを漫画化したのが近藤ようこ先生。

 原作に忠実に、余計な要素を入れずに描いていらっしゃる。

 登場人物の容貌や雰囲気をどのようにするか、あるいは背景をどう描くかなど、いろいろな解釈があると思うのですが、いずれも納得できる素晴らしい作品です。

 

 特に私は文章では分かりにくかった第八夜が、ああ、こういう感じかと納得。

 それと第二夜の不気味さは原作以上かも。

 また、第六夜や第十夜のそこはかとないユーモラスな感じも、絵になると一層はっきりします。

 第五夜は、ああ、これ諸星大二郎の短編みたいな話だったんだなっと発見でした。

 

 近藤版では、この第五夜が私的にはベストです。

 

 唯一、あくまで私の感想ですが、「惜しかった」のが(よりによって)第三夜です。

 最後の前のページの大きなコマ割りのシーンは・・・・

 

 

 知らなかったのですが、なんでも第一夜はロセッティの「祝福されし乙女」がモチーフだったとのこと(p147)。

 だから、百合の花が出てくるのですね。

 それにロセッティの詩(絵と詩と両方あるそうです)を調べて読むと、乙女は確かに天国で恋人を待っています。

 

 あと絵で描いたからこその発見でしょうが、第二夜で「なぜ短刀を右手でもったのか」(p147)。

 ああ、なるほど・・・近藤先生、鋭い!

 普通は左に短刀を置いて、左手で鞘ごとつかんで、右手で柄をもって短刀を抜くはずです。

 となると、抜き身だったのでしょうか?

 そうすると、主人公(?)の精神状態の切迫度が増します。

 

 

 無間地獄のような自意識の問題がテーマの「三四郎」以降の作品も面白いのですが、繰り返しになるけど、漱石、こういう作品もいいです。

 

 

 ぜひ、内田百閒の小説を映画化したあの感じで、映像化をしていただけたらいいなあと。

 で、第五夜くらいまでは原田芳雄さん、第六夜以後は藤田敏八さん主演でいかがでしょう。

 

 ・・・て、もう無理ですやね・・・・いかん、妄想が止まりません・・・・・

 

 

 

 

 

 

夏目漱石「夢十夜 他二編」

550円+税   247ページ

岩波文庫

ISBN 4-00-310119-7

 

 

近藤ようこ、夏目漱石「夢十夜」

780円+税  168ページ

岩波書店

ISBN 978-4-00-602315-7