てっきりサブカル女子かと思ったら、サブカル女子(元男性)だったことを知り、驚いた能町さんのエッセイ。
「気軽に読める面白エッセイ」だろうと読み始めたら、途中から、これは正座して読まないといかんのではないかと思い始める・・・そんな本。
タイトルから、そもそも「結婚」とは何か、その本質の一端を、楽しいエピソードを交えながら、明らかにしていく本かなと思っていた。
もちろん、そういう読みも可能。
しかし、そうではない部分に私は感動した。
マイノリティーであることの生きづらさ。
能町さんは、恋愛という感情自体、ピンとこないとおっしゃる(p28、p145-146など)。
なので、その先にあることに「なっている」、結婚もできないと思っている。
話は飛ぶが、欧米で自分婚というのがあるそうな(p27)。
既存の結婚観に抵抗する意味も含め、自分の中で区切りをつけるために行われているとのこと(p27)。
能町さんは批判的だが、私も同意見。
抵抗するならそもそも無視すればいい。
人を呼んでまで自分の人生に区切りをつけたいのなら、普通に「新しく生まれかわった私披露パーティー」でもいいのではないか。
てか、規格外の形式で自分の人生の区切りをつけることに、わざわざ他人を巻き込む人の気が知れない。
そのような式典をすること自体が、その影響圏から心理的に抜け切れていないことを露呈していると思うのは、意地が悪いだろうか。
話を戻して能町さんの考える結婚は、互いの生活を効率的にするもの(p29、p193)。
愛という情緒的な要素も、性的な要素も、すべて抜いたもの。
それをプロジェクトとして行う。
相手は、ご自分と細かなところで趣味があうゲイ男性。
結婚についての考え、同居までのやりとり、結婚をするまでの段取りなど、全体的に淡々と記されているのだが、さすがにプロポーズ「的」なやりとりには、能町さんも微妙な感情が動いているようで微笑ましい(p53-87)。
文体とご本人の内面を結びつけるのは乱暴なのだが、なんだか能町さんは感情の動きが少し乏しい、それが言いすぎなら冷静過ぎるような印象があって、どうしてだろうと考えながら読んでいた。
まったく私の下衆の勘繰りだが、能町さんは、マイノリティーであることに「疲れていた」「倦んでいた」のではないだろうか。
あるいは、そういうご自分を「OKだよー」「ぜんぜん気にしないから―」「能町は能町だよー」などと承認しているようで、結局は肝心なところで疎外していることを見せつける世間に絶望していたのではないかという気がする。
というのも、淡々とした描写ながら、時にあまりに生々しくて重苦しい、客観的には精神的自傷行為とでもいうべき出来事があったことを率直にお書きになっていることが一つ。(p107-144)
それから「女子をこじらせる」という表現で、いわゆる女性性を素直に受け入れられない、そういう自信がない、あるいは普段は意識に上らない程度に女子らしさを屈託なく受け入れられることへの嫉妬と羨望を抱えた、ざっくりいえば自意識過剰で身動きのとれない点で共感できる雨宮さんと意気投合したこと、そして彼女との交流を描いていることがもう一つ。(p155-179)
これらの逸話を思うと、能町さんは、こと<性>については、希望と失望の繰り返しの中で生き続けてこられたのではないかと想像してしまった。
雨宮さんとの交流が終わりを迎えた時、能町さんは「心から憧れていた人がその絶対値だけを残してきれいに裏返り、心から見下す対象になった、と思うとまた状況の不条理さに汚い涙がにじんできそうになるが、もうさすがに泣くのは飽きた」(p176)と書いていらっしゃる。
またも(?)孤独にさせられた状況への持っていき場のない怒り。
持っていき場がないので、憧れていた当人に怒りを向けるしかないことで生じる自己嫌悪。
こうも書いていらした。
「人に勝手に期待して、勝手に裏切られた気分になり、勝手に失望して(略)まるっきり子供じみていた」「二度とこんなことするもんか」(p188)
大学時代の親友で、初めて能町さんが精神的に女性であることを伝えた女性が、まったく悪意なく軽くこぼした一言(p109)。
能町さんは「嫉妬」「復讐」などの言葉を使っていらっしゃるが、端的に「悲しかった」のだろうなあと・・・
しかし、p107以後から雨宮さんの件は読んでいてしんどかった。
以上のいささかヘビーな逸話の後、結婚のエピソードに戻ると「おや?」という表現が増えてくる。
「誰かと暮らしていれば、こんなことを(ネガティブなこと:ブログ主挿入)考えてしまう夜中の隙間を物理的に埋めることができる」「有益なる『無駄な会話』」「他人の物理的動きによって、消えてしまいたい気持ちに浸ってぬかるむ時間が強制的に平らかにされ」(p200)、「ただいま」といえる(p216)。
「お互いに何かを求めない、期待しない」はずだったのに、夫(仮)(ママ)さんの行動が能町さんのことを思いやってのこだと友人に指摘されて、自分が「相手に行動を求めている」こと、つまり期待してしまっていることに気付く(p233)。
一番の山場は、象徴的なことに<溶けてしまう>アイスクリームをもって二人で散歩するシーンでの、能町さんの気持ちの変化(p235)。
何かが能町さんに顕れてくる。
そして、それまで眠る前に無自覚に行っていたルーチンを必要としなくなったことに気がついて驚いたりなさる(p237-238)。
他人と住まいを同じくし、ほんの些細な気遣いをしながら、共同であるいは分担して作業し、なんでもない生活を、あるリズムとちょっとした程度の”秩序”を維持しながら、ただただ繰り返すこと。
このことが、結婚の目的を「効率よく作業を回すこと」と考えていた能町さんにはおそらく計算外だった作用を引き起こし始めているように読める。
最後の数ページ。
大変に感動した。
エッセイというより短編小説を読み終わった気分。
能町みね子「結婚の奴」
1500円+税 244ページ
平凡社
ISBN 978-4-582-83821-3