兄貴ぃhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12564532166.htmlからメールが来て、テリー・ジョーンズが亡くなったと・・・

 残念です。

 「スペイン異端裁判」が見られないんですね・・・・。

 といってもモンティー・パイソン以外では、私的にはジェニファー・コネリーが見られれば満足だった「ラビリンス」を作ってくれた人・・くらいの印象ですが、でも寂しい・・・。

 昔は、名画座で再公開などというものがあったのですが、当時、飯田橋にあった小さな映画館で「ラビリンス」の再上映を見に行ったものです(同時上映「フェノミナ」。ジェニファー・コネリー特集だったのです)。

 あの半地下の映画館、まだあるのかなあ。

 「ぴあ」で、見逃した映画や名画の再上映を血眼になって探していた時代。懐かしいです。

 

 さて、本作もタランティーノにとっての「懐かしい映画」や「時代」を描いた作品です。

 

 

 以下ネタバレがありますので、未見の方はとばしてください。

 ただ、映画オタクの我々には周知の、シャロン・テート殺しとマンソン・ファミリーのことを最低限知ってないと、全然面白くないことだけはお伝えしましょう。

 

 

 

 

 

 (始めます)

 

 

 

 

 

 

 まず出だし。

 主演のデカプリオとブラッド・ピットが並んで車に乗る、彼らの後ろ姿から始まりますが、役名が逆に(ブラッド・ピットの背中に「レオナルド・デカプリオ」、デカプリオの背中に「ブラッド・ピット」)、インポーズされているのがなんともしゃれています。

 「いろいろ逆」ですよということですね。

 はい、わかりました、タランティーノさん。

 

 しかし、デカプリオ、ここ数年、特に40代になってから素晴らしいですよね。

 一時期、「とっちゃん坊や」みたいでしたが、年齢と容姿、雰囲気がいろんな意味で「追いついた」感じです。

 タランティーノの前々作(でしたっけ?)の「ジャンゴ」も、私的には、デカプリオが演じた差別意識丸出しの南部の富豪役の演技がすごすぎて、あのシーンしか印象に残ってないくらいです。

 役に入りきって本当にガラスを割ってしまい、あの血は本物の出血だったという壮絶裏話を知っていると、なおさら堪能できる名シーンでした。

 

 ブラッド・ピットは、本作でも相変わらずいい味出してます。

 いつもへらへらしていて表情が動かず、何を考えているのか全然わからない人。

 過去の人になりかかっているTV俳優(デカプリオ)の専属スタントマンなんだけど、付き人のような雑用係のような友達のような不思議な関係性。

 突然、デカプリオに「おれの家のテレビのアンテナが壊れたから直してくれ」とか言われても「わかった」とか言っちゃって、「お前は名優なんだからな!(がんばれ!)」的な励ましまでするという、どこまで「良い人」なんだ・・・てか、もしかしてちょっと「お馬鹿さん」?・・・というキャラです(前半まで)。

 ところが、その後に一人でデカプの豪邸のアンテナを黙々と直すシーン。

 彼は上半身だけ服を脱ぐのですが、タランティーノ、彼の体が傷だらけなのをさらっと映します(特段、アップにしないし、特殊メイクもリアルで地味、派手な傷もないので、画質が良くないと見えないかも)。

 そして雑用中の回想シーンで、彼が「戦争の英雄」で「妻を殺した」疑いのある人であることが明かされます。

 この流れで観ている側は、徐々に「あれ?・・・実は、にこにこしているけどヤバい人?」と分かってくるという巧みな脚本。

 さすがタランティーノ。

 

 ただ、どの戦争に行ったのかが明かされない。

 第二次世界大戦だとスティーブ・マックイーンの世代でちょっと若い。

 ヴェトナムだと年齢がいっている。

 だとすると、朝鮮戦争ですかね。

 すると、イーストウッドと同世代くらいになります。

 主人公の設定も、マックイーンとイーストウッドを足して2で割ったみたいな感じなので、ここは朝鮮戦争ということで。

 (タランティーノ自身はインタビューで「第二次大戦」と言ってるらしいです。ええ?それだと年齢あわないよ!タランティーノ!)

 で、もし朝鮮戦争だと面白いのが、グリーン・ホーネットのKato役の格好しているブルース・リーとタイマンはるシーンがちょっと意味深になります。  

 

 大口をたたいて演説しているリー。

 ブラッド・ピットはその大口に、ふっと笑ってしまう。つっかかってくるリー。

 ブラピはへらへらしたまま「あんたのようなdancer(=映画で戦いを形だけ踊るようにやっている・・みたいな意味でしょうね)はreal fightはできない」と言います。

 リーは「おれの拳はlethal weponだ」とか言っているのですが(ちょっとださい・・・)、あっという間に車に叩きつけられ、ブラピは無駄のない動きで互角に戦う。

 

 この<戦い>。いくつもの「虚」と「実」が交錯します。

 本当はいないアメリカ人スタントマン(ポランスキー夫婦と関係者以外はフィクションですから)と、実際にいたブルース・リー。

 本当の兵士、本当に人を殺した(少なくとも敵の軍人は。奥さんは不明)男と、俳優で、実際に人を殺したことのない男。

 そして、アメリカ人と中国人(リーは香港育ちだけど、ざっくり「中国人」)。

 

 そう、朝鮮戦争って、アメリカ軍(という名の国連軍)と(北朝鮮軍という名の)中国軍との戦いでしたよね、実質は。

 

 ほら、タランティーノさん、朝鮮戦争の方がいいって(← 余計なお世話)。

 で、この戦い、中断する(← ほら・・・朝鮮戦争っぽいじゃない・・・ってしつこいですね)。

 スタントチームのリーダー(スネーク・・・年取っちゃって・・・)の奥さんが制止するんですね。

 するとブラピ、またへらへらした顔に戻っている・・・やばいよ、この人・・・。

 

 あと、ブラピ、自分の車の運転がめちゃくちゃ乱暴です(助手席に人を乗せている時は安全運転なのが、なんだかかっこいい)。

 たぶん、もう死ぬのが怖くない(戦争でいろいろあって、あるいは奥さんといろいろあって、いつ死んでもいいくらいの自棄的な気持ちになっている)人なのかなという感じです。

 そういう人が一番、怖いですよね。

 

 もう一つ、平行世界が。

 デカプが泣いたり本気になって渾身の演技をしながら(デカプの「<下手な演技をする>という演技」がすごい!)「西部劇映画」を撮っています。これはその分野という意味では「実」なのですが、でもしょせん映画の出来事なので「虚」。

 (ここで、こまっしゃくれた子役がデカプを慰めるシーンがあるのですが、それを元子役のデカプにやらせるという底意地の悪さ。私は好きです。あと、デカプが自分が読んでいる小説の主人公はeasy breezy<単細胞さん(?)>というあだ名だと自分を託して語るシーンがあるけど、このあだ名、「映像研に手を出すな」OP主題歌のタイトルです・・・うおお、シンクロニシティーだ!)。

 

 一方、ブラピはヒッチハイクで拾ったヒッピー娘が住んでいるかつて西部劇撮影で使われていたオープン・セットへ。

 (セットの)建物の前を歩くと、中からじっと無表情に眺める女性たち。これ、西部劇によくあるシーンです。酒場の娼婦なんかが、初めて町を訪れた主人公を建物の中からじーっと見ている、あれ。

 ブラピの靴は革靴ではないので、足元だけ映すとこっちの方が「西部劇」のようです。

 そして旧友のことを心配して一番奥の建物へ。

 このシーン、もう使ってないセットで別に西部劇を実際に撮影しているわけではない、つまり「西部劇映画」として「虚」な状況ですが、人殺し集団が違法に占拠しているところに男一人で向かうという状況自体、負傷者でるし、殺し合いが始まりかねない雰囲気でしたから、「西部の出来事的」には「実」といっていいでしょう。

 面白いストーリー展開。 

 さすがタランティーノ

 

 そして、最後の平行世界と、交錯。

 運命の日です。

 

 マンソン・ファミリー、なんとデカプの家に行く(ポランスキーの隣に住んでいるという設定なのです)。

 で、そこで行われる大殺戮。

 ああ、やっぱり怖いよ!!ブラピ!!!

 

 にしても、Love & Peaceのはずのヒッピーが「人を殺し」に来るという交錯。

 ヴェトナム戦争にいった兵隊を「ナチ扱い」していたヒッピーが、デカプが主演した(たぶんB級)映画でドイツ兵を焼き殺すシーンで使った火炎放射器で「ナチのように」焼き殺されるという交錯。

 

 ヒッピー、全滅。

 ブラピはへらへらしたまま病院へ。

 デカプはお隣のシャロン・テートのホーム・パーティーへ・・・。

 

 そう、シャロン・テートは事実と異なり、この映画では殺されません。

 「イングロリアス・バスターズ」と同じ構造ですね。

 ただ、ヒトラー暗殺成功という無茶な設定でない分、「ありえたかもしれない」感が強く、ハッピーエンドなのに悲しくなってしまいました。

 

 もし、幸福の絶頂だったシャロン・テートが殺されなければ?

 ヒッピー文化はどうなったか?

 続く70年代はどういう時代になったか?

 ヴェトナム戦争の終結時期も変わった?

 アメリカの国力のひどい低下もなく、「難しいことは考えない/考える必要がない」「ただただ幸福を享受する」(=本作のシャロン・テートはそれを象徴していると思います。セリフがほとんどなく、常に楽しそうで、常に美しい)、そんなアメリカがありえたかもしれない・・・・。

 

 そうなると、その後のハリウッド映画の流れも確実に変わったでしょう。

 何しろ、私ら世代が見たアメリカ映画は、ヴェトナム戦争でインフラも人心も荒廃しきった風景をざらざらした質感で撮った映画ばかりでした。

 「タクシー・ドライバー」とか「フレンチ・コネクション」とか・・・・。

  

 

 あの瞬間、あの時、違っていれば。

 どなたにもあることではないでしょうか。

 

 ちょっと自分のことも考えて、余計悲しくなりました・・・。

 

 外連味が薄くなって、とても見やすいタランティーノ映画です。

 何回も見たくなる、とてもいい映画でした。  

 あ、でも最後はグロイのでご注意を。

 

 

 

クエンティン・タランティーノ監督「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」  原題 Once Upon a Time in.... Hollywood   2019年日米公開