本屋をぶらぶらしていたら人目につかない場所に平積みになっており、でも一目ぼれのように「びびび」ときて(←やっぱり古い)、手に取りました。

 一気に読了。

 これ、すっごくいい本です。

 メンタルヘルス・・・に限らず、保健医療福祉の仕事をさなっている方は読む「べき」本だと思います。

 

 

 前半のテーマは、医療現場における確率です(p21、57-63)。

 基本、心理でも医療でも、疫学、統計というのが重要でなのですが、それって要は「かもしれない」にすぎません(p21)。

 磯野先生はそれを「弱い運命論」と喝破します(p38)。

 私なりの表現だと、人は将来死ぬという運命を変えられないが、その経緯=死を先延ばしする治療方法は選択できるということになるでしょうか。

 強い運命論なら「もう死にますから何もできません」「絶対に死なないためにはこうするしかありません」になるでしょう(必然ですね)。

 で、弱い運命論の考え方に基づき、専門家は丁寧にOOの方法で治癒率O%、XXの方法で治癒率X%・・・と確率で説明する(p47-48)。

 でも、患者さん側は、それが自分にとって具体的にはどのような経験になるのかがなかなか想像できない。 

 そして、保健医療福祉の実践サイドは、そのことに「思いを致す」ことができない。

 そうやって、当事者サイドは、やがて「選ぶとは何なのか」から「選ぶのに疲れる」ことになる(p49)。

 

 じゃあ、どうするか?

 磯野先生のご意見:「希望と信頼の位相で話す」(p60)か「決定疲れした患者(略)に代わり、ある程度の方向性を医師が」決めること(p62-63)。

 前者はともかく、後者はハイデガーのいう尽力的顧慮あるいはパターナリズムと批判されていたことですね。

 「ある程度」という含みの重要さは理解しますが、やはり今もって禁じ手ではないかと・・・。

 また、磯野先生は後者が行われない理由の一つに現場が訴訟リスクを恐れていること、一方、「そんなに訴訟はあるのか」(p62)と不思議がっておられます。

 しかし、「起きた」ことの下層には「起きたかもしれなくて怖かった事例」が「起きた」ことの数倍ある、そして現場はそれを経験して不安を抱いていることに、磯野先生ともあろうお方が「思いを致して」いただけていないようで・・・・・・寂しい。

 

 一方、宮野先生のご意見:「『私』のこと」(p71)、「いまの<私>に」「どんな可能性があるんでしょうか」と医師に問う(p73)。

 ここから、内容が一気に実存哲学的になります。

 

 

 お体が不調になっていく宮野先生は「世界への信と偶然に生まれてくる『いま』に身を委ねること」(p101)の大切さに気づかれ、わかりやすい共有可能な物語に自分を落とし込まず、固有の<私>として生きたい(p116-119)という趣旨のことを決意なさる。

 そして、世界に根拠はないかもしれないが、「にも関わらず」生きていくのだ(p174)と力強くおっしゃる。

 

 前半で宮野先生はハイデガーの死の議論について(少し違った言い回しについてですが)懐疑的な指摘をされています。

 死という遠い未来のために今を使うみたいな議論ではないかと(p27)。

 でも、私が愚考するに、本書後半の宮野先生は、まさにヤスパースやハイデガーが主張したかったことを、とても具体的にご自分の経験に即した言葉で表現してくださっているのではないかと思うのです。

 だからこそ、貴重な素晴らしい本だと思うのです。

 

 私はヤスパースらの思想を一言でいえば「今でしょ!」(by 林修)だと思っているのですが(間違っていたらすいません・・・)、宮野先生も「がんが治ったら何がしたいですか」という頓珍漢なインタビューアーに憤りながら、同じように「今すりゃええやんか!」(p43)と突っ込まれています。

 その通りだと思います、宮野先生!

 

 

 他にも、「妖術」とは文化人類学的に何を意味するか(p102-104 カウンセリングを考える上で、良くも悪くも参考になると思いました)。

 宮野先生ご専門の九鬼周三の偶然論の説明(p90-93、112-113、172-174)。

 前半は一般論として簡易に説明してくださっています。

 私は初めて九鬼の偶然論を読んだ時、「いつまで必然の話をするんだ・・」とイライラし、唐突な結論に「ぜんぜんわからない」と当惑したことを覚えています(そして宮野先生のご説明だと、それであながち間違いではないようです)。

 しかし、本書後半では、そのお考えがどんどん深まっていくようで壮絶な印象です(p225-234)。

 さらに「語り」(p135、139)、「約束」(p162-164)など、私的に宿題になることがいっぱいありました。

 

 特にp180以後は、繰り返し読みなおしたいと思います。

 

 

 それから本書は、ヤスパースが主張した「愛ある闘いとしてのコミュニケーション」の実例のように思います。 

 知的公平性の中で真剣に意見をぶつけあい、反論すべきことは反論して簡単に相手の意見に組しない。

 そして、互いがそれぞれの思想を深めていく。それは別々であっていいのであり、一致している必要がない(「哲学」1932)。

 

 私は、1960年代のヤスパースが心理療法そのものを否定したこと、ではメンタルヘルス界隈の人間はどうすればいいのか途方に暮れていたのですが、内容ではなく本書の存在そのものがヒントになる気がしています。

 

 

 この内容で、このリーダビリティ。

 クリスマスのプレゼントでしょうか。

 私的には「今年の本、No1」です。

 

 

 ところで、本書の著者名順。

 最初、あいうえお順で並べたんのですが、p170のことを思い出して、逆にしました。

 

 あと、著者略歴の「配慮」(?)にほろっとしました・・・・晶文社さんはいい仕事をなさいますね。

 

 

 

 

 

宮野真生子、磯野真穂「急に具合が悪くなる」

1600円+税   255ページ

晶文社

ISBN 978-4-7949-7156-2