フロイトの直弟子たちは、師匠と完全に喧嘩別れしないと、どうしても独自の説を展開できないところがある。

 しかし、ザロメは男にありがちな体系的理論を作ることをしなかったので、彼女の議論はフロイトの考えからやや離脱気味だが、関係は良好なままだったようだ。

 

 ザロメの思想を一言で表現すれば「精神性と身体性の合一」だろうか。

 フロイトが、もっぱら身体性を性愛だけで考えたのに比べると視野が広いと思う。

 同じ弟子でも、精神だけにしたユングや、権力や名声、野心だけとしたアドラーとも違う。

 性愛を含んだ身体性である点で、彼らよりも現実的だと思う。

 

 以下興味深かった論文:

 「ナルシシズムの二面性」

 ナルシシズムの定義をザロメは「全体と合一しようとする感情」(p72)とする。

 「全体と合一”できる”と”思い込む”」感情と文章を改変すると、ナルシシズムについて普通いわれる「万能感」のことになる。

 とはいえ、ナルシシズムの健康的側面について、よく指摘される自信、自尊心と異なる意味あいのように思う。

 またナルシシズムは「自我に陶酔した状態」だけではない(p78)、なぜならナルシスは鏡を見たのではなく「自然の水面を見た」のであり、その時に己の顔だけでなく「他のもの、木や空」を見たはずだろうからという(p78)。

 自分の手の届かない世界も見てしまったというニュアンスだろうか。

 さらにナルシスには「幸福と悲しみ、献身と自己主張の合一」(p79)があるだろうともいう。

 全体に難解な文章で、この一文も理解が追いつかない。ナルシシズムから献身が引き出せるのだろうか。

 宿題である。

 

 ところで、この箇所の脚注にザロメがさんざん振り回したリルケの詩の草稿が引用されている(p115-116)。

 リルケがこの論文を読んだとしたら、どのように感じただろう。

 

 

 以下の箇所も興味深かった。

 男が異性愛で幻滅することは避けられない。

 なぜなら、男は自分の中の異性性を相手に見るが、相手の女性は独立した一個人ある以上、どうしても双方にずれが生まれるからである(p164)。

 

 ここまではどこかで読んだ議論だ。

 ところが次から違う。

 

 「女性においてはそれが自然に解決してしまう」(p164)。

 根拠は、女性性の考え方が古いのでここには書かないが、この結論そのものと、結論を敷衍した「男は自我か愛かが対立している」(p165)という考え方が面白い。

 

 

 メモ:

 クリスティアーヌ・オリヴィエhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12528972116.htmlや神谷美恵子先生の本https://ameblo.jp/lecture12/entry-12534548580.html?frm=themeをとりあげたところで書いたが、女性は不思議と「死の問題」を避けようとしない。

 ザロメもそうだ(p180-182)。

 フロイトの直弟子たちは死の欲動を正面から取り上げることを避けた。

 フロイトと同世代(年齢差わずか5歳)で直弟子といってよいザロメがすでにこの問題を積極的に論じていたことは大事な点ではないか。

 

  

 ザロメはフロイトの研究会に参加していたが、他の弟子たちのようにフロイトに気に入られることを必要以上に求めていなかったらしいので、当時、相当に微妙な話題だったはずのフロイトとユングの議論を(p156-157)を回想として書き残している。

 この箇所も興味深い。 

 

 

 第一次大戦前のフロイトが、ロシアについてかなり研究していたという(p275)。

 フロイトが<狼男>の治療をしていた頃だろう。 

 患者を理解するために、その背景にある文化を懸命に勉強する治療者。

 感動的だ。

 

 

 フロイトは無意識を「深く身体的なものdas Somatische」と呼び「そこに理想形成は残っている」と述べたという私的な会話の回想も、考えてみたい点だ(p242)。

 ザロメは無意識をUnterbewusstseinと表記しているのは面白い。

 

 

 

 ニーチェについて:

 ザロメは、ニーチェの「もし一人の神が存在するならば、神が存在しないのだという私の考えに、私はどうやって耐えていくのだろう」という彼の一文を引用して、彼は「生涯をかけて神の代償の探索」をしていたのだと述べている(p206)。

 ヤスパースも同じようなことを書いている(「ニーチェとキリスト教」1951年)。

 ニーチェは「キリスト」教を全否定していない、教義でがんじがらめになった「キリスト教」を否定したのだと。

 

 ある時期、行動を共にしニーチェが愛し続けた女性と、当時、まともに相手にされていなかったニーチェを尊敬し続けた哲学者の考えが似ているのは面白いというか、当然というべきか。 

 

 キリスト教の熱心な信者だったニーチェが、どうして神の死を主張し始めたのかという議論がされ、その理由に狂気まで持ち出されることもある。

 しかし、よき理解者の目からすれば、ニーチェの行動は一貫していたのだ。

 

 

 

「ルー・ザロメ著作集 フロイトへの感謝」 塚越敏、小林真訳

価格不明(古書 絶版)  319ページ

以文社

ISBN 不明