町山さんがラジオで物語の一番大事なところを話しておられ、知らなかったらもっと面白かったかなあとちょっと残念だった映画。

 レンタル鑑賞です。

 

 で、ご存じない方はネタバレがあるので、未見の方は例によってとばしてくださいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず原題。

 なぜ邦題をこれにしたのでしょう?

 「The Wife」 妻なるもの・・・という意味でしょうか。

 「A wife」なら「ある妻」だけど、特定されないままに定冠詞なので抽象概念ですよね。

 The Wifeの力強さに比べると、邦題、漫画のタイトルみたいです・・・

 

 さて、主人公はジョゼフ・キャッスルマン。ユダヤ人という設定です。

 ジョゼフはヨセフのこと、つまりキリストの「父」でしたねhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12531216685.html?frm=theme

 一方、旧約ではヨセフは甘やかされた末っ子です。

 この映画で、「父」のジョゼフ、ずっと何か食べています。

 若いころにも、常にクルミをもっていて、割っては食べています。

 

 Walnutsに関してはいろんな意味があるみたいですが、アメリカでは子孫繁栄の意味があるそうで、明らかに性的な意味があります。映画でもジョゼフの口説き道具(?)になっています。

 もう一つ、戦史マニアの私としては、バルジ大作戦で第101空挺師団長が降伏をすすめたドイツ軍に「Nuts!(バカか!)」と言ったことを思い出します。そう、「おバカさん」という意味もある。

 そもそもずっと手に何かを持って、もてあそんでいるあたり、神経症っぽいですね。

 「ケイン号の叛乱」の艦長を思い出します(古い・・・)。

 要は、子供っぽい甘えんぼさん、神経質なおバカさん。

 でも性的な魅力のある人なんでしょう。

 

 ところで、この映画は1992年が舞台です。

 1992年。調べるとクリントン大統領が当選した年でした。確かに映画でも「クリントン」の名前が出ます。

 クリントンと「妻」「女性」でいえば・・・・2つ。

 モニカ・ルインスキー事件で、妻のヒラリーが「女をあげた」こと。

 以前このブログで書いたR・B・ギンズバーグをhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12501770180.html?frm=theme、女性初の最高判事にしたのもクリントンです。映画の設定の1992年の翌年、1993年の出来事です。

 この映画の舞台は、女性の活躍が目立ち始めるころなのです。

 

 さて、ジョゼフの妻の名はジョーンです。

 これはヨハネから来ています。ヨハネはいろいろな意味をもちますね。

 洗礼者ならイエスに洗礼をほどこして「導いた」者。

 イエスの弟子としてなら、最初の、そして最愛の弟子。そして、最後の福音書の「作者」です。

 

 映画に戻ります。

 私は冒頭のシーンから唸りました。

 ノーベル賞受賞の電話を寝室で受け取るジョゼフ。彼に軽く光が当たっていますが部屋は暗い。

 一方、ジョーンは電話の内容を同時に聞くために別の部屋で電話をとりますが、明るい窓を背にして逆光で少しジョーンの顔は暗い。でも、光に囲まれているのです。

 

 つまり、ジョゼフは影の中にいて、光をあびている(そうでないと彼の顔は画面で見えません)が、全体として暗い。

 ジョーンは光の中にいて、逆光で顔は影になっているはずなのですが、全体として明るいのです。

 もう、冒頭シーンから、この映画の言いたいことが明確です。

 

 2人は、1950年代の末、ようやく公民権運動が始まったころに「教師と学生」「不倫」という二重の道徳的規範を破って結婚します。

 さて、仕事をして家計を支えるジョーン。アカデミック・ポジションに戻るのは絶望的で、作家として生活を始めることになったジョゼフ。

 しかし、問題はジョゼフにまったく作家としての才能がなく、ジョーンにはそれがあったこと。

 そして、1950年代には、まだ女流作家が受け入れられる素地がなかったこと。

 

 ジョゼフは、おそらくストーリーのあらすじくらいは書いていたのでしょう。

 若きジョゼフがジョーンと相談するシーンがありますから、まったく丸投げではなかった。「共作」ともいえる。

 しかし、小説はあらすじよりも、細部の描写、あるいは表現形式こそ重要です(ノーベル賞の受賞理由も「形式の斬新さ」という設定です)。

 ジョーンは「生きていない主人公のセリフを、生き生きしたものに変える」あるいは「主人公の内的時間経過を表現の長さで表す」などの工夫をして(実際の映画での台詞です)、夫の作品を改訂していく。

 

 夫は、自分がほとんど何の役にもたっていないことに、おそらく男としての屈辱と不満を抱いていたことでしょう。

 妻は、自分ひとりでは得ることの困難な表現する場を夫から与えられつつ、その結果を何もかも独り占めする夫に徐々に怒りや不満をためていったでしょうし、特に自分が彼にとって「一人の人間」として求められているのか、度重なるジョゼフの浮気や作品への貢献についてまるで「道具扱い」であることなどから強い不信感を抱きつつ、その不信感を「なかったこと」にして家族生活を守り続けたのでしょう。

 

 ノーベル賞を受賞して、まわりがジョゼフをほめたたえるほど複雑な様子のジョーン。

 そして、息子のデヴィッドは母親譲りの才能を持っているのか、「傲慢な夫と怒りを抱えた妻」の物語を書いて、ジョーンに「あれはよくできていた」と褒められる。かつて、ジョーンが、ジョゼフの前妻の怒りや冷め切った心を察知して「教授の妻」を書いたように。

 一方で、ジョゼフはデヴィッドの小説を読んでいないのか、読んでも理解できないのか、相手にしません。

 ふてくされるデヴィッド。

 

 しかし、ノーベル賞会場には家族を「道具」のように扱う受賞者が他にもいます。

 物理学者は、自分の家族をジョゼフたちに紹介しますがを「どのような業績をあげているか」で説明し、末っ子のことは軽く「モノにならないでしょう」とあしらう。そして、その子供たちはあきらかに神経を病んでいる。

 自分の「城=キャッスル」の中で「城主」として君臨する男=夫=父は、家族ではなく、自分の都合で周囲を振り回す。

 そして、自分が「仕事で業績をあげる」ことが「家族の幸福である」と疑いもしない。

 ジョゼフは、ノーベル賞受賞の翌日、妊娠中の娘に祝杯のシャンパンをすすめ、「妊娠しているから」という娘に「一口くらいいいだろう」と言います。

 こういうちょっとしたところに、男の身勝手さが出るのでしょうね。

 

 ところでナサニエルさん。久しぶりのクリスチャン・スレイター。いい演技でした。

 ナサニエルというのも露骨にユダヤ名ですが、「神の賜物」という意味だそうです。

 なるほど。

 「偽りの家庭生活の安定」(喧嘩の最中に、娘が出産したという電話が来て仲直りとか・・・。あれ、夫婦あるあるですね。子はかすがいという意味と、いいタイミングで喧嘩をリセットする出来事があってうやむやになる。そして男は忘れ、女性は決して忘れない・・・)に、ひびを作りに来た、そして、ジョーンが自身を取り戻すために来た存在ですものね。

 

 さて、クライマックス。

 ジョーンは「絶対に妻の助け云々」とスピーチで言わないでほしいと強い口調で頼む。

 しかし、案の定、それを無視するジョゼフ。

 ジョゼフは、このスピーチがジョーンへの感謝のしるしになると、たぶん「本気で」思っている。それに「夫婦仲自慢」はあちらの「お約束」ですしね。

 みるみる顔がこわばるジョーン。ここのグレン・クローズの演技は壮絶の一言。

 怒り、憎しみ、屈辱感、後悔、悲しみ・・・・いろいろな感情がまざっていく。

 

 おそらく、彼女は「家族生活を守ること」と「夫の仕事の大半を請け負うこと」を、切り離すことで自分を保ってきたのでしょう。

 ところが、ジョゼフは「彼女の助けがなければ私は仕事ができなかった」という、わかる人にはわかる(わかるのは妻本人だけですが)ダブルミーニングで、いわば「嘘は言っていない」というアリバイを堂々と作った。

 ジョーンは、そういう夫の無神経さに耐えられなかったのでしょう。

 

 次のジョゼフの無神経さ、第二弾。

 その後、大ゲンカが始まります。

 そこで、ジョゼフは言います。「なら、どうして僕と結婚した」

 絶句するジョーン。

 それは、若かったから。

 それは、道ならぬ恋の結果の結婚で、自分でも引き返す勇気がなかったから。

 それは、ジョゼフが夫して父として、どのような男なのかの評価を、ジョーン自身が見誤ったから。

 それは、子供ができて夫以外に守るものができてしまったから。

 それは、生活を守るため、愛する夫を励ます意味も含め作品の訂正に手を貸してしまったから・・・。

 それは・・・・・。

 すべては自分のせいでもあり、すべてはジョゼフを徹底的に傷つける言葉にしかならない。

 

 ジョゼフ、ずるい。というか、男というのはこういうものですね(私も当然、含みます・・・)。

 

 ジョゼフが喧嘩が誘因で心臓発作で死ぬというラスト近くのエピソード、あまりにジョーンに残酷だと思ったのですが、最後のシーンで救われました。

 

 彼女は息子のデヴィッド(ダヴィデ=ユダの偉大な王)に「すべてを明かす」といいつつ、ナサリエルには「家族を守る」妻の役割を完遂します。

 ジョーンは膝に置いた、おそらく自身が書き溜めていた小説のアイデア・ノート(?)をいとおしげに見つめます。

 そして、ページをめくって何も書かれていない白いページにそっと触れ、前を見つめるのです。

 

 彼女には、まだ創作がある。

 そして、今度こそ、本当に「自分の言葉」で語ることができるのです。 

 

 私はこの映画を一人で観終わって、本当に妻への態度を改めなくては・・・と慚愧の念に堪えなくなりました。

 ・・・が、喉元過ぎれば熱さ忘れる。

 帰宅してきた家内に部屋のことを注意され、すぐに「わがまま坊主のダメ夫」に戻ってしまいました・・・トホホ。

 

 ダメ夫は、いつまでもダメ夫です。

 ああ、離婚されないように、注意しなきゃ・・・・

 

 

 

 

ビョルン・ルンゲ監督「天才作家の妻 40年目の真実」 2018年日本公開   原題 The Wife 2017年公開