古本屋をぶらぶらして、なんとなく手に取り、中井久夫先生が寄稿されていたので購入。
神谷先生のご本。なんだか敬遠していた。
「生きがいについて」「遍歴」「こころの旅」など、どこかウェットなタイトルで完全に食わず嫌い(読まず嫌い)だった。
しかし、本書を一読して考えを改めた。
世の中にこんなにとんでもない人がいたんだと、ただただ畏怖と敬意の念ばかり。
フランス語で考えたものを英語で表現する(p164)才媛。
あの呉茂一先生から「早くアンテイゴネの下書きだけでもしてほしい」と頼まれていた(!p41)ギリシャ語使い。しかも独学(!!)。
最初の単著が20歳そこそこで、病床にあった際に読んだマルクス・アウレリウスの自省録の翻訳(p24、p39)
絵を描くのも趣味で(p25)、音楽の能力もあり、バッハを愛してピアノの連弾を楽しまれる。
語学力をかわれて、GHQとの交渉で通訳を任される(このような場合の翻訳は、当然、横の言葉を縦にするだけではない。話者が何をどのように、どんな意図で発言しているかを理解して、言い回しも注意して翻訳して伝えることになる。共感能力や理解力、判断力、TPOに合わせた表現に精通すること・・・すべてが必要だ)(p209)。
その際、「国家のために美恵子さんが必要だ」と大臣と大学教授の間で「取り合い」になる女性!(p209)
では「書斎にいる人」かといえば、
「学校へ教えに行ったり主人の論文を英訳したり、ふとんを作りかえたり、子どもの相手をしたり、市場へ買い出しにいったりしながら(略)こんな中からできる論文なんでずい分いいかげんなざっくばらんなものでしょうけれど」と友人あての手紙にさらりと書かれている(p46)。
そしてハンセン病の方々への面接も午後8時まで続けていた!(p92)
さらに「才能の人」かといえば、もちろんそれもあるだろうが、ヴァージニア・ウルフの論文を書くために残された膨大なノート、それも美しい文字でぎっしりと書き込まれている資料(p124-127)を拝見するに、どれだけ「努力の人」か自ずとわかるというものだ。
またフーコーの「臨床医学の誕生」の翻訳のために、初版と第二版の違いを丁寧にノートで書き出している(p52)。
「翻訳するだけ」なら第二版をそのまま翻訳してしまえばいい。
しかし、先生は「きちんと理解する」ために、そんな雑なことはなさらないのだ。
私は本書を読んで、かなり落ち込んだ。
私は何をしているのだろうか。
これまで時間を有効に使ってきただろうか。
いったい、努力というものをしているのだろうか。
何かにとことん集中して取り組んでいるだろうか。
さっさ機械的に仕事を「終えて」、「要領よく」「できた」などと自己満足に陥っていないだろうか。
以下、印象に残った神谷先生の言葉。
「多く与えられるものは多く求められるものではないか」(p68)
私たちが教育を得る機会を与えられたとすれば、自分と同じく誰かに与える側にまわらなければならない。それは義務なのだ。
「精神の病は人間の中の異物ではなく、むしろそれを持つ人の人格の基盤をなす重要な要素ではないか」(p134)
私も似たようなことを考えていたので、これは神谷先生に支えてもらった気持ち。
使命感について「そうせざるを得ないからやるという必然性」(p98)
ヤスパースが倫理について書いていたことと表現まで同じだ。
神谷先生はハンセン病の方々のケアという、精神医学ではたぶん「本流」にいないところで仕事をなさっていた。
そのきっかけが日記にある、
「友人から、あなたは時々、寝言みたいに『病人が私をまっている』なんていうでしょう?と言われた」(p206)
まさに招命だ。
使命感について、神谷先生は別の表現もされている。
「何か呼び声が聞こえたときに、それにすぐに応じることができるように耳を澄ませながら自分を用意しておくこと」(p98)
これもヤスパースやフランクルなどが書いていそうな文章だ。
メンタルヘルス界隈の隅っこにいるものとしては、神谷先生が「精神医学の世界に関する限り、出会ってよいものに出会っていない」「不遇」があるのではないかという中井先生のご指摘(p164)、まったくその通りだと思う。
もし、神谷先生が統合失調症の研究をなさっていたら?
精神療法の研究をなさっていたら?
女性や児童のメンタルヘルスを研究なさっていたら?
日本のメンタルヘルス業界は、今とまったく違った風景になっていたかもしれない。
もう一つ、残念なこと。
若き神谷先生は、同級生に以下のようなことをおっしゃっていたらしい。
「女の心理学は女でないと書けない」(p106)
そして、私が書くと。
本当に書いていただきたかった。
みすず書房編集部編「神谷美恵子の世界」
1500円+税
みすず書房 224ページ
ISBN 4-622-08186-5