期待の本書。

 近所の書店になかったため、南米に流れる河に本拠地を構える会社で(嘘です)、購入。

 

 要所要所はすごく面白い。

 ただ、何か釈然としない。

 うまく言葉にできないけれど、簡単には分けられるものではないとはいえ、生物学的差異と社会的差異の両方が絡み合った議論になっているように感じたからである。

 

 冒頭、女らしさとは何かから始まる。

 これは社会的・歴史的なローカル・ルールの話。地域や時代によって異なる問題だと思う。

 そのうち、美という社会的なものと若さという生物学的なものが併記されて論じられ(私はこれらを結びつける考えに絶対に組しない)、そのまま性という(性愛ではない)生物学的領域へシフトする。

 ところが、そのうち組織での評価の問題に移行し、さらに生殖という主に生物学的範疇の話題(子がいるかどうかは社会的な意味もあるが)に戻る。

 

 お二人は、どちらの次元でどのようにお考えなのか、全体として頭がついていかなかった(私がバカなだけです)。

 というわけで、男の私は余計モヤっと。

 

 

 本書の主張を、私なりにざっくりとまとめると、「女性の社会的評価査定が不当に低く、生物学的評価が偏った形で固定されている」だろうか。

 だから、仕事をバリバリこなしたにも関わらず、生物学的評価査定が低い(とご本人たちは思っていらっしゃるようだ)自分たちは「自信がもてない」と。

 

 ひっくり返すと「男性の社会的評価査定は下駄を履かされており、生物学的評価は流動的」。

 後者は、確かに年を取るにつれて魅力が出たと言われることがあるのは、圧倒的に男性だろう。

 ただ、この加齢現象、実は2種類(または3種類)あると思う。

 

 一つが父性としての魅力が加わる(=頼もしい、安心できる、包み込まれるような魅力とか言われる)。

 もう一方は(なぜか)加齢とともに却って男性性が強くでる(=色っぽい、苦み走って魅力的とか言われる)。

 そして、大半の男性はどちらでもなく「さえないおっさん」になっていく(=たとえば私)。

 

 ただし、父性パターンも、まかり間違って性的な言動を見せると、おそらく多くの女性から手のひらを返したように嫌われるだろう。

 そういう意味で、実は男性としての魅力は求められていない。

 なので、私が思うに、ほとんどの男性も年齢に拘束されている。

 

 「『やっぱり男は若いほうがいいよね』と思っている女性は、少なくとも私の周囲ではほとんど見ないし」(p72)ということだが、その意味が「『お金』『地位』『人生経験』ないとマイナス」(p72)、つまり若さよりも、経済的豊かさ、社会的地位、人生経験がプラス査定の要因という意味なら、そんなものないマイナス査定の中年男なんて掃いて捨てるほどいる(=たとえば私)。

 

 一方、女性の場合、マイナスにならないのは「うぶ」(p73)であり、年齢やキャリアは得にならないという。 

 「うぶ」。

 これがどのような意味なのか。年齢なら、絶対的な点なのか相対的な距離なのか。

 男の自己愛については、別のジェーン・スーさんの対談本のところで触れたがhttps://ameblo.jp/lecture12/entry-12497392000.html?frm=theme、確かに自己愛を傷つけないほどの相対的距離(ちょっと年下とか仕事内容やポジションが少しずれているとか)なら、男は求めていると思う(すいません、小心なのです)。

 ただ、本書では絶対的な点(20歳代くらい?)を男が求めているように読める。

 私はそういう男はごく一部だと思うが・・・・。

 

 

 しかし、そんなに若さ――そもそも「若さ」は相対的だと思うが――に価値があるのだろうか。

 別に格好をつけているつもりはない。

 確かに存在するそういう男たちの言動を見ていると、彼らは若さでなく「幼さ(=実質10代以下)」を求めているように私には思える。

 そして、姉妹のいる私には、そのような態度はもう生理的嫌悪感でいてもたってもいられなくなるのである。

 お二人のおっしゃる「うぶ」は、そういう年齢的な意味だろうか。

 そうすると、生物学的な話になって、キャリアはまったく関係なくなるが・・・

 

 

 

 ・・・・私もモヤって何を書いているのかだんだん分からなくなってきたので話題を変える。

 

 本書で面白いのは、むしろ以上のような直球の男女の話とは違ったことである。

 

 中野さんのお話。

 生きづらさを抱えていた中野さんは、御自分が「不完全な感じがして」「何かしないと完全な人間になれない」「自分には何か部品が足りていない」(p170)という思いがあったのだという。

 ところが40代になったら「あれ、意外とみんなも完全ではないよね」(p171)と気づいて楽になった。

 まさに。私も同じように考えが変わった。

 

 

 中野さんのご発言。

 「『これは自分の実力である』と思い込める傾向は、男性の方が強い」(p174)

 そうだろうか。

 私の周囲でそういう傾向の同性もいたが、私も含め「自信をもてない」男も多いが。

 確かに自己愛の強さは男>>女だと思うので、同年代で比較すればそうかもしれない。

 ただ、男もいらない「下駄」が邪魔になって、周囲からの査定と自身の成果との差に自信を失うことがあるし、若いときは「実力アップだー」と気合を入れていても、年齢とともに「実力よりも、結局、運とか人とのつながりだな」と私なんぞは思うようになったので、男女差よりも経験の長短の差の方が大きい気がする。

 

 

 納得した言葉。これまた中野さんの指摘。

 「自信がない方が圧倒的に学習の効率があがるんです」(p176)

 私も患者さんに似たことを言っていた。

 「不安や心配になると、それだけ準備しようと思いますよね。不安感がないと『ま、いいか、なんとかなるか』になって、準備不足で思わぬミス・・・ってありませんでしたか?」

 不安を自信に変換すると同じような内容。

 でも、よくよく考えると別の話かな・・・

 

 宿題を見つけたので、ちょっと考えたい。

 

 

 

 

 

ジェーン・スー、中野信子「女に生まれてモヤってる!」

小学館    206ページ

1300円+税

ISBN 978-4-09-388707-6