備忘録。
本書第一部:
理論を変更し続けたフロイトは果たして「ある程度の到達点までたどり着いたのか」、「それとも迷い続けたままだったのか」。
詳細な読みで解き明かされる。
第二部:
残念ながら精神分析への批判としてはクリシェ。
Aという理論があり、Bという現象が起きた。
さて、B現象はA理論をA'理論に更新するか、逆にB現象はA理論でも説明されA理論には何の変化も起きないかという問題。
切れ味のいい理論ほど後者の状況に陥る。
フロイトは、精神分析の理論に対してどのような構えだったか。
第三部、第四部:
もっとも興味深かった箇所。
精神分析の特異点:フロイトの精神分析について。
フロイトはフリースとの間で、一種の自己分析を行ったことになっている。
しかし、それだけで十分だったのかはこれまでも議論され、そして結論は概ね「十分ではなかった」である。
フロイトの父親は問題のある人物だったらしく、フロイト自身、その点を「見ないようにしていたらしい」という指摘もある(秋吉良人「フロイトの<夢>」)。
本書では、フロイトの叔父も問題を起こしていたらしいことがマリア・トロークらの詳細な調査で明かされ、フロイトの残した夢をその線で読解していく。
最後に重要な問題が、フロイトが見出した理論装置、エディプス複合、去勢、ペニス羨望などが普遍的かという点。
優先されるべきはそれぞれのクライエントの個別性ではないか。
それは、時としてフロイトが「発見した」概念からはみ出るのではないか。
そして、そのような現象こそ重要なのではないか。
だが、そうなると、それは精神分析といえるのか?もはや別物ではないか?
私は結論にあまり納得できなかったが、結論よりもマリア・トロークの問題意識こそ、真の精神分析家のそれだと考える。
精神分析の内からの批判の書として、重要な一冊。
マリア・トローク、ニコラス・ランド 大西雅一郎訳「フロイトの矛盾 フロイト精神分析の精神分析と精神分析の再生」
書肆心水 288ページ
4900円+税
ISBN 978-4-906917-55-6