森高千里さん。いつ本当に「オバさん」になるのでしょうか。
ナイツのネタではありませんが、私は楽しみにしています(嘘です)。
本書。
バブル前後に20代を迎え、あふれ返る情報の中で必死に生き抜いてきた女性たちが、「今、今後、どうするか」を語るが概要でしょうか。
対談相手の顔ぶれが豪華(以下順不同)。
脳科学者の中野信子さん、ちょっと前のドラマで話題の海野なつみさん、山内マリコさん、映画ファンはご存じ宇多丸さん(「一度でいいから見てみたい、ニョウボのへそくり隠すとこ。こんばんは、桂ウタマルです」・・・の歌丸さんではない、って、若い方は知りませんか)、田中俊之さん。
ほかに、ラジオでのお話しから興味があった光浦靖子さん、ご著書が大好きな酒井順子さん、謎の存在だけれど気になる能町みね子さん。
これは絶対に読みたいと。
冒頭からスーさんお得意のあるある話がいきなり炸裂。
「20代は自我との闘いで疲れ果てる。(略)30代で少しバランスがとれてきて、40代でメンタル面がだいぶ整って(略)効率よく動けるとようになるかと思いきや、今度は体が動かない」(p9-10)
私も、今のメンタルなら20代に戻りたい。
でも、あの20代には、絶対に、二度と、戻りたくないけど。
やはり面白かったのが光浦さんとの対談。
光浦さん曰く、
「お笑いは男性社会」(p18)で「男性の遊び」(p18)。
なるほど。
私の思い違いかもしれないけれど、男芸人が言葉の応酬をしている時、女性芸人さんはあまり入ってこないような気がします。
もしそうだとすると、なぜか。
男女の言葉の流暢性のスピードの違いなのか、使う単語の系統が違うのか、それとも面白いと思うポイントの違いなのか。
それに、考えてみると女性芸人さんは物まね系が多い気がします。
つまり、話術以外の技術を持っている。そういう別の飛び道具がないと生き残るのが難しいのでしょうか。
で、現在の日本で「女性のお笑い」とはどのようなものが考えられるかを光浦さんが教えてくださいます。
「井戸端会議的なおしゃべり」で「どんどん話が横にずれて」「テンポ感とかも独自」のもの(p19)。
実情は「女の笑いはおっちょこちょい」(p30)。
なるほど。
しかし、「おっちょこちょい」はそのまま「可愛らしい」と地続きで、本当に女性の笑いといえるのでしょうか。
それを受けてのスーさんの一撃。
「男性は面白い女の人を敬遠するというデータはアメリカの大学で出て」いる。「面白いイコール知性だから」(p30)。
・・・・。
他にも光浦さんの「女はキャリアが得にならない」「アドヴァイスがいじめにとられる(男には分からない!)」(p24)、それを称して「えん罪お局」問題(p23-)という絶妙なフレーズが。
さすが、光浦さん。
他の方の対談にまで触れると膨大な量になりそうなので、一つだけ、備忘録的にスーさん語録。
「男女の(略)繊細なところと雑なところがお互いに違う」(p125)
できることなら、20代の私に教えてほしかった。
「男同士で何を話しているかと聞いたら野球や映画の話で(略)自分の話をしなくて済むからって(略)自分のことをわかってほしいと思っていない(略)自分自身が自分のことをわからないし、直視したら立っていられないかもと言われ(略)」た(p164)けれど、それが「理解できない」と。
これについては、以下、私の個人的意見。
男の自己愛は強烈です。
自分をさらけ出すことは、男のマウンティング社会では弱者の位置に自ら赴くことで自殺行為です。
さらに「自分語り」は男社会では自己愛の発露とみなされる。だから嫌われる。
自己愛とは定義上、他人から嫌われたくないことだから、余計、「自分語り」は禁忌になる。
一部の「え、俺、別に嫌われてもいいけど」という、一見、自己愛を持っていないようで、自己完結・自己充足という点で、やっぱり自己愛を持った人だけが許されるのが、男の「自分語り」。
ところで男は「自分語り」の作法を知りません。なぜならそうすることで楽になるという世界に生きてこなかったから。
なので、うっかり「自分語り」をすると、露骨に「俺サイコー」な下手な語り口になる。
そのようなわけで、男は自分を言語化して客観化する作法を知らないし、できないので、自分のことを理解せず、ますます自己愛が強固になっていきます。
さらに自己愛は、これまた定義上、自己評価の無根拠な嵩上げなので、他者からの評価査定の結果に、たいていの男は信じられない反応を起こします。
これは三浦瑠璃さんが「男が簡単なことで傷つくので驚いた」といった趣旨の発言と関係します。
「男は自分のことをわかってほしいと思っていない」
これは正確ではないと思います。
「男は、当然(相手が)自分のことをわかってくれていると思うから、自分のことをわかってほしいと思う必要などないと思っている」が正確だと愚考いたします。
そして、男の向こうには・・・・そう、「ママ」が立っているのです。
圧倒的に自分を承認してくれる「ママ」の存在があるが故に、男の自己愛は強烈なまま保存されるわけです。
・・・はい、前の節の冒頭に戻ってください。
ぐるぐる循環します。
私の内臓をさらけ出すつもりで、頑張って言語化してみました。
あくまで一中年男の与太話ですので、眉に唾を大量につけてくださいまし。
ジェーン・スー「私がオバさんになったよ」
幻冬社 269ページ
1400円+税
ISBN-10:4344034414