一挙にある国に占領され、かつ自力だけでは自国を取り戻せず、しかし、戦後は紛れもなく戦勝国となった場合、「戦争に勝った」というのはどのような感覚なのだろうか?

 

 フランスは、第二次世界大戦時にまさにそうだった。

 ドイツ軍は1か月でパリを落とし、その後の1か月でダンケルクまで英仏軍を追いつめる(この辺りは映画「ダンケルク」と「ウィンストン・チャーチル」で描かれていた)

 以後フランスは、北部がドイツ占領下、南部はヴィシー政権という傀儡政権に。

 さらにロンドンに亡命したド・ゴールが自由フランス軍を名乗る分裂状態。

 

  1944年6月6日。

 連合軍がノルマンディーに上陸。これはいろいろな映画でも描かれ、私も小さいころから見てきた。

 名作「史上最大の作戦」や「プライベート・ライアン」。

 考えてみると、どちらの作品もノルマンディー地方の住民の様子はちらっとしか描写されない。

 

 驚き、納得し、考えさせられたのが、メアリー・ルイーズ・ロバーツの「兵士とセックス」での記述。

 開戦時、ドイツ軍の侵攻が早すぎて、皮肉なことにフランス国内はほぼ無傷だった。

 ところが、アメリカ軍は物量にものをいわせる戦い方をするので、ノルマンディー上陸作戦で連合軍はとんでもない数の艦砲射撃を行った。

 おかげでノルマンディー地方はドイツ軍占領時よりも破壊しつくされ、地域住民はアメリカ人に強い不満を抱いていたという。

 その後も、フランス国内でドイツ軍と連合軍は一進一退の激戦を続け、連合軍が通過したフランスの地方都市は滅茶苦茶に破壊された。

 最近の映画「フューリー」でも、主人公たちはドイツ兵が立てこもる建物をどんどん砲撃して破壊していた。あの家はフランスの民間人のものだろう。

 

 ドイツが駆逐された後のフランスはどうだったか。

 メアリー・ロバーツによると、アメリカ軍はフランス政府が機能するまで解放者として尊大に振る舞い、臨時フランス政府のさまざまな要請もアメリカの都合で決定された。

 このような事態は、戦後フランス人男性のジェンダー意識に大きく影響したらしいと、どこかで読んだ記憶がある。

 

 

 さて、ようやくデュラスである。

 

 1945年4月、終戦のわずか1か月前、つまり「まだ勝っていない」時期から物語は始まる。

 

 デュラス節は相変わらず。

 Ⅰ部はほとんど改行されず、文章は切迫するように続き、時々書き手の空想が混じるので時間と空間が急激に変化する。

 Ⅱ部の作品群は、切迫感が徐々に緩和していくかのように改行やセリフ主体の文章が増え、代わりに具体的描写が削ぎ落とされていく。

 

 本作で圧倒されたのは、戦時下ともいえない中途半端な時期のフランスの混乱。

 いろいろな事情で、フランス人同士が残酷な行いをしてしまう、そこから生じるであろう苦しみ。

 戦時下、国内でなんとか生きてきた者と、戦後フランスに戻ってきた者との温度差。

 何より「ホロコーストから生きて帰ってきた」という一文で済まされがちなことが、実際にはどのようなことなのか。 

 それが描かれている。

 

 もちろん、ドイツが先に侵攻したのであって、アメリカやド・ゴール、当時のフランス人に対してどうこう申し上げたいのではない。

 どのような戦争であれ、戦勝国の国民であっても、私たちの生活と人生は徹底的に破壊されてしまう。

 その破壊の様相は具体的な記述でなければ分からない。

 

 本作の最後の一文はパウル・ツェランやアドルノと異なった意見である。

 私は、このような考え方があってもいいと思う。

 

 

 

マルグリット・デュラス「苦悩」 田中倫郎訳

河出書房新社  285ページ

3200円+税

ISBN-10: 4309200818

 

メアリー・ルイーズ・ロバーツ「兵士とセックス――第二次世界大戦下のフランスで米兵は何をしたのか?」 佐藤文香、西川美樹訳

明石書店  436ページ

3200円+税

ISBN-10: 4750342343