ジェイムズ・ジョイスといえば「20世紀最大の小説家」なんて言われて、「難解な作家」という見解が一人歩きしてますが、ぶっちゃけかなり難解です。
この人の作品を「平明だ」とか抜かすのは丸谷才一とかだけで、フツーの人がフツーに読めば「なんじゃこりゃ!」って叫ぶこと請け合いです(爆)
とはいえ、どれもこれもが難しいってワケではない。
日本に紹介されているジョイスの作品は、
・『ダブリナーズ』(短編集)
・『若い芸術家の肖像』
・『ユリシーズ』
・『フィネガンズ・ウェイク』
の四つ。(他にもあったっけ?)
んで、この下二つ……というよりも『フィネガンズ・ウェイク』ってのはワケがわかりません(苦)
これを読んだ上に「言語の新たな可能性を発見した」とか抜かして哲学書を書きやがったのがジャック・デリダ。てめーらの脳内構造はどうなってんだッ!
一方の『ユリシーズ』は、とりあえず僕も読破できました。そりゃ、深い意味までは理解できませんでしたが。
死ぬまでに『フィネガン』行けるかなあ?
んで、この難解さがどこから来るかと言うと、まず一つは「読みの多様性」でしょうね。
これはどういう意味かと申しますと……。
ちょっくら専門的なハナシになってきますが、実は「文学研究」ってのは比較的新しい学問なんですよ。歴史は100年ちょい。
そんで、文学研究の草分け的存在が、19世紀の批評家であるサント=ブーヴ(読んだことある?)
この人は、文学を研究するために、同じ人文科学の中から「歴史学」に目を向け、その方法論を借用しました。
と言うとわかりにくいかもしれませんが、早いハナシが「作家の歴史」を調べたわけです。
たとえば「スタンダールの作品にはこんなことが書いてあるけど、あの人はこの時期にこんなことをやってたから、ココはそういう意味なんだよ」ってな感じで作品を批評していったんですね。
つまりサント=ブーヴの言いたいことは、「作品を知りたければ、作者に尋ねよ」ってことです。んで「死んでるなら歴史を掘り起こせ」と。
まあ、確かに作品というのは作者が書いてるもんであり、その意味では正しいご指摘です。
でもですね……たとえば高校の国語のテストなんかで、「ここには~と書いているが、なぜか。作者の意図を述べよ」なんて問題があるじゃないですか。
ああいう問題を本当に作者に解いてもらうと、間違いを連発するんですって(爆)
作品を書いた本人なのに、作者の意図がわからないというギャグみたいなことが勃発するんです。マジで。
ぶっちゃけたハナシ、作品ってのは作者から切り離すことが可能なんです。
読者は100人が100通りの読み方をすることができ、次々と自分だけの「作品」を心に作ることができる。
これが1960年代以降の文学批評の基本的なありかたなのです。
その代表格であるロラン・バルトは「作者の死」なんて言い方を使いました。
(まあ、この批評も極端なので、時代はその中間を取るべく動いているのですが、それはまた別の機会に)
このように文学作品とは、批評家の思惑とは別に、本来的に多様な「読み」を可能にするんですね。
ジョイスはこのことに直感的に気づき、かなり意識的に多様な「読み」を可能とする作品を書いたのではないでしょうか。
その「いかようにも解釈できる」内容、すなわち言葉遊びやダジャレやパクリを組み込んだ作風が、「難解」と言われる理由じゃないかなー、と。
だって、みんな単純なハナシの方がわかるもんね。
と、以上が「なんでジョイスって難解なの?」って素人的な疑問に対しての、当読書会の解答です。
次はこのようなジョイスの作風における『ダブリナーズ』の位置づけについて考えてみましょうかね……って、いつになるかな(爆)
あ、ちなみに次回の読書会は2009年12月に開催します。テキストは『ボヴァリー夫人』(フロベール)。
参加したいって人は連絡ちょうだいね~。