アメリカの警察で確実に普及しつつあるボディカメラ(ウェアラブルカメラ)。しばしば警察官の職務執行が世論の指弾を受け、また訴訟沙汰になることもあって、警察官の行動を個別に確認できるボディカメラは非常に便利な装備だ。警察や警察官の正当性を主張するにしても、或いは警察官の不正を立件するにしても、現在最も有用な装備の一つと言って良いだろう。同様の目的で導入されたパトカーのダッシュカムは事実上の必須装備となっているが、如何せんパトカーの前で起きたものしか記録できないという欠点も有る。一方ボディカムなら警察官の服に装備するのだから、屋内でもどこでも撮影する事が可能だ。ボディカムを導入した警察では、ダッシュカムとボディカムの両方の映像を用いて、より立体的に事件を捉えようとしている。
そういったわけで、昨今は警察の広報における有用な素材ともなっているボディカム映像。当ブログをお読みになる方なら、youtubeなどで一度ならず動画を見た事があるかも知れない。しかしニューヨーク州では、その映像公開が裁判沙汰になっている。原告はニューヨーク市警察巡査組合(PBA)、被告はニューヨーク市警察(NYPD)。巡査の組合が市警を訴えたわけだが、どういった理由なのか。そこには映像の法的位置付けを巡る争いがあった。
巡査組合のボディ映像公開差し止め請求が棄却される (2018年5月3日)
ボディカム映像公開、裁判所が一時差し止め命令 (2018年5月14日)
まずは経緯をざっくり述べよう。NYPDはボディカム導入の先行試験を実施しており、一部の警察官はボディカムを装着して勤務している。そのボディカムが捉えた映像には警察官が執行射撃を行うものもあり、警察委員長(Police Commissioner)の判断に基づき、公式ニュースサイトのNYPD Newsなどで一般公開をしていた。しかしPBAはこの公開が適法ではなく、警察官の正当な権利を侵害していると批判。州ニューヨーク郡地裁に公開差し止めを訴えたが、地裁は請求を棄却した(5月3日の記事)。PBAはこれを不服としてマンハッタン高裁に控訴したところ、高裁判事は裁定を下すまでの間、映像の公開を一時差し止める命令を出した(5月14日の記事)。
差し止めは飽くまで一時的なものだ。これが恒久的なものになるか、それとも再び今まで通り公開されるかは裁判所次第となる。ブログ主にはこの争いの最終的な決着なぞ知る由もないわけだが、気になるのはPBAの主張である。大まかに言えば以下のようなものだ。
PBAの主張
ボディカムの映像は、州公民権法第50a条で規定された人事記録であり、公開には制限がある。しかるに市警察は政治的な判断で公開しており、これは警察官の正当な権利や安全を脅かすものだ。
公民権法第50a条とは、各機関が所有する警察官や消防士、救急救命士などの人事記録を、当該人物の能力を評価するために裁判所命令によって開示させる規定のこと。例えば誰かが警察官を訴えたような場合に、当該人物の適性を確認するために設けられている。だが同条第2項や第3項の定めにある通り、開示命令を出すために事前に聴聞を行う必要があるなど、運用には比較的厳密さが求められている。元々NY州公民権法第50条というのはプライバシーについて規定した条項であり、当該条文は当該職員のプライバシーを守る側面がある。そういったことから警察に批判的な人々からは「汚職警官に天国を与える法」などとも揶揄されている。人事記録開示に関する是非はともかくとして、第50a条に規定する人事記録に該当するものは、そう易々と公開できないというのは間違いないだろう。
ここで問題になるのは、ボディカムの映像が人事記録か否かだ。こちらの記事によれば、当該条文が規定されたのは1976年のようなので、当初はそういった機器による記録を全く想定していなかったのが分かる。法を作った段階で想定していた人事記録とは、上席者が作成する勤務評定や賞罰など紙媒体の記録だったはずだ。今日ではそれらの多くが電磁記録になっている筈だが、それだけなら紙の代用物として考えれば無理はない。だがボディカム映像はどうだろうか。NYPDも含む多くの警察では、ボディカム映像は監視カメラなどと同じ映像証拠の一つであって、人事記録とは看做していないだろう。
しかしボディカムの映像を証拠として賞罰が決まる、各種処分の判断に用いられるのであれば、確かに人事記録の一つと言えなくもない。例えば勤務評定の累積点数で人事が決まるように、ボディカムの記録で停職や懲戒が決まるのだとしたら。ボディカムが人事記録「ではない」と断言するのは、現段階では難しいかもしれない。だからこそ高裁は、裁定を下すまで一時差し止めをしたのだとも考えられるのだ。
仮に州裁判所がボディカムの映像を人事記録と看做した場合、NY州の全ての法執行機関は、ボディカムの映像を他の人事記録と同様に取り扱うことになるだろう。州法に関する判例となれば、他の自治体や州当局も無縁ではいられないからだ。当該案件はPBAとNYPDの係争ではあるが、司法判断の結果によっては同州全体において、情報公開と記録の適正取扱をどう均衡させるかの話になるだろう。