いない人の声を聴くことは決してできないけれども、

 

いる人の声だけでは常に不十分なのだと思う。

 

「声なき声、飲み込む怒り、笑顔に秘めた悲しみ…」

 

と「奏逢」の中で歌われているけれど、そうした隠れたもの、隠されたものも、

 

もしかしたら、読み取ることができるかもしれない。

 

書かれたもの(=結晶化されたもの、という素敵なことを教えてもらった。結晶化は自分にとっても大事なテーマのひとつだったから驚いたけど、そのことを伝え忘れた気がする)と、その痕跡や徴候をたどることで、

 

「超能力なんてないけど/読み取れんじゃないかな?って」(再び「奏逢」より)

 

思いながら、きっとテクスト・本を読むのだと思う。

 

でも、そのテクストはもう既に書かれてしまったものである。そこには、思想は生きていないのかもしれない。

 

また往々にして、その著者も、既にこの世界にはいないかもしれない。

 

だから、問いかける、のだと思う。 

 

ドイツ語で「~について尋ねる、問う」を、fragen という動詞で表すときに、nachという前置詞を伴うことがある。

 

nachには「~の方へ、~へ向かって」という意味に加え、「~のうしろから、~に従って」といった意味もある。

 

ある対象に向かう問いかけは、もしかしたら、その対象の痕跡をうしろから辿っていく行程なのかもしれない。