Yoga Practice Crisis
なんて、大げさなタイトルをつけてみましたが…
どうにも、こうにもプラクティスに集中できない。
レンッスンに脚が向かない
レッスン後疲労が抜けない(溜まる)
じゃあ「やめたら良いじゃん」と思われる方もいらっしゃると
思いますが、それは「日本がいやなら出て行けば良い」とか、
「放射能が気になるなら引っ越せば」と同じようにある意味
ことばの暴力になりうると思うのです。
おっと、話しがそれちゃいました…
私がヨガが生活の一部と化した理由は、どんなに疲れていても、
嫌なことがあっても、プラクティスをすることでそういうネガティブ
なものから解放されるからなんです。
いかなくちゃ、ではなく いきたい!!!!!って感じ。
前は家から5分のスタジオだったこともあり、先生から、
そんなに1日に何回も練習しなくていいんだよといわれ
るくらい通っていたくらいハマってて…。
残業で遅くなって、次の日どんなに朝早くても、最終のクラスに
行き、夜のお食事会があれば朝7:00のクラスに行き…
(この寝坊助の私がですよ!!!!!)
それは一重に元気がもらえるからなんです。
アメリカの先生が素晴らしいっていうんでもないと思うんです、
むしろ丁寧さや真面目さでいえば日本の先生の方が素晴らしい
こともある、本当にそう。
生徒にしたって勝手なことする人はどこにでも居るし。
じゃあ、なんでなんだろう…
もちろん、Yoga はNo expectation, no judgement
ちょっと哲学的になるけど、ヨガはヨガをしている時間そのもの
がヨガでそれ以上でもそれ以下でもない。
ヨガで◯◯◯ (お好きな言葉をどーぞ)っていうのはちーと違う
今までは 英語じゃ無いからなのか、などなど色々考えたんです
けど…
最近気付いたのが、
間違いを指摘しない、けど「前の人を参考に、お手本に」というが
その前の人が間違っていてもそれを修正しない。
いわれてないから間違っちゃうだけなんだけど…
かつ、言って雰囲気壊したく無いというという気持ちはとても
良く分かるし難しい問題 注意するって本当に難しい。
特に、日本は、KYとかいって空気が大事だからね。間違って
いるのも空気でわかってよ!ってことなの?!
でもこれは、レッスンで、プラクティスです。
教わらなくてはわからない、教わるということは、
良いことは褒められ、悪いことは直されるのが当たり前。
他人が直されれば、自分も気付くし…
これって、やっぱり日本ではマイノリティー?許されないの?
間違っている人を注意しないで放っておくと教わる方も、
言ってることと、やっていることがちがうとがっかりしちゃう…
例えば、出て行く人や、違うことしている人、クラスの前や後
でダメって言われていることを、やっている人を注意しないと
なんだいいんじゃないと思ってしまうよね。
間違っている人のためもあるけど、まわりでちゃんとやっている
人に向けて失礼のないようにも言う必要があるのだと。
ローマに行ったらローマ人のするようにしなさい。
行ったんスタジオに入ったら、そこのルールに従うってごく
当たり前なことだと思うんですよね。
あと、どんなヨガでももっとも大事なSavasanaの時間に、一応
2分で終わりのルールなんだけど、その後だーーーーーーと
すごい音を立てて大勢の人がシャワーダッシュ。
その足音と、騒音は凄まじく、Savasanaどころではない。
ひどいときは先生がナマステを言う前に出て行く人もいる。
気付いたら、自分一人になっていた位周りがまったく気にならない、
毎回そのくらい深くプラクティスしてた時もあったけど、今は…
まわりが気にならないくらい深いsavasanaに入れればベストだけど
あれだけ轟音たてられちゃうと、よほど鍛錬された修行僧でも
なかったらリラックスなんて無理なんじゃないかしら?
と、せっかくヨガに行ってもここの所逆に疲れて帰ってくるか、
無理矢理行っただけエラい、練習したから良いと思い込ませて
いる状況が続いています。
誰かを批判するとかそういう意図ではないことをご理解下さい…
どんな場合でも注意をするのってエネルギー使うし、お金を払って
いる人がエラそうにできる文化だからヨガを含め、お金をもらって
何かを教える職業の人は本当に本当に大変です。
せっかく限りある自分の時間とお金を時間を使ってプラクティス
しているわけですし、たった90分間、1日に90分間だけでも
自分を律し、集中し、自分自身と向き合いながら、先生とも、
一緒にプラクティスするクラスメイトとも気持ちのよい時間を
過ごせるようにできると良いのですが…。
どうにも、こうにもプラクティスに集中できない。
レンッスンに脚が向かない
レッスン後疲労が抜けない(溜まる)
じゃあ「やめたら良いじゃん」と思われる方もいらっしゃると
思いますが、それは「日本がいやなら出て行けば良い」とか、
「放射能が気になるなら引っ越せば」と同じようにある意味
ことばの暴力になりうると思うのです。
おっと、話しがそれちゃいました…
私がヨガが生活の一部と化した理由は、どんなに疲れていても、
嫌なことがあっても、プラクティスをすることでそういうネガティブ
なものから解放されるからなんです。
いかなくちゃ、ではなく いきたい!!!!!って感じ。
前は家から5分のスタジオだったこともあり、先生から、
そんなに1日に何回も練習しなくていいんだよといわれ
るくらい通っていたくらいハマってて…。
残業で遅くなって、次の日どんなに朝早くても、最終のクラスに
行き、夜のお食事会があれば朝7:00のクラスに行き…
(この寝坊助の私がですよ!!!!!)
それは一重に元気がもらえるからなんです。
アメリカの先生が素晴らしいっていうんでもないと思うんです、
むしろ丁寧さや真面目さでいえば日本の先生の方が素晴らしい
こともある、本当にそう。
生徒にしたって勝手なことする人はどこにでも居るし。
じゃあ、なんでなんだろう…
もちろん、Yoga はNo expectation, no judgement
ちょっと哲学的になるけど、ヨガはヨガをしている時間そのもの
がヨガでそれ以上でもそれ以下でもない。
ヨガで◯◯◯ (お好きな言葉をどーぞ)っていうのはちーと違う
今までは 英語じゃ無いからなのか、などなど色々考えたんです
けど…
最近気付いたのが、
間違いを指摘しない、けど「前の人を参考に、お手本に」というが
その前の人が間違っていてもそれを修正しない。
いわれてないから間違っちゃうだけなんだけど…
かつ、言って雰囲気壊したく無いというという気持ちはとても
良く分かるし難しい問題 注意するって本当に難しい。
特に、日本は、KYとかいって空気が大事だからね。間違って
いるのも空気でわかってよ!ってことなの?!
でもこれは、レッスンで、プラクティスです。
教わらなくてはわからない、教わるということは、
良いことは褒められ、悪いことは直されるのが当たり前。
他人が直されれば、自分も気付くし…
これって、やっぱり日本ではマイノリティー?許されないの?
間違っている人を注意しないで放っておくと教わる方も、
言ってることと、やっていることがちがうとがっかりしちゃう…
例えば、出て行く人や、違うことしている人、クラスの前や後
でダメって言われていることを、やっている人を注意しないと
なんだいいんじゃないと思ってしまうよね。
間違っている人のためもあるけど、まわりでちゃんとやっている
人に向けて失礼のないようにも言う必要があるのだと。
ローマに行ったらローマ人のするようにしなさい。
行ったんスタジオに入ったら、そこのルールに従うってごく
当たり前なことだと思うんですよね。
あと、どんなヨガでももっとも大事なSavasanaの時間に、一応
2分で終わりのルールなんだけど、その後だーーーーーーと
すごい音を立てて大勢の人がシャワーダッシュ。
その足音と、騒音は凄まじく、Savasanaどころではない。
ひどいときは先生がナマステを言う前に出て行く人もいる。
気付いたら、自分一人になっていた位周りがまったく気にならない、
毎回そのくらい深くプラクティスしてた時もあったけど、今は…
まわりが気にならないくらい深いsavasanaに入れればベストだけど
あれだけ轟音たてられちゃうと、よほど鍛錬された修行僧でも
なかったらリラックスなんて無理なんじゃないかしら?
と、せっかくヨガに行ってもここの所逆に疲れて帰ってくるか、
無理矢理行っただけエラい、練習したから良いと思い込ませて
いる状況が続いています。
誰かを批判するとかそういう意図ではないことをご理解下さい…

どんな場合でも注意をするのってエネルギー使うし、お金を払って
いる人がエラそうにできる文化だからヨガを含め、お金をもらって
何かを教える職業の人は本当に本当に大変です。
せっかく限りある自分の時間とお金を時間を使ってプラクティス
しているわけですし、たった90分間、1日に90分間だけでも
自分を律し、集中し、自分自身と向き合いながら、先生とも、
一緒にプラクティスするクラスメイトとも気持ちのよい時間を
過ごせるようにできると良いのですが…。