日本神話が先?ギリシャ神話が先?  世界は繋がっている? | ほとんどの日本人が知らない世界一古い書物の預言。世界中の人に向けて書かれた預言

ほとんどの日本人が知らない世界一古い書物の預言。世界中の人に向けて書かれた預言

旧約聖書の中には人類史の大きな秘密が隠されており、新約聖書の最後の書の中には地球が疫病や地震や戦争で混乱すること、逃れるにはどうしたらよいか書かれています。心も身体も健康に、みんなでサバイバル目指しませんか?

オペラを歌う時、いつもはソプラノなのですが低い声も出るためアルトの曲を歌っていたことがあります。その時”オルフェオ”というギリシャ神話の歌を歌いました。

 

アレッ? オルフェオが奥さんのエウリディーチェに会いたくて黄泉の国へ行った話、どっかで聞いたことが?、と思いました。そうです、日本神話のイザナギはイザナミの話です。

 

イザナギとイザナミ

死んだ妻を探そうと、イザナギはイザナミを地下にある黄泉の国まで探しに行きます。彼女は黄泉の国の神々に出られるか許しを得ようとしました。イザナギに、たった1つのこと、これを行っている間に自分を見ないでほしいと頼みました。

彼は、櫛の端を折って、火をつけ、明かりにします。彼女をついに見出した時、かつての美しい妻の姿は腐敗した死体になっていて蛆虫に食われていたことに大変なショックを受けました。イザナミはその姿を見られたことを恥ずかしく思い、怒りました。自分の体から生まれた8つの雷神を送りながら、逃げるイザナギを黄泉の国で追いかけたのです。

 

 

オルフェオとエウリディーチェ

オルフェオ(竪琴を弾いて歌う人。昔のヨーロッパの放浪詩人みたいですね。)

黄泉の国の王妃プロセルピナはオルフェオの歌に感動し、王プルトーネにオルフェオの願いを叶えてあげるよう頼みます。
 王プルトーネは願いを受け入れますが、「現世に帰るまでエウリディーチェを決して振り返ってはいけない」と言います。喜んだオルフェウスは、冥界から出る道のりを行きます。彼が冥界の出口に近づいたとき、妻の足音を聞きました。すぐに振り返り抱きしめたくなりましたが、何とか気持ちを抑えていました。

 

出口にたどり着くと、その心臓の鼓動はどんどん早くなり、生者たちの世界に踏み出したまさにその瞬間、妻を抱きしめようと彼は振り返ってしまいます。

 

 

オルフェオのお話では、エウリディーチェは美しいままのようで安心しましたが、前にどこかでエウリディーチェも恐ろしい姿になっていたと聞いたような気がします。

 

どなたか知っていたら教えてね。

 

 

ギリシャはローマと違って古くからの歴史がありますね。大帝国になったのはアレキサンダー大王の時ですが、彼がバビロンで若くして亡くなった為帝国はあまり長くは続かず、赤ちゃんだった息子も殺されてしまい、帝国は家来だった4人がそれぞれ4つに分けて後を継いだので小さくなってしまいました。エジプトとシリアがその中で強国になりましたね。ただそのころもその前もエジプトもシリアもずっと国としては続いていましたが、聖書には古代ギリシャについてはそれほど書かれていません。つまりそれほどの大帝国ではなく、さらにイスラエルに攻めて行ってはいなかったっということがわかります。聖書でギリシャについて書かれ始めたのはダニエル書のあたりからで約2400年前ごろのこと、ギリシャはペルシャと戦ったりしていました。サラミス海戦などが有名ですよね。オルフェオのギリシャ神話は、3千年前の話とか4千年前とか言われていてよくわかっていないようです。それにしても古いので、日本の方がパクったのか?何方かご存知ですか?

 

シリアは三千年前頃つまり紀元前千年頃は掠奪隊(つまり強盗、というと失礼ですが・・)として、それ以降はは軍隊を送って盛んにユダ王国に攻めていっていました。今でもシリアについてはニュースなどで聞くことが多いですが、3000年間続いているすごい国ですね。イスラエルの神を馬鹿にしていたシリアのハダト(王という意味らしいく固有名詞ではない)はユダに負けた上(神の助けで)自国に帰ってから自分の息子たちに殺されてしまいました。

 

 

そういえば、大岡越前の大岡裁きも、今から3000年前にソロモンが裁いたイスラエルの女性の話と同じでしたね。二人の女性が、「私が赤ちゃんの親だ」と主張し、ソロモン王が「それなら切り分けて二人に与えよ。」と言ったというお話です。本当の母親はそんなことはできませんので、「その女に赤ちゃんをあげてください。」と言いましたよね。もちろん大岡越前の方は作り話だと思います。

 

世界はパクリでできている。

もちろん赤ちゃんの時から私たちは真似て成長している。パクリ同士。

あまり人を責められないですよね。

 

世界一の古い本聖書には『新しいものはない、何もない。』と書いてありました。

私たちは何もわからない赤ちゃんとして生まれてきて、出会った人々からいろんなことを教えてもらい生きていくうえで必要な事を覚えていくので、自分一人で学んだような顔をして偉ぶることはできませんよね。