英語ができる人がよく言われることは

語学は手段。英語ができても専門性や特技がないと意味がない。

という言葉です。
その通りではあるのですが、英語ができるようになるまでの努力はまったく考慮されないのが、語学の報われないところですね・・
最近、それについて我が意を得たり! という投稿を見かけました。

「英語ができてもね(特技がないとだめ)とよく言われますが、日本語しかできなくて特技がない人もたくさんいるのに、それは特技がないとだめだとは言われないんですよね」

それにはいろいろ複雑な理由はあるでしょうが、私の忘れられない経験をふたつお話ししたいと思います。


1. 英語ができる人に期待されるのは、普通のことができるうえで英語もできること

以前、私の会社に英語ができる帰国子女の人が入ってきました。
最初私が期待したことは次のようなことでした。

1. 都市名や国名を見て日本での日時から現地時間を調べる/チェックできる
2. 英語の人名索引の表記がわかる(「姓, 名」たとえば、Lennon, John/Yamada, Taro)
3. 外国の住所を見て郵便番号がどれかわかる(郵便番号と住所を分けてデータ入力するため)

しかし残念ながらどれもできませんでした・・
1は実際にする機会がなかったのですが、2と3は小学校から大学まで海外で生活し、英語で教育を受けた人なら当然知っているはずのことなのに、こちらがすべて教えなければなりませんでした。
その他、

・コロン、セミコロン、ハイフン、ドットといった記号の名前がわからず、「ここにコロンを入力して」と言っても戸惑ったり、外国への電話で英語でメールアドレスの確認をするときも、ハイフンをドットと言ったりする(私が隣で聞いていたので横から訂正しました)。
・Excelの項目をWordにコピペするだけなのに、コピペ漏れ、フォントがWordの他の文章とそろっていない、など要修正箇所多数。
・上記で、修正内容を具体的に書いても、漏れがあったり関係ないところを削除したりして、3回やり直ししても完全にならない。
・日本語のメールの返信文案を作成を指示すると、相手の不注意による問い合わせに対し「お問い合わせいただき誠にありがとうございます」、こちらが依頼した文書を送ってくれた人に対し「確かに拝受しました(お礼の言葉なし)」と書く。
・どんなに単純な作業でも、誰が説明しても見本を作っても間違えずにできたことがない。

という、もはや英語力とは別の次元で仕事ができない人でした。
でも、逆に言うと、そういう人でも環境に恵まれればできるようになるのが語学というものなのです。
少なくとも平均的には仕事ができないと、語学力とは生かせないものなのです。


2. 直接関係ないことをどれだけ知っているかがポイント

以前の職場に一時来ていた人は、英語教育では日本でトップクラスの大学で学び、国際交流イベントなどで翻訳や通訳をしていて、仕事や生活に直接役立つことしかしない人でした。
そのためか、オードリー・ヘップバーンの代表作「マイ・フェア・レディ」も知らなかったのには衝撃を受けました。
この作品は、下町育ちで訛りの強いヒロインが、言語学者による訓練で上流階級の美しい発音を身につけるという話です。イギリス社会では話し方で階級がわかる、就職にも影響するという文化的背景も描かれているため、英語の授業でよく取り上げられます。

あるとき、この人が美男を意味する「二枚目」の語源を説明した英文を訳していました。
「この『二枚目』は歌舞伎の芝居小屋の前に飾ったpictureが由来である。一枚目のpictureは人気役者、二枚目は美男の役者、三枚目は滑稽な役者のpictureを飾った」
という意味の文です。
その人はこのpictureを「写真」と訳していました。
日本に写真が入ってきたのは幕末です。「二枚目」の語源の話で、芝居小屋の前に飾ってあるのは当然写真ではありません。
写真の歴史など普段何の役にも立たない知識ですが、それがないために誤訳をしていたのです。
そもそも、仕事に直接役に立つことであれば誰でも知っています。そこでは差がつかないのです。


私も、英語なんかできても意味がないと言われ続けました。この数年、そう言われなくなりましたが、それでもその根拠は「英語の周辺知識があること」だと思います。
英語を学んでいたら当然身につく表記法(ここはハイフンでつなぐのか、大文字にすべきか、など)や、外国人の名前でどれが姓でどれが名か、非英語圏の人の「de, von, van」は姓の一部か、小文字でいいのか、返事をすぐにもらうためにメールの件名にどのような工夫をしたらいいのか、など。
あとは、他の人がAI翻訳した英文メールを、この部署での業務に特化して修正したりできること。

そう、やはり、普通のことが普通にできて、他の知識や経験があって初めて語学力は意味を持つと思うのです。