だいぶ前のことですが、BAWIの授業でアウトドアが話題になったことがありました。アウトドアの趣味のない私が返事に困っていると、ベト先生が
「たとえば、富士山にハイキングに行くとかどう?」
と話題を振ってきました。
「富士山はハイキングで登れるような山じゃないですよ。装備もいるし、経験もいるし、トレーニングもしないといけないし」
と答えると
「え? 5000m級の山ならわかるけど、3000m級の山でトレーニングが必要? 僕が育ったボゴタは標高2600mだよ」
と言われてずっこけました。

・・ああ・・こういうことなのね・・
よく軽装で富士山に登って遭難する外国人観光客がいて、我々日本人が激怒するわけですが、日本に住んで10年以上、日本語もできるベト先生でもわからないなら、いわんや単なる観光客をや、です。

かく言う私も「富士山を甘く見てはいけない」と答えたものの、具体的になぜ難しいのかわかっていませんでした。
それでも子供の頃から、富士山より低い山で、経験も技術も知識も豊富、準備もしっかりしていた登山家が遭難して亡くなる話はよく聞いていたので、何となくわかっていました。
(富士山登山が難しいのは、周りに雨風を遮るものが何もない独立峰だというのが大きな理由ですね)

そこで、今でもよく目にするのが
「日本に来るなら日本の習慣やマナーを調べて来い!」
という意見です。
まったくそのとおり。私たちだってネットのない時代に海外へ行くときは「地球の歩き方」を読んでいきましたよね。
ただ、このベト先生のように、当たり前だと思い込んでいることについては事前に調べたりしないのです。

私も初めてイギリスに行った90年代、地下鉄の駅の券売機で何度お金を入れても戻ってきてしまい「???」となっていたら後ろに並んでいた人が手助けしてくれました。

先にボタンを押してからお金を入れる方式でした。今でこそ日本の券売機は、お金が先でもボタンが先でも機能しますが、当時の日本の券売機は、すべてお金が先だったので思いもよらなかったのです。さすがにこれは細かすぎて「地球の歩き方」にも書いてありませんでした。

まあ、切符を買うくらいではだれも死にませんが、遭難者の救助となると救出する側も危険が及びます。しかも日本国民の税金が使われます。一般の国民の暮らしが苦しくなっているときにこれは許しがたいでしょう。
日本人は、無知、軽率さ、故意により平穏な日常を脅かす者、人の命を危険にさらす者は決して許さないということです。自分がいくらきちんとしていても、災害や火事などで突然それらが奪われるかもしれないので、誰かのせいでそうなることは絶対に許せないのです。
我々にとってはすごく当たり前ですが、他の国ではそうではないので、その前提がわからないということになります。

自分たちの価値観を理解できない、方針に従えない者をすぐに排除する、という前に、相手は何がわかっていて、何がわからないのか。どのような経緯があってどのような価値観を持っているのかを知るのが先だと思うのです。

何もこれは外国人と仲良くしようということではなく、相手のことを知っていればこちらが優位に立てて選べるということです。共存するか、利用するか、排除するか、戦うか、ということを。

その第一歩として外国語を学ぶことが必要だと思うのです。

・・ということを、「ジャルジェ家の婿 25」でアンドレに言わせています。

また、共存するにせよ戦うにせよ、相手を知らなければ優位には立てません。語学はその基礎の基礎で不可欠でしょう。