1年ほど前、仕事の取引先の社長がコロナに感染したと耳にした。

身近な人で新型コロナに感染したのは初めてだったので、衝撃が大きかったのを覚えている。

 

新型コロナが世界を一変させて以降、その方を拝見したのは、zoom会議で一度だけ。

Zoom会議時の季節は夏で、感染者数もちょろっと程度だった頃で、会議の参加者も皆感染してなかったと思う。皆いつも通りだった。その方も。

それから半年後、感染されたワケだけど、無事回復され、なによりでした。

 

同じ空間でその方に実際にお会いしたのは、Zoom会議からさらにさかのぼること半年以上前。2019年12月の打ち合わせの時。

私は当時、2学期が始まって早々、息子からもらった風邪がなかなか治らず、なんと3ヶ月ほど咳に悩まされながら生活していた。どんどん咳が悪化していく中、取引先数社の担当者が集まる、出席者が多い会議だったので、体調が悪かったものの休むわけにもいかず、マスクをして打ち合わせに行った。

私の他にも一人だけマスクをしている方がおられたのだが、それが1年ほど前にコロナに感染された取引先の社長だった。その社長は席につくとマスクを外されたので、かなり迷ったものの、ここは自分も外すのが正解かと、私もマスクを外したのを覚えている。

 

新型コロナの問題が出てくる前の時代だったものの、欧米諸国に比べたら日本におけるマスク使用率は飛び抜けて高く、言うなればマスク天国日本って感じではあったけど、そんな日本でも世の中的に冬場、コンビニなど接客業の人達がマスクをするのはよろしくない、お客様に失礼だ、目上の方に失礼だ、という風潮があった。

なので、迷った末にマスクを外したのだけれど、今だったら、絶対にありえない行動。

タイムマシンがあったら、戻って自分にマスクしてていいと、言ってあげたい。

 

20代の頃勤めていた勤務先で、先輩がしばらく咳こみながら勤務している時があった。

人員がタイトなので、なかなか休めず、はた目から見ても休みたいところ毎日出勤しているのが分かる気の毒な状態で、当時の課長が、ある日先輩に「病院に行くなら休んでいいぞ」と声をかけていた。

この言葉、優しい言葉と捉える人もいれば、厳しいなと捉える人もいるだろう。

私はこの言葉を聞いた時、社会の荒波に出ると世の中厳しい、ということを改めて感じた。

 

病院行くなら、という条件つきの休暇取得の許可。

家でただ療養するだけなら休んで良いとは言えないけど、病院に行くのだったら休んでも良い、つまり「体調が悪いから家で横になって体を休めるというのは、社会人として正しくない休みの取り方である」という価値観を学んだ。

人員に余裕がないから体調が悪くても根性で出勤してね、というのは、昔懐かしい、かつて日本人が大好きだったスポ根スピリッツの名残か?!

 

人類が新型コロナに悩まされる、という経験を経て、現代の新しい常識は、風邪気味で具合が悪い人は出勤しないのがむしろマナー。 

時代が変われば、人々の常識も変わるものだということを実感する。 

 

2年ちょっと前、咳に悩まされたその悪夢の会議の頃は、いったん咳が出てしまうとなかなか止まらない状態だったので、会議中はなりふり構わずひたすらのど飴をなめ続け、咳こまないことにだけ全集中し、早く会議が終わることだけを願って時間が過ぎるのを待つという、もはや会議の内容はそっちのけ。。。

市販の強めの咳止めシロップを事前にのんでいかなかった自分の痛恨の判断ミスを恨んだ。

 

マスクをすると、あたたかい空気を吸えること、

自分の呼気でマスク内の湿度があがるなどの理由から咳が出にくくなって生活しやすいということを咳に悩まされた日々の中で実感していたので、新型コロナがこんなに流行る前、世の中の主流だった社会人の暗黙のマスクマナーのプレッシャーには、個人的にはかなり閉口していた。

 

テレビのコメンテーターが、

「自分のところにインタビュー取材に来た人がマスクをしていたら、自分は嫌だ」

と言っているのを観て、

 

風邪が移ってもいいのかね?!

マスクぐらい個人の自由にさせてくれよー、

健康な人にはマスクを必要とする人のマスクのありがたみというのが分からないんだな…

自分もそうだけど、人間ってなんでも体験しないと分からないもんだな、人間の想像力ってたいしたことないや

などと人間の想像力の限界に絶望しながら通勤の電車に揺られる日もあった。

 

それが今や、接客業の人はもちろん人に会う場面では皆がマスクをするべき、なんなら家庭内感染を防ぐために家の中でもした方が良いかも、という世の中になっている。

新型コロナウイルスによりマスクの効能が大幅に見直され、人々に意識改革が起きた。

マスクよ、お前、実はすごいじゃないか!

これまで、みくびっていて、ごめんよ!

ってな感じで。

 

確か以前は、医療の専門家も、マスクは拡散を防ぐ効力は少しあるけれど、マスクをしているとかからないということは無いと断言されていたように記憶している。

ウイルスは小さいからマスクを通り抜けるからというのがその根拠だった。

今じゃ、ウイルスを吸い込む量を減らすことで罹患するリスクを減らせるということを医療の専門家も言い、一般の我々も常識のレベルでそういう認識をしている人が殆どだ。少なくとも日本では。

 

たかがマスクではあるけど、人々の価値観や常識がこんな短期間で変わる様を目の当たりにすることって、人生の中でナカナカそうあるもんじゃないと思う。

マスク天国日本で、マスクに関しての人々の意識が、ひと月ほどでまたガラっと変わったのだ。

境目は、2020年の2月頃だったと思う。

 

昔、どこかの商品のキャッチコピーで、「常識を疑え」ってのがあったと思うけど、改めて自分の中の絶対や、世の中で常識になっていること、自分の物差しを時々疑ってみるのって大切だと思う。

 

疑ってみる、ってことをすれば、この広い世界には自分が使ってるのとは別の、違う物差しがあることにも早く気づけるし、その新しく発見した物差しの方が実はより正確だった場合、正解に早く辿り着ける。

 

自分の物差しが正しいとひたすら信じて疑わない人はどこにも辿り着かない。自分のよりもっと正しい物差しがあっても、永久にその物差しの存在に気づくことなく生きていく。

別にそれで困らないし、それでいいと言う人もいるかもしれない。でも世の中がそういう人ばかりになってしまったら、人々はそこここで対立し、分断されてしまうのではないかと思う。今のアメリカみたいに。

 

自分の物差しが正しいって信じて疑わずに自信満々にズンズン生きてる人が昔から男女問わずどうも苦手だったけど、でも、その一方で、そういう人が時々羨ましく思えることもあった。

でも半世紀ほど生きてみて、やっぱり、自分は時々自分の物差しってあってるかな?自分が正しいって信じてることって本当に正しいかなって疑う人でありたいなと思う。

いくつになっても。

まだそう思える自分は大丈夫かも、と思うと、ささやかな励みにもなる。

年を重ねるごとに頑固になっていくのを感じるし、難しくなっていくかもしれないと思うだけに、これからも意識していきたい。