突き詰める。

この欲求に覚悟がある人が僕にはとても輝いて見えるようです。

何事においても知れば知っていくほど奥が見えなくなるような気がします。

レベルって上限があるのかな?って。
もちろん満足するレベルは個人差があると思いますので、一概には言い切れないと思いますが。


物事に興味をもって、まずは一つ知ってみる。
また次が気になってもうひとつ知ってみる。

それを繰り返していく。
傷つく事もいとわずに。
いつのまにか色んな事ができるようになっている。
でも、それでもまだ足らない。

そんな事をがむしゃらにやっている人が好きです。

その知りたい事は一つの事とは限りません。
今までずっと一生懸命やってみた。
その結果もっと違う形での表現がしたいと思った。

それも自分というひとつを突き詰めるための覚悟。


僕がそういうものを持っているんじゃないかなと感じる、僕のすてきな人たちは言い訳をしません。

いや、言い訳をいってもそれが不思議と愚痴や不満に聞こえないのです。

きっとそれは心の底で、自分でなんとかする、もしくは自分にも原因があるとわかっているからなのではないかと思います。


その自分をも突き詰める欲求に、僕は魅せられてしまいます。

















MY LITTLE GARDEN-くも








最近目があまりよく見えません。

なんだか結構な頻度でボヤーっとみえています。

パリッと見える事は随分ないな。


僕の視界をさえぎるモノが無いところへ行くと奥行きを感じます。

それは物体的な事だけじゃなく。

思考も視界も広く深くなる気がします。


そう思うと普段はまるでフィルターがかかっているような時間をすごしているような気がしてしまう。

何事も自分のフィルターを通して感じる。

感じたものをまたフィルターに通してカタチにする。


僕のフィルターはまだキレイだろうか。


眩い光も挑戦的に押し付けるような音も、もしかしたら今の僕にはいらないのかもしれない。

嫌なモノを取り込まないようにしているフィルターはもしかしたらもうほこりだらけかもしれない。


出すときも入れるときもフィルターを通さないようになれるのかな。


う~ん。生きている間は無理な気がする。


何にでも溶けて、何でも溶け込ませるようなモノになりたいわ。
スッカスカでドロドロで形にもならないカタチがいいな。








 きっと今年は人を見る時。

感じるとき。

良くも悪くも人の生が入り込んできます。

生まれることも死に行くことも。



人にはそれぞれの生きているカタチがあるという事をよく忘れてしまいます。

ちょっと離れていた友達も僕と同じように時間を重ねている。

そこには様々な事象があり、時系列もある。

それを感じると、あまりの情報r量にびっくりしてしまいます。



そして今、人の生を感じることにより、自分の所在や責任が見つかります。




いくら一人になりたいと願えど、帰るところはやはり人なのだと思う今日この頃。