リーンのガラパゴス批評~“この国のかたち”はどこへ行く。

リーンのガラパゴス批評~“この国のかたち”はどこへ行く。

“3.11”の衝撃を受け、日本は大きく舵を切ろうとしています。この国のかたちを見据えるため、震災と原発について書く時事批評ブログに変身します。文章を書くだけのブログに何ができるでしょうか?

 文化的な記事はリーンのガラパゴスサロン をご覧ください。趣味、娯楽、テレビや映画鑑賞の記事はこちらで見ることができます。


 追記として ⇒ 10月26日に、山下達郎坂の上の雲」、「ハゲタカ」の記事をすべて“リーンのガラパゴスサロン”にすべて移しました。上記の記事をご覧になりたい方はぜひともサロンにお越しいただけますようお願い申し上げます。

 今まで書いてきた記事は、それが震災関連でも、達郎さんの記事でも、たとえ拙い言葉で綴られていてもそれなりにカワイイ子どものようなものです。時事批評を旨とするガラパゴス批評や趣味を連ねるガラパゴスサロンどちらもご愛読いただけたら幸いでございます。 

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 6月26日に一斉に開かれた全国の電力会社の株主総会で、一部株主より提案された「脱原発」提案はすべて否決された。この中には、福島第2原発や柏崎刈羽原発の廃止なども議題に上がったがすべて否決された。


 数年前にNHKで放映されたドラマ『土曜ドラマ ハゲタカ』では、主人公・鷲津政彦が大空電気会長に向かって


「会社は株主のものだということをお忘れですか?」


 と冷ややかに言い放つ場面があった。だが、現実の世界では株主の意見など経営陣に聞かれるはずもない。


 なんだか電力会社に「電気を使用していい生活を送りたければ我々のいうことを聞け」と言われているようで少々腹立たしい。自家発電で暮らせないのかなあ、と想像する日々、なんだか嫌になってしまう。

 僕(藤澤数希氏)は、潜水艦や艦船など、世界では過酷な環境で原子力技術が使われているのに、日本では地震があるから原子力発電所を建設できない、と現時点で決めてしまうのは、技術立国日本としていかがなものかと思います。新興国を中心に今後も今後も世界は原発を作り続けるのですから、日本は今回の事故の経験を生かし、世界の原子力技術の安全性の向上にこれからも貢献していくことが責務となるでしょう。(155P。括弧、筆者注)


「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)/藤沢 数希
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 ハイテクノロジーを日本国内で生かせない原発メーカーの意を汲んでのトップセールスは、実は相手国の国民から反発を受けている。インドでも福島第一原発事故以降、国内各地で激しい反原発運動が発生していて、1月(2014年1月25日から3日間。筆者注)の訪問時にも首脳会談が行われたムンバイなどで反核団体などがこんなメッセージを掲げながら抗議活動を展開した。


安倍さん インドはあなたを歓迎します でも原子力はお断り!」 (224P)


原発ゼロで日本経済は再生する (角川oneテーマ21)/吉原 毅
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 この2冊を比べれば、「反原発」は今生きている人類の英知を信じる方向に傾き、「原発ゼロ」は自分たちの世代の死後のことも考えようとのトーンが見え隠れしている。地球の上で生きるとはどういうことか、もはや原発問題はそこが問われている。人間が生きることは、どうしても地球に依存していく。この重みを考えるべきだ。単に、福島の事故処理やエネルギー問題だけのことではない。

 


 どちらかといえば“脱原発”が私の立場といえますが、やっぱりバランスを取らなければいけないと考え、“親原発”の本を読もうと思って購入したのが今回の書籍だ。

「反原発」の不都合な真実 (新潮新書)/新潮社
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 2012年2月20日に発行されたこの書籍を、実は書店で立ち読みしている。ざっくりとした感想を書けば、


 「親原発」の好都合な事実


 というものだった。原発による放射線の影響よりも、大気汚染がより深刻な被害をもたらす、という論調で一貫して書かれているのが特徴である。大気汚染の影響に関しては反論の予知は無いが、では原発に関する論調はいささか、心もとないし何気なく書いてあっても見逃せない文章が潜ませてある。


 ウランが枯渇した後も、プルトニウムを利用する高速増殖炉など、さらに数千年後も資源の枯渇までの時間を引き延ばす技術が開発されています。(P105)


 ???……。高速増殖炉?あの「もんじゅ」のことですよね。あれはまともに稼働してないのでは?理論的には正しいのでしょうが、施設としては作動していない技術をもって「数千年も資源の枯渇を引き延ばす技術」と書いてしまうのは、はたして正しいのでしょうか。こうした文章が書かれていると、どれほどデータを駆使して書いても穴が見えてしまう。技術的に解決できない巨大施設を今後も頼りにして原発を稼働し続けるのは将来が不安です。そして、取り上げた文章のわずか1P前にはこんな文章が載せられている。


 ウランは100年、石炭は120年ぐらいあります。少なくとも僕たちが生きている間、そして僕たちの子どもの世代が生きている間に石炭やウランがなくなってしまうことはなさそうです。


 私が先日とりあげた『原発ゼロで日本経済は再生する(吉原毅著)』の216Pでは、こうした自分や次の世代だけの豊かさを追求するような考えに対してこんな文章をよせて疑問を呈している。


「君はあと何年生きるつもりなの。あと10年か20年でしょう。そんな先のことを考えてもしかたないじゃないか」

 私は二の句が継げなかった。自分はどうせ死んでしまうから、先のことは関係ないと思うのか。それとも、連綿と続く歴史の中で自分は自分はリレー走者の一人だと意識することができるのか。


 この2冊に関する限り、原発推進派といえる“不都合な真実”の方が結局、自分たちの利益優先のために原発の稼働を推し進めていると読める。何気ない文章に潜む利己主義をどうしても感じてしまう。私だって結果的には原発の恩恵を受けて生きている。けれど、原発事故を見てしまえば疑問を感じるし、地球の未来にどうしたらいいか、なんて壮大で自分に手に負えないような偉そうなことも考えてしまう。


 一応、零細農家の長男として思うことがあります。福島原発事故は、結果として放射能汚染で福島の土壌を汚染してしまいました。先祖から受け継いだ土地を汚された経験がある人にとって、それはつまり地球の肌を汚すことになってしまう事故を引き起こす可能性のある原発を、今後も大手を振って稼働、そして他国で建設してもいいのでしょうか。それを少しでも引き起こす可能性がないエネルギー開発を考えてはいけないのでしょうか。


 原発、技術的に不安定な施設を未来の子孫に残していいのでしょうか。


『「反原発」の不都合な真実』からはどうしても利己主義の影をみてしまうのですが、本当にそれでいいのでしょうか。


原発ゼロで日本経済は再生する (角川oneテーマ21)/吉原 毅
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 この本が面白かったのは、4つの事故調査報告書の分析ではなく著者・塩谷喜雄氏の独自の分析だった。


 福島第一原発には、JRのようなリアルタイム防災のシステムはあったのだろうか。事故調報告には一切書かれていないので、多分存在しなかったと思われる。(P199)


 この本によればリアルタイム防災とは、新幹線に導入されている地震の早期警戒情報システムのこと。「ユレダス」という名前もつけられたシステムで、大地震が発生したら最初に震源から発せられるP波と呼ぶ進行速度が速い第一波を捉え、遅れて次にやってくる本震(第2波=S波)の大きさを予測し、走行中の車両を素早く停める、というものだ。


 恥ずかしながらまったくこのことは考えもしなかった。福島第一原発は津波の前の地震で機能不全に陥ったと思っていたが、「ユレダス」のようなシステムがどうして導入されていないのか、ということはまったく思いもよらないことだった。著者によれば、原発の再稼働に関する構造の問題にはどの報告書も触れていないという。


 日本の原発に共通する構造問題についての評価や解析は、すぐに既存原発の再稼働問題と結びつく。それゆえかどうかは知らないが、4事故調とも、その辺についての言及はない。再稼働問題にかかわるのを避けた、という構図かもしれない。(P178)


 名だたる有識者が寄ってたかって作成した事故調査報告書でも、日本の将来に関わりそうな評価は避けたのか。それとも私のように知識不足で「ユレダス」のような防災システムを持つことについての是非は思いつかなかったのだろうか。事故の責任はどこにあるのかを明示できても、そこまでが報告書の限界ということかもしれない。


 今大事なのは稼働を停止している原発を再稼働するのか、それとも廃炉するのか。すべてはここに関わってくる。ものを書く人間は直接はかかわれないけれども、未来を提示できる文章を書かなければ意味がないんじゃないか。ことは数十年後、いや数万年後に関わってくることなのだ。


「原発事故報告書」の真実とウソ (文春新書)/塩谷 喜雄
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 蛇足ながら、4事故調の特徴について。


 国会事故調(3ツ星半)―東京電力福島原子力発電所事故調査委員会


  国民が求めていたのはパフォーマンスではなく、確かな学識と見識ではなかったか。それを封じて、後にその根拠が疑われる、首相と官邸の批判に走り、結果として東電の責任逃れに手を貸した。


 政府事故調(3ツ星)―東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会


  詳細に事故の経過を追い、そのシーケンスを明らかにした点では傑出している。だが、責任の所在に触れないように配慮した結果が、これらのどこかで他人事のような一般論なのかもしれない。


 民間事故調(3ツ星)―福島原発事故独立委員会


  委員のほとんどが米国留学、米国駐在の会見を持つ。それを理由に妥当性を疑うつもりはないが、委員のコメントが並ぶ巻末、東電の事業者責任にはほとんど触れず、『政府が悪い』の大合唱はいささか異様だ。


 東電事故調(●1ツ)―福島原子力事故調査委員会


  東電事故調は、事件の第一容疑者が証拠を自分で管理したまま調査してみせるという、奇怪極まりない存在、報告書に書かれた大量のデータは、東電に落ち度はない、と言い訳する材料としてのみ提出されている。


 ※ 調査委員会の後に記入されている星は、著者がミシュラン風にならってつけた評価。評価した文章は、書籍の帯に書かれていたものを転記している。

 もしかしたら、評論家よりもこうした在野の経済人のほうが信用できるのではないか。


今回読んだのは


原発ゼロで日本経済は再生する (角川oneテーマ21)/吉原 毅
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 著者の肩書は、城南信用金庫理事長、というもので、およそ原発問題とは縁遠いと思われる方が書かれた、脱原発の本である。ところが著者は


 信用金庫のルーツをたどっていけばむしろ必然(脱原発)だった。(P16、カッコ内筆者注)


 と言い切る。ルーツとは「一にも公益事業、二にも公益事業、ただ公益事業につくせ(P17)」という言葉を紹介しているように、地域の中小企業に尽くす信用金庫としての矜持が脱原発に向かわせたということのようだ。


 この本で興味深いのは


 近代社会の思い上がりとお金の暴走


 原発と拝金主義の奇妙なつながり


 といった章の題名に表れているように、お金を扱う企業に属しながらも、お金の魔力に魅入られるな、と説いていることだ。


 お金というのは時に人の心を狂わせ、暴走させる(P195)


と、城南信用金庫の三代目理事長・小原鐵五郎の言葉を紹介し、そうしたお金にとらわれた人間の欲望が分かちがたく原発と結びついていると書いている。


 しかし、今生きている人間がいくら欲望に身を焦がそうとも、10万年後に世界には責任を持てない。


 10万年だよ。みんな死んでいるよ。日本の場合、そもそも(核のゴミの)捨て場所がない。原発ゼロしかないよ。(P220。小泉純一郎・元首相が毎日新聞に寄せたコメント)


 どれほど欲望を膨らませても、今生きるすべての人間がこの世から消え失せた後のことに、いかにして責任を取るか。吉原氏が書いたこの本には、人間の際限のない欲望と、未来への責任の取り方ということを深く考えさせられる。