子供が再び学校へ行くようになった





当たり前にあると思っていた平和が


当たり前ではなくなり


長年積み重ねてきた価値観や


アイデンティティが崩壊し


暗闇の中を手探りで、どうにか生きた




あの辛い時期を、少しずつ少しずつ


螺旋階段を登る様に浮上して


笑い合ったり、感動したり、何かを選んだり、


心が蘇ってきた頃





子供はあと一年、小学生という時期


あっという間に大人になってしまうのだし


学校に行かなくても学べることがたくさんある




そんな風に、肩の力を少し抜いて




いっそ母子でたくさん

思い出を作ろう!晴れ音譜




なんて思っていた矢先のこと






ある朝、おじいちゃんと一緒に


犬の散歩に出かけた子供が


登校途中のクラスメイトに会った





子供「行ってらっしゃーい!」


友達「お前、学校行かないの?」


子供「うん、行かない」





そんなやり取りがあったそうだ




おじいちゃんは思った



「こいつはスゴイ

堂々としている!」キラキラポーンしっぽフリフリ





年老いた私の父が、


孫が学校に行かない選択を認めたこと




私はその事が嬉しかったおねがい




初めから両親が、孫の不登校と


それを認める娘(私)を容認していたわけではない




「学校に行かないでどうする!」



「お前はこの子の将来が

心配じゃないのか!」むかっ




そんな当たり前の言葉を、山のように浴びてきた

そりゃ誰だって心配だよねー

病むよねー悲しい





1年半もの間、昭和ゴリゴリの価値観を


書き替えられない両親と


何度も何度もやり合ったチーン






再び繰り返される家族の諍い…




モラ夫との生活で、心身を壊すほど


追い詰められた私と子供にとって、


言い争いはダメージが大きい




再びの絶望を感じる日もあった…チーンショック




でも、モラ夫との生活で


かなりの耐性がついていた私たち




モラ夫に比べれば、所詮ただのケンカ



虐待でも何でもない



ケンカになったとしても


何度も何度も伝えるうちに



少しずつ歩み寄ってくれた✨





私が独りよがりに言っていた訳ではなく


公的なサポートを受けたり


専門家と繋がったり


親として学び続けていたことも


両親の理解に大きく響いたと思う

昭和は手強いよー







子供の選択を認めること



自分の選択が認められること







その事の意味も、重要性も、今ならハッキリ分かる




そしてそれが、大人にとって


とても難しい事だということも分かる





自分で決めたことの責任は


自分で取る





子供に、学校に行かないことで


起こりうるリスクは伝えた




選択肢も与えた




その上で、子供が必死に選んだ選択


私は認めるし、サポートが必要なら何だってする








おじいちゃんと犬の散歩をした、


あの朝の数日後のこと





「明日、学校行く」ニコ





まるで、それがずっと変わらず


当たり前だったような


自然体の子供の言葉





「あ、行くの」ニコニコ





私も、お茶を飲みながら


いつものまんま、応える









再登校が解決とは思っていない



子供の心の傷が消えたわけではない



この先もずっと私は心理の勉強を続けるし、


必要とされるならサポートをするつもりでいる






いつだって帰って来られる場所


安心安全な場所




その場所があるから


自分で選択して


チャレンジして


時には傷付いたって


帰って来ればエネルギーチャージして


また飛び立てるんだ




そうしているうちに




自分の心の中に

その場所が育つんだね✨







私にはやるべきことがある


先ずは、健康✨でいなきゃ







子供の不登校が教えてくれたこと





文字や言葉だけでは分からなかった



かけがえのない経験






この先も、何か起こるだろう



動じないのは不可能だけど



必ず学びがあると、今は思える






私は私の人生を生きる



考えて考えて、自分で選択する



選択できる、私になる






たった一度の人生だからね







子供よ




ありがとう虹