― 手放しているつもりで、感情を押し込めていませんか? ―
最近、セッションに来てくださる方とお話をしていて、感じることがあります。
それは、
「内観する」ということの大切さを知っている人が、本当に増えたなぁ
ということ。
自分の中に何か感情が出てきた時に、
「相手が悪い」
「環境が悪い」
「どうしてこんなことが起きるの?」
だけで終わらせるのではなくて、
「私はどうして、こんなに反応しているんだろう?」
「この感情は、どこから出てきたんだろう?」
「私の中に何があるんだろう?」
そんなふうに、自分の内側を見ようとする。
これは本当に大きな変化だと思います。
実際Le'ale'aに来てくださる方の中にも、自分なりのやり方でしっかり内観をして、自分自身と向き合っている方がたくさんいらっしゃいます。
だから私は、それを見ながらいつも、
「ちゃんと皆さん自分と向き合ってるんだな」
と思っています。
ただ、その一方で。
セッションでじっくりお話を聞いていると、
「あぁ、惜しいなぁ。もう一歩なんだけどな」
と思うことも、最近すごく増えてきました。
これは「今までの内観の仕方が間違っていました」ということではありません。
そこまで自分を見られるようになったからこそ、次に見えてくるものがあるということ。
今日は、そんな「もう一歩深い内観」について書いてみたいと思います。
「手放す」と「押し込める」は、全然違う
たとえば、誰かに対して強い執着心があるとします。
自分でも、
「私はこの人に執着しているな」
ということには気づいている。
そして、
「執着は手放した方がいい」
ということも頭ではわかっている。
だから一生懸命、内観する。
ここまでは、とてもいいんです。
ところが、その先で起きていることがあります。
執着心が湧いてきそうになった時、
「ダメダメ。執着しちゃダメ」
「手放さなきゃ」
「もう執着しない私にならなきゃ」
と、自分の中から出てこようとしている感情を、ギュッと押し込めてしまう。
そして、執着心が表に出てこなかったことで、
「よし。手放せた」
と思ってしまう。
でも
実はそれは、手放したんじゃないんです。
押し込めただけなんです。
ここって、すごく大きな違いなんですよね。
セッションの中で、
「それ、手放してるんじゃなくて、抑えてない?」
とお伝えすると、
「あ……」
となる方がいらっしゃいます。
そこで初めて、
「私、手放したつもりで、出てこないようにしていました」
と気づく。
これ、結構大きな落とし穴なんじゃないかなと思っています。
執着する自分がいてもいい
執着心でも、嫉妬心でも、依存心でも。
そもそも、それが出てきたこと自体を「ダメ」としてしまったら、その感情がどうして生まれたのかを見ることができません。
だから、本当に手放していきたいのであれば、一度はちゃんと出してあげる必要があります。
「私、この人にめちゃくちゃ執着してるんだな」
それでいいんです。
むしろ、一度認めてしまった方がいい。
「どれだけ執着してるんだろう?」
って、怖がらずに見てみる。
もちろん、そこで出てきた感情を、そのまま相手に全部ぶつけるという意味ではありません。
自分には執着がある。
そう自覚できている段階であれば、
「今、ものすごく執着したくなってるな」
「連絡したくて仕方ないな」
「私だけを見てほしいと思ってるな」
そんな感情が出てきても、それを眺めることができます。
頭ではちゃんとわかっているから、感情が出てきたとしても、そのまま行動に移さずに、一度立ち止まることはできると思うんです。
だから、そんなに怖がらなくて大丈夫です。
むしろ、
「こんなこと思っちゃダメ」
と自分の感情を奥へ奥へと追いやってしまう方が、根っこの部分は残ったままになります。
一度わかったはずなのに、また出てくることもある
内観を続けていると、
「わかった!これが根底にあったんだ」
と思える瞬間があります。
そこに気づいて、泣いたり、腑に落ちたりして、
「これで手放せた」
と思う。
ところがしばらくすると、また同じような感情が出てくる。
すると、
「え?私、手放したはずなのに」
「まだできてないの?」
「また同じことやってる」
って、自分にダメ出ししたくなる人もいると思います。
でも、それも別におかしなことではないんです。
一つの執着心が、一つの原因だけでできているとは限らないから。
こっちからも
あっちからも
幼い頃の経験からも
過去の人間関係からも
自分でも忘れていた出来事からも
いろんなところから伸びてきたものが絡まり合って、一つの大きな「執着」という感情になっていることもあります。
だから、
「あ、こっちにもあったんだ」
でいい。
また出てきたということは、今度は別の角度から見るところが出てきたということだから。
実際にそれを自分で経験すると、
「一個気づけば全部終わるわけじゃないんだ」
ということが、本当の意味でわかってきます。
それも、とても大切な内観だと思うのです。
泣きそうになった自分を、また自分で止めていませんか?
そして、もう一つ。
これもセッションをしていて、結構多いなと思うことがあります。
涙を止めてしまう人。
もちろん、人前でワンワン泣くのは恥ずかしいと思うこともあるでしょうし、それは私だってあります。
でも、一人で内観している時。
誰も見ていない。
泣いてもいい環境にいる。
そして、やっと自分の中から感情が出てきて、
「あ、泣きそう」
となった時に、
なぜか自分で涙を止めてしまう。
そんな人がいます。
そこには、
「泣いちゃダメ」
「こんなことで泣いたらダメ」
「もっと強くならなきゃ」
「いつまでこんなことで泣いてるの」
「泣いたら負け」
そんなことを言ってくる、もう一人の自分がいたりします。
でも、そこまで来たこと自体がすごいことです。
今までずっと我慢してきた。
ずっと奥にしまってきた。
その感情がやっと、
「私、我慢してた」
「本当は悲しかった」
「本当は苦しかった」
って顔を出そうとしている。
涙まで出そうになっている。
だったら、その子をもう一度奥へ追いやらないであげてほしいんです。
「今日はちょっと泣かせてね」
そんな時は、自分の中にいる厳しい自分に、
「いやいや、ちょっと待って」
って言ってみてください。
「私、今やっと泣けそうだから」
「ずっと我慢してたみたいだから」
「今日はちょっと自分に泣かせてあげようと思う」
「だから、ちょっと待っててくれる?」
と、厳しい自分に伝えてみてください。
ここで大切なのは、
泣くことを止めている厳しい自分を、今度は悪者にしないこと。
これもすごく大事です。
「また邪魔してる!」
「この厳しい自分がいるから私はダメなんだ!」
ではないんです。
その厳しい自分にも、そうならざるを得なかった背景があるはずだから。
弱かったら傷つく。
泣いたらもっと苦しくなる。
感情を出したら自分を保てなくなる。
だから、
「強くいなきゃ」
「我慢しなきゃ」
「泣いちゃダメ」
そうやって、自分を守ってきたのかもしれません。
言ってみれば、それも一つの防衛反応です。
自分を守るために、自分に厳しくするしかなかった時期があったのかもしれない。
だったら、その自分も嫌わなくていいんです。
真反対の自分がいても、どちらも「私」
泣きたい自分がいる。
泣くなと言う自分がいる。
真反対ですよね。
でも、どちらも自分です。
執着したい自分がいる。
執着なんてしたらダメだと言う自分がいる。
これも、どちらも自分。
内観というと、
「本当の自分を見つけなきゃ」
と思う人もいるかもしれないけれど、私はどちらか一方だけを「本当の自分」にしなくてもいいと思っています。
どちらにも、そうなった理由がある。
だったら、両方の話を聞いてあげればいい。
「あなたはどうして、そんなに悲しいの?」
そしてもう一人には、
「あなたはどうして、そんなに泣かせたくないの?」
そうやって、両方と話す。
これが、よく言われる「俯瞰して見る」ということにもつながっていきます。
感情の中に入り込んで、
「悲しい!」
「でも泣いちゃダメ!」
と二人で戦わせるのではなく、
もう一つ上のところから、
「あぁ、泣きたい私と、泣かせたくない私がいるんだな」
と眺めてみる。
その視点が一つ増えるだけでも、内観はかなり変わってくると思います。
内観が途中で止まる人は、自分に厳しすぎることが多い
いろんな方のお話を聞いていて私が感じるのは、
内観をちゃんとしているのに、なぜか途中で苦しくなったり、同じところで止まってしまったりする人って、
一言で言えば、
自分に厳しすぎる
ことが、とても多いんです。
他人と比べて、
「私はできてない」
自分に、
「またダメだった」
そして、
「こんなんじゃダメ」
「もっと頑張らなきゃ」
「あの人はできてるのに」
「なんで私はできないの?」
って言い続ける。
セッションで、そんな話を聞いた時に私はよく聞きます。
「それ、他人にも言える?」
って。
すると、ほとんどの人、いや全員が
「言えません」![]()
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って答えます。
そりゃそうですよね。
大切な友達が苦しんでいる時に、
「またできなかったの?」
「本当にダメだね」
「あの人はできてるのにね」
「もっと頑張ったら?」
なんて、普通は言わないでしょう?
なのに、自分には平気で言っている。
だったら、自分にも言わないであげようよ。
私はそう思うんです。
「頑張ってきたよね、私」が圧倒的に足りない
自分に厳しい人って、
「頑張ってきたよね、私」
という言葉が、圧倒的に少ないんです。
人には優しくできる。
困っている人がいたら助ける。
人のために動く。
人の気持ちを考える。
誰かが悲しんでいたら寄り添う。
ずっとそうやって、たくさんの人に愛を向けてきた。
なのに、自分にはものすごく厳しい。
だけど、内側では
「満たされない」
「認めてほしい」
「誰かに愛してほしい」
とは思っている。
でも、それは外側から与えてもらうものだけでは埋まらなくて、
最後は自分で自分を満たしていくしかないということも、もうどこかではわかっていらっしゃるんですよね。
そこまで人に愛を向けてこられた人なら、
愛し方は、もう知っているんです。
自分への愛の向け方がわからないんじゃない。
今まで他人にしてきたことを、自分にもしてあげればいい。
誰かが失敗した時に、
「大丈夫だよ」
と言ってきたなら、自分にも言ってあげる。
誰かが泣いていた時に、
「いっぱい泣いていいよ」
と思えたなら、自分にもそうしてあげる。
誰かが疲れていたら、
「今日は休んだら?」
と言えるなら、自分にも言ってあげる。
誰かが一生懸命頑張っていて、
「よく頑張ったね」
と言ってあげられるなら、
自分にも、
「よく頑張ったね」
と言ってあげる。
やり方は、もう知っているんです。
あとは、
それを自分にしてもいいと許可するだけ。
「私は逃げ癖があるから、厳しくしないとダメなんです」
中には、
「私は逃げ癖があるから、自分に厳しくしないとダメなんです」
と言う方もいます。
でも私は、そんな時に思うんです。
ここまで自分と向き合ってきた人が、本当に今も逃げ続けているのかな?って。
昔は逃げていたのかもしれません。
見たくないものから目をそらしていた時期もあったかもしれない。
でも、今これだけ自分を見て、内観して、苦しいところまで向き合っている。
それなら、もう十分向き合っているんじゃないでしょうか。
むしろ今度は、
自分に愛を向けるフェーズに入っている。
私は、そんな人がすごく多いように感じています。
内観は、自分を裁くためにするものじゃない
内観は、
自分の悪いところを見つけるためにするものではありません。
執着を見つけて、
「ほら、まだ執着してる」
と自分を責めるためでもない。
嫉妬を見つけて、
「こんな感情を持つ私はダメ」
と裁くためでもない。
泣きたい自分を見つけて、
「まだ弱い」
と評価するためでもない。
「私は、どうしてこう感じるんだろう?」
そこを知ってあげるためにするもの。
どんな自分が出てきても、まずは嫌わない。
執着する自分も。
嫉妬する自分も。
泣きたい自分も。
泣くなと言う自分も。
逃げたくなる自分も。
頑張りすぎる自分も。
全部、自分。
そして、どの自分にも、
そうならざるを得なかった理由がある。
そこまで見てあげることができた時、内観はもう一段深いところへ進んでいくんじゃないかなと思います。
もし今、
「内観はずっとしているのに、なかなか変わらない」
と感じている人がいたら。
もう一度だけ、自分への言葉を見てみてください。
内観の最後に、
自分へ厳しい判定を下していませんか?
「まだダメ」
「もっと頑張らなきゃ」
「こんな自分じゃダメ」
で終わっていませんか?
もしそうなら、
今度は少し違う言葉をかけてあげてほしいです。
「そっか。そんなに苦しかったんだね」
「そりゃ執着もするよね」
「ずっと我慢してたんだね」
「泣きたかったよね」
「頑張ってきたよね、私」
って。
あなたがこれまで誰かに向けてきた優しさを、今度は自分にも向けてあげてください。
そのやり方は、もうあなた自身が一番よく知っているはずだから。
内観することには、もう十分慣れてきた。
自分と向き合うことも、ちゃんとできるようになってきた。
だったら、これからはその内観の中に、
「自分を愛する」という視点を、もう一つ加えてみてください。
それだけで、今までなかなか動かなかったものが、びっくりするくらい動き始めると思います。
そして、そうやって自分の気持ちを一つひとつ大切にしていくことが、ちゃんと自分を愛することに繋がっていきます。











