こんにちは
今まで頑張ってきて
「あーもーむりー」
ってなってる人からすると
「頑張らない」
って魅力的だけど
そんなわけあるかと思う言葉。
「頭を使わない」もそう。
「もっと何かいい方法があるはずだ」とか
「このままではいけない!」
みたいなことを思うと
魅力的だけど
そんなわけあるかと思う言葉よね。
でね、
この言葉は言葉足らずだなと思ったのよ。
このフェーズを乗り越えて、
ようは立ち止まってから
また動き出した人は体感してると思うのだけど、
まだもがいてる人や
頑張ることとか
頭使うことが好きなひとからすれば、
当たり前のことであって
”んなこと言ってんのはダメ人間”
みたいな厳しいお声もかかると思う。
私はこれを自分自身に言ってたのだけど笑
「頑張らない」
というのは、
枯渇してるなら無理しないとか
パワープレイで押さない
ってことであって
枯渇してなくて満たされているのであれば
「頑張る」なんてこと楽勝にできるはず。
だから
”先に自分を満たしましょうね”って話でね。
「頭使わない」
というのも、
自分の感性を無視して
ねばベキ・他人の目や世間体で
考えるのは違うってことであって、
感情任せなわけではない。
自覚をしていて『感性』が
教えてくれるようなものがあるなら、
どう表現するのか?
どう創っていくのか?って
「頭を使う」ようになっていくはず。
自分の感覚がわからないままでは
「頑張らない」「頭使わない」は
できないんよ。
やっても間違う。
こうなりたいから頑張る
これを目指して頑張る
こうなるために頭使う
これを達成するために頭使う
土台の『これ』が間違ってたら
ただ疲れていくだけやし、
時間も労力も徒労に終わるけれど
『自分がいる』っていう自覚があるなら
「頑張らなくても頑張れる」し、
「頭使わなくてもひらめく」みたいなね。
仕組みというか、
流れを言うと
『自分の世界を創る』ために
一生懸命になるやん。
どう生きていきたいか?みたいな
在り方の話になるけど、
自分がどんな人生を歩むのか、
どんな人とどう過ごしていきたいのか。
このとき
心からの行動や表現をしないと
コントロールし続けることになるやんね。
これが自分と離れていく原因。
コントロールするのは、
自分が心からやれることのために
何をやっていくのかっていうこと。
心からズレた
ねばベキのコントロールで生きると
頭を使うのが限界になる。
頭を使うことが限界になると、
他人に正解を求め
AIに考えさせて
楽をしようとするが
自分の手応えはない。
自分をだまし
世界を適当に創っていては
そこに心からの幸せっていう体感はないよね。
納得もできないし、
方法論も思いつかない。
投げやりになっているわけでは
なかったとしても、
頑張る・頭を使う限界に達するよね。
人に頼ったり
AIを使うことが悪いことではない。
時間も労力も軽減されるけれど
自分に似た他のものであることと、
あくまでも”ヒントをもらうもの”くらいの
付き合いがいい塩梅なのでは?
と思う。
こういう話って
私の言葉で伝えないと、
体温が通らない。
『宿ってない』って感じね。
なんのこと?って思う人は
自分のことに対して雑なんじゃないかな。
ジャッジもしないし
どうでもいいけど、
AIに書かせてるって
綺麗すぎるからわかるんよね。
誰の言葉か
伝わる人には伝わるもんで、
実際
AIに書いてもらったやつ投稿してみたら
数字は伸びないどころか
「ゆきちゃんどうした?」って連絡きたよ笑
だから、
私は自分の温度で届けたい。
それに惹かれて共感共鳴したところで
また自分ではないものの力だから…
苦しくなっていくのは自分。
何をしたいかって明確じゃなければ、
ある程度自分でやらないと
世界なんて創っていけない。
体温のある
他人の力を借りることとはとても大事。
自分事にできて
世界の手入れを自分でできるならね。
他人任せで正解ほしさに
嘆くだけなら
他人の力もAIもいらんよ。
何が欲しくて
手を差し伸べてほしいのか。
はたまた
自覚したいから頼るのと、
ヒントが欲しくて頼るのは
とてもいい頼り方。
他人任せや丸投げを
頼るのというのは
意味が違うよ。
「私の場合はどうなんだろう?」
「どこから始めたらいいんだろう?」
そんなハテナが浮かんできたら、
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