こんにちは
よく、
「ノートを書くのは
いいことだと思うけど、
わざわざ書くことないんだよね」
って言われたりするんだけど、
そもそもノートに書くことって
いつも
“何かを見つけるため”
じゃなくていい。
答えを出そうとか、
結論にたどり着こうとかね。
そんなふうに『着地点』を
決めたくなるけれど、
毎回そんな
“テーマになりそうなこと”
ってあるもんでもないやん。
むしろ、
自分の感覚では特筆することのない
いつもの変わり映えしない日常に、
ぽろっと“気付き”が
あったりするもんでさ。
よくわからないままの自分とか
整理できない
思考の中にいることって、
とても自然なことで
もちろんそれらを
整理するために書き出すんだけども、
『解決解消するためにノート書く』
ではないんよね。
だから私はほぼ毎日書く。
自分の中身を
そのままノートに置いてく感じで。
今ここで書いてる“自分”の
支離滅裂観察記録。
「どうすればいいか」
「これからどうしたいか」
そこまでかけたら
言うことなしの最高なんやろけど、
ただ、
今のどう感じているかとか
どこが詰まっていて、
どこがゆるんでいるか。
思考が止まってるのか、
回っているのか。
言葉になるのか、
ならないのか。
何を見て
何に反応したのか。
そんな、
自分の【視点や現在地】を
知るようにして書く。
過去や未来をどんだけ書いたとて
“今の自分だから書けること”であり、
当時は言葉にならないことが
まとまってきたり、
ノーマークだった憧れが
ポンと出てきたりさ。
ノートって
正しさを記録するんじゃなくて、
“そのまま”を残しておく場所。
だから、
なにも見つからなくていいし、
なにも変わらなくていい。
見つけにいくんじゃなくて、
いまここにあることを認める時間。
ペンとノートが
【自分を目で見て受け入れる手段】
って感じ。
書く=可視化やから
とにかく整理される。
「今日は書けないな」と思ったら、
ただ『◎』だけ書いて、
パタンと閉じたっていい。
日にちが飛んでもいいし。
『向き合う』ってよく言うけど、
"今のわたし"を
知りにいく時間を作ってる感じ。
その中身が
『向き合う』ことになって
へー、
こんな人生送ってるんやねー
って感覚になってく。
客観視できるツール。
ってなったら
わざわざ書くことないんじゃなくて、
わざわざどうでもいいことを書く
って感じやね。
「おなかすいたー」とか
書いとらんと、
なんか食えよって感じやん笑
そんなことも、
“今の私”なのだよ。















