こんにちは
【止まったことで辛かったこと】
今日は止まったことで
気づいた、
辛かったことを。
まずは不安があってさ。
【動かないのに
止まることが怖くて仕方ない】
「このまま私、
どうなっちゃうのかな」
こんなのがどーんと。
厄介だったのが
「発信は続けていきたい」
「SNSビジネスはしたい」
こういったことはあるわけ。
『身体動かんのに?』
『スマホもパソコンも触らんくせに?』
そうなると、
当たり前に併せて出てくるのが
「収入ないやん」
「やらな忘れられる」
「長引くと再開できない」
これが私の焦りにもなって。
やらんならやらんなりに
ソワソワしてた。
自分を“満たす”とか
休むって“決める”のが
大事なのもわかってる。
ただね、
『休みたい』わけじゃないの。
『止まって』んの笑
とにかく、
不安や焦りがどっさりだった。
でもその時、
「止まりな」って
しつこく言ってくれる人がいて。
最初は
「いやいや、止まってる場合ちゃうし」
って思ってたけど、
“抗ってもどうにもならない”
ってことに
徐々に気づいていった。
だってほんま、
動かんもんは動かんのよ。
だからと言って
何かしたいわけじゃないから、
コーヒー片手にソファーに座って
テレビでアマプラ見たり。
掃除したり、
積読の本読んだり
ビーズでピアス作ったり
そんなことばかりしてた。
これがまた苦痛を生む。
頭が言うんよ、
「生産性ないやん」ってね。
掃除くらいしか
『目的意識がない』
んー、映画一本見るか…
まーこの本読むか…
なんか集中するのにちょうどええで
ビーズするか…
って感じで
なんかな、
やること全部が
【現実逃避】
に思えてくるん。
今までいかに
“大義名分という免罪符”を使って
自分を動かしてたかってことに
気付かされて。
ようは、
「やることやったから、
映画見て休憩するくらいいいやろ」
「インプットのために本読まな」
「こんだけやったんやで
ビーズで遊んでもええな」
〇〇したから
〇〇のために
といった『条件』をつけてた。
『これをやることは”正しい”こと』
って流れを作るとか、
『生産性なくても”許される”』
ってどうでもいいこと気にしたり。
してたが!
今回は当然、
大義名分などない。
〇〇したから
〇〇のために
なんてないんだもん、
やること全部が
「ええんかな…」でしかないんよ。
んでよく聞く
「そんな自分を許しましょう」
そうなんよ、
自分でも言ってきた。
でもさ〜
上っ面だったね。
でもって、
「許します」
とか自覚ある優しいもんとは違う。
「ええ加減あきらめぇ!」
「降参しとけ」
みたいな、
『まな板の鯉』状態。
ね、抵抗してもあかん。
何に?って
“自分の衝動”に。
目的なく出かけること、
好きなときに食べるとか、
眠たくないのに
お布団に入るとかとかとか…
“思うまま”動いてみた。
振り返ればくだらんし
ムダっぽくて
「これでええんかなぁ〜」
な日々やった。
贅沢だとは思えない
だけど、
垂れ流しとも思わない
『必要な気はしてるけど
頭ではあかんことと認識してて、
辛さを感じてる』
これが正直なところやった。
夫への後ろめたさもあるし、
のちに話すけど期間中、
夫ネタももちろんありまして。
正しくあることも
頑張ることも、
頭を使って
身体を動かすこともできず。
ってなると
私にあるのは感性だけ。
結局
止まって1番辛かったことは、
感性が鈍ってたことやった。
『辛い、あかん、苦痛』
はわかるのに、
『楽しい、幸せ、おもしろい』
こういう『♡』な感じが
感じられてなかったということ。
『♡』が感じられなくなるって、
正直こたえた。
ますます”満たす”ものが何か?
わからなくなってた。















