こんにちは

夕季(ゆき)です
 
 





私はかれこれ
7年ほどノートを書き続けてて、
それまでは日記を書いてたの。


ノートは出てきた言葉と
向き合うためのもの。
いわゆるジャーナリング。

日記は、日々の記録。

この、日記の進化が
私も進化するきっかけになった。



いろんな反応をみて
自分を整えてきたことで、
”受け入れる”が身についてきた。


「そっか」って承諾するって感じ。


といってもまだまだ
反射的に拒否してしまうこともあるし
キャパオーバーで
支離滅裂なこともある笑




それでも訓練の効果は体感があって
自分の価値観に気づくスピードは
格段に速くなり、

事実と感情の切り分けとか
評価や損得・ジャッジでは
受け取らないとか、

物事をフラットに見るという
簡単そうで難しいことの
手応えを得てる。

それは自分好みの世界を
創りつつあってね。






ノートに書き出すことで
可視化、言葉にすることができて
そのままを見るようになった。



ノートに書けるものって
自覚のあるものしか出てこない。


新しい価値観って意味では
他人の話を聞くのがいいものの、
疑うアンテナは立てられる。



誰だって当たり前に
持ってる価値観があって、
それはとてもとてもナチュラルなもの。


先日もサロンメンバーが
夫婦喧嘩をして
「同じ墓に入らへんから!」
と捨て台詞を吐いたと言っていたの。

言ってる意味もわかるし、
その人の中で最大級の「クソが!」
に変わる言葉なのも感じ取れた。


けども。


私にはそもそも同じ墓に入るという
概念がなくてっていうのも、
親の代で墓終いする計画も立ってるし
親がしないなら私らがするかなって。

ってなったら、
私にとってはその価値観も言葉も
出てこないものになるけど、
メンバーにとって「当たり前」


それらはいい悪いじゃなくて、
「そういう考え方や言葉もあるんだな」
が『受け入れる』




「同じ墓に入るって思い込んでるのが間違い」
「嫁ぎ先の墓に入るのって普通」
っていうのはジャッジ。



そのジャッジが
自分の感性にあった正解なら◎


向き合うきっかけにするなら、

「なんで入るって思い込んでるんやろ?」

「間違いってなんだ?」

「入らない選択肢もあるって知ったら、
普通って…何?」

といった感じで
自分の価値観や感情を書き出していく。


”同じ墓に入らない”という意見を
受け取った上で、
「私は入りたい」「私は嫌だ」が
意思であり自己理解。

そしたら自分の意思を
誰かに伝えることから始まったり、
じゃあどうする?っていう行動が始まる。
(お墓の話は重いとかっていうのも、なんで?よね)



受け入れることから始めないと、
いい悪い、損得っていう
ジャッジばかりでは

自分のことを許していくとか、
本当の意味で
自己受容や自己理解ができないまま。




なんていうかさ、
考えて楽しいことと嫌なことがあって
嫌なことはすぐ解決したいやん。




だけどそれらも本音本望があってこそ!
の解決になるわけで…

物事のそのままを受け入れずに
意味づけして、
あげくは自分迷子なのに
良さそうなことで表面上解決したって…


また同じこと起こるよね。





昔の私はなにやっても
受け取れなくて
イライラ不安な毎日だった。




自己否定の塊のわりに
去勢張ってさー拗れまくって
違う方に頑張ってたな。

実は私も結婚するまで、
”墓に入る”は当たり前って思ってたし笑

(結婚してすぐ流れで墓の話になり
夫のほうも実家のほうも終い話出てて、
「そんなもんかー」ってなった笑)


『受け入れる』を身につけることで
自分の進化や世界は変わっていくよ。



いらないものは置いていこ。





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