矛盾ゆえの矛盾 | FUxK IN LIFE

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やわらかく、美しく。



生きているということ、酸素を取り込むという行為は、



なんて難しいことなのだろうか。

吐き気がする程に、「自分のこと」を痛感している。


この恐怖は、何かをしていないと落ち着かないという気持ちは、全部、「人が嫌い」なのではない。

「人に嫌われる事が怖い」だけなのだと。


mixiを辞めてこのブログを始めたときに、いつの間にか自分の中で、勝手に無意識に(ある意味では意識的に)もう弱音は吐かないと、息巻いていたようだ。いたようだ、なんて、只の正当化だ。息巻いていた。ほざいていた。

自分はもう大丈夫だと、勝手に決めて勝手にルールを無視した。様々なルールを。馬鹿の頂点に立てるくらい、自分に呆れる。これが自分でなかったらいっそもう見捨てている。それくらいに。

だけどいつだって、私はどこかに居場所を求めなければ、立っていられないじゃないか。今までだって、これからだって。私の身体がどこに移動しようとも、ここにいようと別の所にいようと、精神的な居場所は、実際の意味でないのだから。だけど誰かに縋ることで、誰かを失ったりするのが何より怖い。だからこうして、間接的に気持ちを吐き出す場所を、精神の拠り所を常に持っておかなければ、自分が壊れてしまうことくらいわかっていた筈なのに。

何が大丈夫だ。何がもう弱音は吐きたくないだ。誰かに嫌われることが執拗に怖くて怖くて怖くてどうしようもないだけじゃないか。大言壮語もいいところだ。だから私はここに惜しみなく弱音を吐き出す。それだって今となってはとんでもなく怖いことだ。ただの小さくて度胸のドの字もないメンヘル女子の戯言だとしか思われないだろうことが。拒絶されることを極端に恐れて、本当は大好きな人達の中から少しずついなくなったほうがいい存在だと自分のことを心から評価している私なんかが、弱音なんかを吐いてしまうことが。

怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い恐い恐い恐い恐い恐いこわいこわいこわい


ひとはひとに忘れ去られたときに、初めて死ぬんだ。


私は、まだ生きていますか?

本当は連絡したかったあなたたちの中で、この奇妙なブログを読んでくれる会ったことのない人の中で、私はまだ、生きて、いますか?



改めて今の現状を把握して、それを分析した時に、その通りなのだと思った。

私は、こうなってしまう要素を、笑ってしまうほど持ち合わせていたのだと。


























矛盾ゆえの、矛盾。