どうか―なにも残りませぬよう | FUxK IN LIFE

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やわらかく、美しく。



生きているということ、酸素を取り込むという行為は、



なんて難しいことなのだろうか。

どうも曖昧だ。


最近の私は、異常な程に夢を見る。

長時間睡眠を摂っているわけでもなんでもないのに、一度の睡眠で、幾つもの夢を見る。それがどんな夢なのか、何を意味するのかと言う事は、別段問題ではなく、むしろ問題点として挙げるのならば、“夢なのか、実際に現実で起こったことなのか、判別が付かない”という事だ。

誰に解明して貰いたいわけでもあるまいが、しかしどうしてそんな現象に陥ってしまうのか、皆目見等が付かないことがこの場合の特質なのだろう。


飲酒しているとはいえ、毎日酒浸りになっているわけではない。精々、多くても2日に1度、500mlの缶ビール又は缶チューハイを1、2本嗜む程度に抑えているし、何か薬を飲んでいるかと言っても、そういうわけではない。どうしてもという時に、あくまでも合法でしかない薬を飲むことはあっても、そういう、そういうことではないのだ。

原因がまるでわからない。それこそが私の恐れていることであって―多少なりとも困っていることでもある。


いつかの日記にも記したのだが、この時期は過去の事象をフラッシュバックして心が波乱に満ちるということがよくある。2年前から見ると、確実にその回数は減っていると断言できることに間違いは無いのだが、そんな最近の―2年前のことだけではなく、言ってしまえば10年近く昔の事まで、鮮明に思い出して、心臓が軋む音が聞こえるような気にすらなるのだ。


ああ、自分はあの頃から、いや―物心付いた幼児の頃から、とても変わっていた。変わっていたという範疇よりも、生まれ付いての変り種だったのではないかとすら、心から思うのだ。

可笑しいだろうか?馬鹿馬鹿しいだろうか。自虐でもないが、そう思われることには慣れている筈なのに、私はとても弱く脆いくせに、気付けばいつだって、どんな時だって、虚勢を張って強い振りをして生きてきたような気がする。気がする以前の問題で―これはきっと事実なのだろう。過ぎ去ってしまった過去に、とやかく言っても何も始まらないことくらいは、どんなに馬鹿でも、承知千万。


何度も家庭のことをここに記したことがあったが、そんなこと自体は、私の感情の吐き出しという行為でしかない。何も解決するわけがないし、ただ自分のやり場の無い気持ちをぶつける場所が、今の私にはここであったということだから。


そういう家庭的な意味を含めた上で、それ以上に、私の今までの行動はとても変だった。

こういう言い方は、今の私を友達だと認識してくれる数少ない友人達とは無縁のもので、今、私と何の関わり合いも持たない人達こそが、私の心的外傷―すなわち、トラウマとなっていることに間違いはないだろう。

そう・・・そこに関して言えば、私はとてもとても、“変り種”と呼ぶ外ない程に滑稽な存在だった。


思えば私は、心の底から根拠もなく人を信用してしまうことで、自分のリスクを、領分を多大に侵していたのだと思うし、逆に今は、心の底から人を信用できないということで、自分にかけるセーブを最小限に留めているような気がするのだ。

それはとても、何も残らない行為だと気付いているのに。その場をやり過ごす事ができれば、自分自身に危機が及ばなければそれでいいと思っている。


恋愛に関しては、それ以上に極端であり、異常だと自分で思う。

昔は―少なくとも、2年前までは、誰かを、情熱的に慕い、尽くすとまではいかないまでも、献身的にひとを愛する事ができた。

けれどどうしてだろう、今となっては、まるで恋愛などまるで無機質な存在に感じてしまうのだ。誰かを愛するということに、決定的で致命的なことだと自分でも思う。己の我が身すら、もうどうでもいいと思えてしまうのは、やっぱり異常なことなのだろう。


とても、恐ろしい。

無干渉になってしまうということは、こんなにも恐ろしいことだったのか。




赤いキャンドルの炎を見つめながら、そんなことを思考する。