「よかった!気持ちの悪いのがいなくなって」
その場にいた数人の男の子達は、そう言ってケラケラと笑い声を上げたのでした。
それは、家族でキャンプに行った時のことでした。2歳年下の弟、新司と滑り台で遊んでいると、側にいた見知らぬ子供たちが、気持ちの悪いものを見るような目で弟をジロジロと見ているのです。
私は、そんな視線が痛いほど気になってしょうがありませんでした。しかし、「どうせ、いつものことだから。」そう自分に言い聞かせ、なるべく視線を気にしないように心がけていました。
それでも・・・弟に浴びせられた笑い声。
小学6年生の私の弟、新司は、知的障害児です。現在は某小学校のたけのこ養護学級に通っています。重い知的障害、自閉症を背負って、今も懸命に生きています。
「ビデオ、ビデオ」
自分が使える限られた言葉の中で、新司は必死に自分の意思を伝えようとします。ただ一つの単語だけで思いを伝えるのは難しいのです。それは、本人だけにしか分からない苦しみなのでは無いでしょうか。
思いがうまく伝わらない時、新司は自分の頭を強くドンドンと叩き、唇を噛み締め涙を流します。そんな時、新司の言葉を理解してあげられない自分の情けなさがつくづく嫌になります。新司の操れる言葉の数は、今でも増えません。
ある日、私は、母に向かって何気なくこう聞きました。
「新司の障害は、いつになったら治るの?」
母は少しの間の後、
「多分、もうずっと治らないかも知れないね。」静かにそう答える母の姿を見て、私はハッとしました。
本当は、誰よりも一番そのことで悩んでいた筈なのに、母は何事も無いかのように、さらりとそう言ったのです。
だから私はその後、母にも新司にも負担をかけないようにと、頑張り始めました。
積極的にあらゆる様々なことに取り組むようになった私は、いわゆる良い子として、人に嫌われないように、常に気を遣いながら、慎重に他人と付き合うようになっていきました。
自我を出さないように、本当の自分を隠しながら。
しかし、そんな生活には無理があったのだと思います。私はとうとう精神的に滅入り、一時期、学校にも行けない状態が続きました。
今まで私が気を張ってきたことで、新司に対する負担を何か一つでも減らすことが出来たのだろうか。
考えれば考えるほど、自分の中に虚しさが増えていくのが分かりました。
結局、私は、新司を守るどころか、自分のことすら守れなかったんだ。
そんな時でした。新司がモジモジしながら私の所に来て、困ったような表情で、私のことをジッと見つめていました。
「おねえちゃん、がんばれ。おねえちゃん、がんばれ。」
その目は言葉なんてなくても、私に確かなことを伝えていたのです。その瞬間、私は優しさの本当の意味を学んだような気がしました。
新司は、どんな時も相手に対して優しさを持って生きているのです。それは、私だけでなく、どんな人に対してもです。
たとえ、うまく計算が出来なくとも、言葉巧みに喋れなくても、人から馬鹿にされても、それでも、誰よりも人の哀しみを感じ取る、あたたかい力。
それが、人にとってどんなに大切なことか。私は、新司の優しさに救われました。
私は、今までも気付かぬうちに新司に支えられて来たのかもしれない。
だから私も誰かを支えたい。私の小さな力であっても、新司のような本当の優しさで。
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これは、私が中学2年生のときに、発表した論文・・・というか、弁論大会で放った言葉です。
中学2年という拙い文章で、限られた文字数ではありましたが、
このとき受け取った賞状とトロフィーは、私ではなく、新司が今まで生きてきてくれた勲章です。
僭越ながら私を抜擢してくれた恩師には、本当に心から感謝しています。
そして、実は、もし弁論大会に出場する際には、絶対にこのことを健常者、そしてその親たちに聞いて欲しかったのです。
私の弁論で涙を流してくれた人、養護学級設立のための陳情書に私のこの文章を使ってくれたことに、心から感謝します。
どんなに大人になっても、きっと差別や偏見の目は無くならないでしょう。
だけど私は、それでも訴え続けます。
ちっぽけな私の言葉が、誰かの心に届くことを信じて。
私は、家族に新司という存在が生まれてきてくれたことに、本当に心から感謝しています。