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つながるピスケ了承した方のみこの先をお読み下さいつながるうさぎ








スーパーによく売ってるお菓子のサブレ、シュガーグレーズがかかってるりんごのリングパン、ただ焼いただけの食パン。

これがなんでもなく食べられるようになったのって、実は旦那ちゃんと結婚してから。
目の前に出されれば食べられるんだけど「これ食べたい」って思う事は絶対に無かった。

何故なら、これらは私達(年子の兄と6歳年下の妹がいる)朝ご飯だったから。
特に食パンは喉を通らなくて。
当時は勿論一時期は焼けた匂いすらうんざりしてたなあ。


保育園の頃、私の朝ご飯は出てくるならばプラスチック製のピンクのセーラームーンのお皿に入ったコーンフレーク。
牛乳がダメな私は何もかけないでそのまま食べてた。

小学生の頃、私の朝ご飯は何もない。
食べたいなら自分で食パンを焼いて食べるか、たまにテーブルの上に出てたお菓子、もしくはりんごのリングパン。

父親は物心をついた頃から「パパ」って言う名前の夜たまーに遊びに来る面白いおじさんだと思ってた。
遊びに来てくれた日(帰宅)は美味しいものがたくさん並ぶ日だったし、母がよく笑ってたから楽しみだったんだよなあ。
あまりにも昔の記憶だから正確じゃないけど‥多分週に一度くらいだったかなあ。

母親は21時から2時や3時まで仕事をしてたから、まず朝は寝てる。
買い与えられた目覚ましで自分で起きなければ学校はほぼ遅刻間違いなし。何度か寝坊して怒鳴り散らされて泣きながら走って学校に行った。

妹が生まれたての頃、私が小学校1年生の時は母も産休育休があったおかげで、たまにピーターラビットのマグカップにあったかいココアを入れてくれた事もあったなあ。

お昼ご飯は食べる習慣が無かった。
たまーにスクランブルエッグが出たり、焼うどんや焼きそばが出たり。
それでも一時期、お茶漬け味のおにぎりがやたらと大量発生してた時があったなぁ。
今思えばあれは忙しかった母なりに努力してくれたんだろうな。


全部、あの頃の私には伝わってなかった。


朝起きて、冷たい床を静かに歩いて。
寝ている母を起こさないように着替えを出して。
おはスタ見ながらとりあえず兄の分の食パンを焼くけど。
匂いでやっぱり、もううんざりしてる。
牛乳が飲めないから、お茶を飲もうとするけど、喉を通らなくて。
こんがり焼けたトーストを、兄がプラスチックのお皿にカランと乗せた音がして。
兄が、当たり前に自分でマーガリンをガリガリ塗ってるその音が、サクッと口に入れた事がわかった後、その咀嚼音が、繰り返されるその音達が、聞こえる音がテレビの音とそれらだけなのが、何故だか嫌で嫌で嫌で嫌で。

朝からイライラしてたまらなかった。
静かなのに「その音うるさい!」って兄に何度怒った事か。
数えきれないほどあった。

夜ご飯は燃えるゴミの日の前が必ず白米味噌汁納豆焼き魚冷奴。そのほかの日はミートソースやカレー、素麺‥色んなものが出て来た。
母は料理が苦手だったけど、頑張ってくれてたんだろうと思う。
妹を産んだ後、たしか2年もしないうちに夜だけじゃなく昼間も働き始めてた。いつしか食卓は惣菜ばかりになってた。
食卓に並んだと思ったのもつかの間、21時前。
仕事に急ぐ母を見送って、白いお米を炊飯器に戻す。
なんとか詰め込むようにおかずとお味噌汁を飲み込んで「夜騒がないでね」と借りて来てくれてたアニメのビデオを兄と見出す。
眠くならなくて、気づけば時計が夜中の2時をさしてて。
慌てて電気を消して目を瞑るけど、この頃母はいわゆる朝帰りが多かった。
3時を過ぎても帰ってこない事なんてザラだった。

静かな部屋に兄と妹の寝息だけが聞こえて、居ても立っても居られなくて外に出てタバコに火をつけてみた9歳の冬。
案外むせないもんだなんて知った顔してふかしてた。父と母の吸ってたキャビンマイルドのその匂いで寂しさを紛らわしてた。

ある朝、確か11歳頃。
いつも通り目覚ましが鳴る。
いつも通りのルーティン。
いつも通り嫌気がさしかけた時、母が帰宅してないことに気づいた。
妹の保育園どうしよう、と思ってたら間も無くドタドタ大きな音がして母が帰宅して来た。
「7時‥ママが朝帰って来たことはパパには内緒ね」
幼心に呆れながらも大人の事情は分かってた。
その年にはもう「パパ」が自分の「父親」だって事もきちんと理解してたし、そのパパに浮気相手がいる事も知ってた。
パパは女性に対してだらしがないから、あっちこっちいって自宅に帰ってこないんだって事を。
ちゃんと知ってた。
だけど、それがどう悪くてどうおかしいのかが分からないほどに道徳が貧しいおかげで、父に対して腹が立たなかった。
同様、私の知ってる男と裸で幸せそうに笑い合う母親の携帯の待ち受けを見ても「あ、この人が彼氏なんだー」としか思わなかった。

「許せない」と思ったのはもっと後になってからだった。


思い返せばうちは随分とおかしかった。
昔昔、遥か昔‥まだ保育園に通う前だからおそらく3歳とかの頃。
私が住んでいたのは母の勤め先(スナック)が地下にある建物の一室で。
夜中に目が醒めるといつも兄と二人きりの家の中、時計の2時の形を覚えていた私はムクッと起き上がって玄関へ走り、鍵を開け、裸足のまま外に出て、母のいるお店の裏口へ続く急な階段を一歩ずつ一段ずつ降りていってた。
きっと母が負い目を感じていたからだろうけど、それが「いけないこと」や「あぶないこと」とは教えられなかったし、叱られた事も一度もなかった。


まだまだ細かい事を書こうとしたらきりがないけれど、この幼少期を思い出すたびに思う。

ネグレクトとは余りにも罪が重すぎる、と。

「おはよう」をいう対象がいなかった。
「いってきます」「ただいま」「ごちそうさま」を言う対象がいなかった。

私の周りにいたのは饒舌で面白いけれどみんな酒と香水とタバコの匂いがするおじさんおばさんばかりだった。
「宿題が分からない」と言えば「聞くな」「次の日学校で教えてもらいなさい」と言われるし「ピンクが好きだ」と言えば「それは似合わない」と言われる。

ただ一つ育児の一環として厳しかった「しつけ」の内容は【門限】と【礼儀作法】だった。
門限は帰宅時間に限らず、時間に対して全て。
朝寝坊、帰宅時間が遅れたら夜ご飯抜き。
礼儀作法は主に他人に対しての基本的なご挨拶や仏壇作法、食事作法。
おかげで今でも魚の食べ方は誰よりも綺麗な自信があります。

その時をリアルとして生きてきた私は、その時その瞬間、何かがおかしいなんて気付くわけもなく生きてた。
私にとって親が夜いないことは常識だった。
私にとってのご飯は夜だけだった。
私にとって家族っていうのは口うるさい同居人と同レベルなくらい薄っぺらく寂しい存在だった。


それでも、兄や妹にたまに感謝する。
喧嘩してくれてありがとう。
一緒にビデオ見てデジモンごっこしてくれてありがとう。
夜中ぷよぷよしたりどう森したり、ワンピースのグランドバトルしたり大乱したりマリカーしたりしたおかげで、寂しい夜は減りました。
タバコ吸ってたの黙っててくれてありがとう。
夜泣きしてくれた妹にも救われました。
一人じゃないと思えた事で安心できた。
寝かしつける時に胸を叩きながら「大丈夫だよ」って繰り返してたあの言葉はきっと、私自身が必要としてた言葉なのかもしれない。


もう一度言うけれど、ネグレクトは罪深いと思う。
勿論、度を越した体罰の果てにある暴力による虐待だって同じく罪深いんだけどそれはまた別の記事に起こすとして。


ネグレクト。
この【無関心】ともとれる行為。
どれだけその子の心を殺すか。
どれだけその子の【普通】を殺すか。

もし、せめて朝ごはんのトーストを母が焼いて出してくれたとしたなら「またトースト?」って文句を言えただろう。
朝からココナッツサブレをかじって、悲しみと同時に顎のあたりがキュッとする思いなんかしなくて済んだんだろう。
いってらっしゃいと言ってもらえたなら、いってきますが言えたなら、ただいまを言えない日があったってさして大きな問題ではなかったはずで。
ただいまが言えたなら、そのあと安心して外に遊びにも行けただろう。
お昼ご飯に何を食べるのが普通なのかを知ってたら友達に馬鹿にされて「私だってお昼ご飯たべるもん!お寿司かステーキかミートソース、どれか選べるんだから!」なんて馬鹿みたいな嘘つかなくて良かった。
身の回りの大人はみんなお金と色恋沙汰のくだらない話ばかりするし、そんな話に私を巻き込んで話すもんだから。担任の先生に「先生、借金ってどうやったらなくなるの?」なんて聞く始末。
私の身の回りに起きた事は全然当たり前なんかじゃなかったけど、それを「当たり前じゃないんだ」「おかしい事だ」と教えてくれる人がいなかった。
そのくせ罪作りすぎる、何のためにそう言ったのか今でもわからないような嘘をたくさんつくから、私は散々それに振り回された。
例えば、風呂も歯磨きも水道が止まっててできない日があったけど、それが「狭山の家はみんな止まってる」なんて嘘つかないでいてくれたらよかったのにと本気で思った。
習い事したいと言えば知り合いの柔道体験やダンスレッスンに連れて行ったり、夏季限定の集会所?でのよくわからないお勉強会に行けといい「こういうのが習い事だ」と言うからそれらを友達に言えば馬鹿にされた。
おそらく母の客であろう浅黒い色した顔のおじさんが旅行バッグくらいあるバッグに入れてた多分ライオンの赤ちゃんみたいなものを「内緒だよー」と見せてくれて、「可愛いから飼いたい」と言ったら「母がいいよ、うちはマンションだからおじいちゃんちで飼おう」とか言われて。
例の如く馬鹿だった私は鵜呑みにしたけれど当たり前に嘘だったせいで、嘘だと気づかなかったそれを学校で自慢して。私は嘘つきになって。
もう、桃色の片思い状態。
わかんない事がわかんなかった。
おかしい事が、わかんなかった。



続きます