柔道をしてなかったら今の自分はなかったと言っても過言ではない。
そんな自分の基礎となる経験ができたのも
その先生の教えが関わっていたのは確かです。
改めまして、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
そして
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
しかし、ホントに死は何よりも自分のあり方を確認できる瞬間だなぁと思います。
通夜の後、先輩達と先生のことや柔道のことを語り
その流れで、いろいろと話した中で
“寂しさは感じても悲しさはない”的な内容の話が出た。
それは自分も感じた。
他の方々も同じような気持ちだったそうな。
話の流れ上、身近な人の死にあった時の話を各々がしはじめた。
辛く受け止めきれない状態
寂しくとも受け止めれる状態
身近な人の死でも違いがあることに気付いた。
先輩たちの話をいろいろ聞いてる中で
自分はこの違いが気になった。
そして、ある先輩が二人目が死産だった話をきいた時に
ハッ!と思った。
辛い感情のある人は
故人に対してやり残したことがあるからで
それの多さがより悲しみを強くし
受け止めれる人は
故人に対して自分のできることをちゃんとしてきて
故人の死に対しても自分のできることを理解しているから
だからじゃないか?
自分の場合で言うならば
祖父母・恩師達には残されたという気持ちはなく
その存在と生き方を学ばせてもらい
自分の中にしっかり生きているが
友人達の死に関しては
もっと遊びたかった
もっと話したかった
もっと笑いたかった
と、今でも一緒に過ごしたかったという
やり残した思いがあるからだ。
故人に対して恨みなどある人や
関わりがほとんどなかった人には適応外だろうが
それ以外の“残された人”で辛さを持つ人ってのは
故人に対し
“やり残したことのある人”“できることをしてこなかった人”
そういった人達なのではないだろうか。
恵まれた平和な日本では
“今”があるのが当たり前。
“命”があるのが当たり前。
しかし
友達でも
親でも
子どもでも
今そこにいるのが当たり前ではなく
次の日にはいないかもしれない。
そういうことを含め自分たち大人は自分の生き方を
次の世代に見せていかなくてはいけないのではないだろうか。
そう思う今日この頃でした。
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