私の愛する次男ちゃん
塁くんを
お空へ帰して
 
 
 
もぉすぐ一年が経とうとしてます。
 
 
 
色んな事があった一年。
 
 
 
一年経ち
今は臨月の私。
 
 
 
たくさんの人に支えられ
ここまで
来れました。
 
 
 
塁を
“ 死産 ”
した時に
担当の助産師さんに
塁の着る肌着を作らないかと言われ
 
産後直ぐ~徹夜で
塁の肌着を縫いました。
 
 
ひと針ひと針
色んな事を考え、感じ、想いました。
 
 
あの時間があったお陰で
肌着が完成した頃には
母として
子を失った、一人の母として
 
塁の死と、短いながらも
お腹の中で生きた意味を
私なりに
受け止める事ができました。
 
 
死産後
しばらくして
 
 
あの時
私を支えてくれた
医師、助産師、看護師、病院に
何かの形で恩返しがしたい
 
同じ様な境遇のママ達に
今の私だからできる事がしたい
 
 
そう思う様になりました。
 
 
 
それから
自分なりに考え
 
 
私の様に死産されたママ達に
私の様に
大切な我が子との最期が
少しでも
穏やかなものになれたら良いと
 
 
赤ちゃんの
肌着の型紙と
手作りの肌着を寄付する事にしました。
 
 
 
何の自慢にもなりませんが
私は
お裁縫が全くと言っていい程
出来ません…
 
 
 
塁の肌着を作るのも
多分
お裁縫が出来る人の10倍…
いや
20倍位の時間がかかったと思います。
 
 
そして
完成した肌着は
左右対称では無く
袖の長さもバラバラ
所々、糸のほつれもありました。
 
 
そんな私が
型紙や可愛らしい肌着を
作れるハズも無く…
 
 
 
結局
再びたくさんの方のチカラを借り
型紙や肌着を用意できました。
 
 
 
先週の妊婦健診の後
それらを持ち
病棟を訪れました。
 
 
塁の担当の助産師さんに
無事に引き渡しが出来ました。
 
 
 
塁を産んだ病院では
私の死産後
死産されたママさん達への
ケア(グリーフケア)が
助産師、看護師内で話し合われ
亡くなった赤ちゃんへの
洋服作りのチームが
 
私の担当の助産師さんを
リーダーにして
発足されたそうです。
 
 
塁のお陰で
たくさんの素敵なご縁に恵まれました。
 
 
 
生きていたら
本当に色んな事がありますよね。
 
 
 
辛い事
悲しい事
時には
命を投げ出してしまいたい位
苦しい事も。
 
 
 
でも
 
そんな時でも、
そんな自分だから
そんな自分にしか出来ない事が
 
必ずあると思います。
 
 
 
その時でなければ見えない物は必ずあるから。
 
 
 
それを大切に
逃げずにいたら
必ず
その先に
得る物があると思います。
 
 
 
 
今、臨月の私ですが
再び
塁を産んだ病院で
素敵な助産師さん看護師さん
医師達の元で
出産出来る事を
本当に嬉しく思います。