うわさや風評で、人を非難しない

やがて幕府を倒す龍馬が、幕府の高官・勝海舟の弟子になってしまった



ある日、龍馬は、世話になっている友人から、

「勝海舟を斬ろう」

と、誘われた。

龍馬は、千葉道場で北辰一刀流を学び、相当な腕前になっていたが、気が進まない。暗殺の理由は何か。

「開国を主張し、外国人とつきあえと言っている。許せない。攘夷(じょうい)の手始めに、まず勝を倒す!」

日本は、二百年以上も鎖国を続け、世界の潮流に乗り遅れてきた。

この泰平のまどろみが、黒船の来港で破られてしまったのだ。

大砲を向けて開国を迫る米国のペリーに、幕府は弱腰だった。

これに激怒し、

「日本は神の国だ。外国人が踏み入ると神州が穢(けが)れる。追い払え!」

と叫ぶ風潮が一気に高まった。これが「攘夷論(じょういろん)」である。

龍馬も攘夷(じょうい)主義者ではあったが、「神州」という点が理解できない。


妙な学問をしていないだけに、ものを平明にみることができた。

(なぜ神州かい。神というのは、日本では上古の未開人のことじゃ。未開にもどれ、ちゅうのは、世の流れに反することじゃ。ああいう神がかった馬鹿者(べこのかあ)どもの理屈には、おれはなっとくできんぞ)

だが、もし龍馬が、攘夷(じょうい)を公然と否定したら、周囲から殺されていただろう。そんな時代なのである。

確かに、勝海舟の悪い風評はどんどん耳に入ってくる。だが、うのみにしていいのか。龍馬は、勝の顔さえ知らないのである。

龍馬は言った。


「待伏せなどはせず、真昼間、堂々と勝の屋敷に案内を乞い、勝に会い、それでけしからんのなら、その場で一刀両断しよう。男というのはそうあるべきものだ」


友人にも異論はない。意気込んで出掛けたが、意外にも勝は、少しも警戒せずに二人を屋敷へ入れてくれた。しかも、

「おれを斬りに来たんだろう。おまえさんらの顔に書いてあるよ」

と笑う余裕さえあった。

勝は、咸臨丸(かんりんまる)の艦長としてアメリカへ渡り、外国の実力を、その目で見てきた人物だ。二人の剣客に、地球儀を指さして、今、日本が、どういう危険な位置にあるかを、明確に教えたのである。

欧米列強は、軍事力を背景に、アジアへ進出しようとしている。

巨大な清国でさえ、アヘン戦争でイギリスに敗れ、香港を奪われ、上海など五港を開港させられた。次に狙われるのは日本だ。北からも、しきりとロシアの軍艦が出没している。勝は言う。

「おまえさんらのように、攘夷攘夷(じょういじょうい)と言って刀を振り回しているだけでは、日本は外国の連中の好きなようにされてしまうよ」


龍馬は、計り知れない衝撃を受けた。動かし難い事実なのだ。

次に勝は、精巧な日本地図を広げ、幕府へ提出した国土防衛策を、龍馬に語り始めた。日本列島を六つの海区に分け、総計二百七十隻の蒸気軍艦を配置するという壮大な計画だ。

しかし幕府は、金がないと言って却下した。

金がないのは分かっている。だから勝は、まず開国し、貿易を盛んに行って海軍建設の資金を作ろうと主張しているのだ。

だが、すでに屋台骨にひびの入っている徳川幕府には、実行する力はなかったのである。

「やらねば日本は滅びる」

幕府高官である勝は、やるせない気持ちで、つぶやくしかなかった。

聞き惚れていた龍馬の頭には、全く別な考えが浮かんでいた。


(それならば、それを実行できぬ幕府をぶっ倒して、京都を中心とする政府をつくり、それで日本を統一し、人材があればたれでも大老、老中にさせるような国家をつくればよいではないか)

こいつはおもしろい、と龍馬はうきうきしてきた。

まったく平明すぎるほどの実利的倒幕論というべきもので、こんな発想をもった倒幕主義者は、ついに幕末、龍馬以外には、まず出現しなかったであろう。


この日、龍馬は、勝の弟子になった。

世間じゅうが何を言おうと、勝に会い、直接話を聞いて、優れた見識の持ち主であることを知るや、即、行動している。二十八歳のことであった。

故郷の姉へ送った手紙の中には、

「日本第一の人物・勝先生の弟子になり、日々、目的に向かって精一杯やっております。国のため、天下のために、力を尽くしております」

と、あふれる喜びが記されている。

勝との出会いが、龍馬を大きく成長させていく。

やがて、日本史に名を残す男になるとは、この時、まだ誰も想像していなかった。

心から、尊敬できる師に巡り会えた人は、幸せである。



・引用書

 まっすぐな生き方 木村耕一著 1万年堂出版



追伸

②もさっそく更新ですw

引き続き明日以降、③、④を更新していきますw