毎年、このタイトルで書きつづってきた拙文ももう19年になる。

当時の事を記録したホームページ、HTMLのタグをテキストエディタで打ち込みながら作ったHP(http://www.asahi-net.or.jp/~hk2a-ikr/)はまだ置いているけどなぜかしら文字化けしていて読めない。
(ソース表示なら見えるんだけど)

大学・大学院時代の6年間、六甲で過ごした自分にとってはあの震災はまさに自分の故郷を壊されたような激しい憤りを感じた災害だった。

震災直後から学生時代自分の住んでいたアパート近くにあった小学校の避難所に毎週通い詰め、家具配送に使っていたトラックにのって倒壊家屋から家具や家財の引出、仮設住宅への移動をしていた。

あの時に学んだこと。

何気ない日常が何よりも幸せであるという事。

夜になり、眠りに落ちて、次の日の朝に当たり前のように目を覚ましまた次の一日を迎えられるという事が実はとんでもなく幸せであるということ。

それを当時の私たちは学んだはずだった。

しかしながら、もちろんギャップもあった。

空爆を受けたかのような神戸の町並みから大阪に帰ってくればパチンコ屋のネオンサインは煌々と輝き、人々は普通の生活を送っている。

「自分ごとと他人ごと」の差は何によって生まれるのかという事について考えさせられた事を思い出す。

人の痛みが分かる人間になろう。

明日を迎えられることに感謝しよう。

何気ない日常に感謝しよう。

毎日が辛く忙しいと言っても

生きている限り僕たちは無限の可能性を持っている。

1995年1月17日 阪神淡路大震災において失われた多くの人々の御霊に合掌。