こんばんは。
今日はしとしと雨が降りましたね
この時期の雨は
一雨ごとに寒くなっていきますね。
さてさて
今日もいっちゃいます!
『僕たちは世界をかえることはできない』
今日は
向井 理さんふんする
甲太くんたちが
カンボジアへ行ったときのお話。
飛行機の中から
カンボジアの風景が見えたとき
何だか
ワクワクしました。
そして
空港に着き
空港の外に出たときの風景も
わお!シェムリアップじゃん!
って感じでした。
プノンペンじゃないんだ
なんて思ってました。
そして
甲太くんたちが
ガイドさんを探している風景も
そうそう、こんな感じ!!
まんまじゃないかぁ~
なんて、一人で
エキサイトしてました。(←ばか。)
で、
病院へ行った。
そこで
エイズ患者さんが沢山いた
カンボジアでは昨今
エイズが蔓延していて
大変なことになっている
アジア1エイズ患者が多い国だ
そして
そこで、ある一人の
エイズ患者の女性に出会った。
その女性は
旦那さんにエイズをうつされ
その旦那さんは彼女から逃げた
そして
女性は一人ぼっちになった。
それ以来
彼女は笑っていなかった
と・・・
彼女は
甲太くん達と
沢山おしゃべりをして
笑顔になった。
「笑ったのは、本当に久しぶりだ」
と言っていた。
そんななか
冗談で
「こいつ、日本で歌手やってます!」
って言っちゃったもんだから
甲太くんのお友達は
頑張って
「青空」
を歌うことになったが
やっぱり、歌えなかった。
帰り際
この彼女が
「久しぶりに若い男性とお話した、楽しかった。ありがとう。」
と・・・
甲太くんのお友達
この彼女の前で
歌えなかったことが悔やまれてならないようで
帰国してから
一人カラオケボックスに向かい
練習していた。
そして
歌えるようになっていた。
やはり、
一人ぼっちになっても
頑張って生きている姿に
何か
感じるものがあったのだと思う。
ここにも
ドラマはあった。
そして
博物館へ行った
その博物館は
ポル・ポトが虐殺を行った
惨い出来事を赤裸々に
展示し伝えている。
私はここには言ったことはない
でも、
カンボジアのことを調べたので
少しは理解している
ポル・ポト
本名:サロト・サル
1975年にこの人の支配下に置かれていた
「都会に住んでいる人は堕落している、農村で働く者こそ本当の人間だ」
と考え
都会に住んでいるというだけで
年寄りだろうが
病人だろうが
全員、無理やり農村へ追いやり農業をさせた。
そして
「子供達は国のもの」
と言い
親から引き離して
兵隊やスパイにしてしまい
「知識は敵なり」
と言い
学校の先生
学者などの知識人
そして
自分のやり方に反対する者を皆殺しにした。
何も考えず黙々と言われたとおりに農村で働く人ばかりにしようとし
この結果
当時の国民の15%にあたる100万人以上の国民が殺されたり
身体を酷使し過ぎて死亡したといわれているが
数があまりにも多すぎて本当の所は定かではない
虐待と同時にしていた事
既存の社会を完全に破壊してしまうことで
カンボジアを再建しようとし
学校、教会、仏教寺院などを
ありとあらゆる組織や制度を打ち壊した
そして
財産の私有は禁じられ貨幣さえ廃止されていたため
物々交換で物のやり取りをしていた。
1970年以来
20年にわたって大量の地雷が埋設された
その数400~600万個といわれており
1980年代
ポル・ポト派ら反越三派は
カンボジア、タイ国境地帯に無秩序に埋設し
一方の人民改革党政権も
海岸地帯からタイ国境沿いにラオス国境付近まで
大規模な防衛線
すなわち「地雷ベルト」を築き上げた
これまでに除去された地雷を十数万個にすぎない。
この地雷により被災した人は4万人に及ぶといわれている
カンボジアの人を苦しめている
地雷
これは、命を落とさせるための兵器ではない
人を傷つけるための兵器だと言われている。
恐ろしい。
でも
今もこんなに恐ろしい兵器を
造り続けている国が
今もある。。。
と・・・
まじめな文面を綴ってしまいましたが
簡単に言うとこんな感じです。
本当はもっと、もっと恐ろしいことがあったのです。。。
甲太クンたちは
博物館で昔の出来事を知り
かなりなショックだったと思います。
だって・・・
1975年って私が生まれる少し前ではないか・・・
自分にたとえると
両親が虐殺にあっていて
私は孤児になっていたかもしれない
そう考えると
もっと怖い。。。
私と同じ世代のカンボジア人は
これを乗り越えて
今、頑張って生きているんだと思うと・・・・
言葉もでない。。。
子供たちだって
知識人は殺され
学校は破壊されてなくなって
勉強なんてできるわけがない
地雷があります!の看板も
字が読めないがために
そこに足を踏み入れてしまい、爆破する。
大怪我をおってしまう。。。
悪循環だ。
そして
甲太くんたちは
ガイドのブティーさんに
ご両親のお話を聞いた。
ご両親は別々の場所で奴隷のように農業をさせられていた
そして、身体を酷使していたお父さん、身体を壊してしまった
それを知ったお母さんは危険なのを知っていながら
お父さんに体力をつけてあげるためにゆで卵を持っていきました
でも、お父さんは口まで持っていってもそれを食べられずに亡くなってしまったようです。
その話をしてくれたブティーさん
泣き崩れてしまいました
それを、甲太くんが抱きしめた
この場面
相当泣けた。
ブティーさんは
ご飯を頂くとき、お父さんのにこのご飯を食べさせてあげたい
って毎回思うようです。
豊かな日本
私はご飯の不自由なんて感じたこともなかった
当たり前のようにご飯を食べている
感謝せねば。。。
で・・・
ガイドのブティーさん
演技ではないと思うんだよね
あのこみ上げる感情といい
あの涙といい
ガイドをされている風景といい
かなりリアルでした。
だから伝わったんだろうね。
やはり
あのシーンは考えさせられることが多い
と
今日は歴史もいり交えてしまい
長すぎてしまいました。
ごめんなさい。
でも、
でもね
皆さんに知って頂きたい
ただ
それだけ。
そして
何かを感じてもらえれば・・・
夏目佳枝