45年前にお見合いした時に

夫から言われた言葉


「僕は(人生は自分の能力の7割)で

生きたいと思っています。」


7割?と思ったけど

それ以上は問わなかった私


自分の能力の7割って

余裕を持って、ゆとりを持って

無理せず、自分のペースで人生を生きたいと

いうことだろうと解釈した。


自分の能力の100%を

普通に頑張るのを110%だとしたら

一生懸命頑張るのは120%で

それ以上は頑張りたくない私は


人生100%で生きて

節目節目で頑張らないといけない時だけ

120%で頑張ればいいと思ってたから


夫の言葉を聞いて

世の中にこんな人がいるんだと

びっくりした。


更に夫はこうも言った。

「人生は苦労しない方が幸せだ。」と


「若い頃の苦労は買ってでもした方がいい」と

ほとんどの人が思っていたであろう時代に

「苦労しない方が幸せだ」とは


「人間は幸せに生きるために

生まれてきたんだ」とも言った夫


お見合いした時に

サラリーマンで「課長代理」だった夫は

「僕に課長になって欲しいと

思いますか?」と私に尋ねた。


私は

「どっちでもいいです」と答えた。


課長代理であろうが、課長であろうが

その会社で働くのは夫で、私ではないので

私にはどっちでも良かったのだ。

出世のために夫婦で無理はしたくなかった。


私からは

「転勤があったら嫌です。

私には社宅生活も無理です」とだけ 

正直に答えた。


「それは大丈夫です。転勤はありません。

会社は大阪と神戸だけで

家から通えますから」と夫は言った。


もしもあの時

私が

「課長になって欲しいです」と言っていたら


もしもあの時

夫が

「僕の会社は転勤があります」と言っていたら


私達二人は結婚しなかっただろう。


プロポーズ?の言葉は

「僕と結婚してください」ではなくて


「僕と一緒に目をつぶって手を取り合って

崖を飛び降りて下さい」だった。


二人で手を取って目をつぶらなければ

思い切って崖を飛び降りることは

できなかったであろう

それからの結婚生活を

予想出来ない結婚生活を


夫は90%の力で、時々100%の力で

私は110%の力で、時々120%の力で

二人で頑張って生きて来た。


その後 夫は

「阪神淡路大震災」で神戸の会社が

甚大な被害を受けて

150%の仕事をしなくてはならなくなり

数年続けた挙句

「命の方が大事」と定年60歳の時に

52歳で早期退職した。


それ以降

働いていない夫は

「人生7割で生きたい」と

言っていた言葉通りの毎日を

送っている。


私は能力の何割?で

生きているんだろう?


夫と同じ7割になっているかも

しれないなあ。


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