あの日

12月31日

紅白歌合戦が終わる頃 電話が鳴った
病院からの電話で
夫の祖母の死を知らされた

祖母と言っても戸籍上の祖母で
実際は伯母である

すぐに夫と二人
身支度して病院へ向かった
普段は自転車で行ける距離の病院だけど
この時はタクシーで行った

お正月休みのシンとしている病室で
おばあちゃんと対面した後
しばらくして先生の説明を受ける
その後 湯灌が終わり
霊安室に呼ばれた夫と私

いつもなら
すぐに連れて帰るんだけど
病院の好意で一旦 家に帰り
改めて元旦の午前中に夫と二人で迎えに行った

病院指定の車に乗り
行き先を告げて走り出すと
車を運転していた若い男性が
途中から喋り出した
こういう時は普通は喋らないのに
?と思いながら話し出すと
何と
我が家の近くに住んでいる男性だった
こんな偶然があるんだと思うと
亡くなった人と帰る独特の車の中の
緊張が少し和らいだ

お正月なので 日を選び 
一日にお通夜をして
二日に身内だけでお葬式をして
三日に葬儀社への支払いを終え
お正月三が日は事務局が開いてないという事で
病院へは四日に手続きと支払いに行った

覚悟していたとは言え
80歳を過ぎていたとは言え
祖母の死は、
残された人にいろんな思いを残した

祖母が亡くなって
17日後に阪神淡路大震災が起きた

大阪に住んでいた私達には大した被害は
起きなかったけど
それでも近くの身内の家は
家が傾いてガスが止まった
前の道路も液状化現象が起きた
それから数日してガスは復旧したけど
家の修理はしばらくかかった。

大した被害ではなかったけど
あの地震の揺れはすごかったから
軽い痴呆症のおばあちゃんが
病院で怖い思いをしなくて良かった
震災前に亡くなって良かったと
身内全員で話した

その頃 神戸の会社に勤めていた夫に
被災地の様子を聞くにつれ
この地震の凄まじさを思い知った。
一ヶ月して現地に行き
改めて惨状を目の当たりにすると
言葉もなく、夫と二人で神戸の街を歩いた
ただただ  変わり果てた街を歩いた

あれからもう24年経った

残された人達は
前に進めているだろうか
少しでも進めているだろうか

消えた命と残された命に
祈りを捧げる



今日は
6434人の尊い命が奪われた
阪神淡路大震災が起きた日



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