9月3日の朝日新聞 声欄、65歳男性
永さんの「遺言」カット NHK
マスメディアの存在意義は権力の監視にある。
ところが、服飾評論家のピーコさんにインタビューした記事を読み信じられない気持ちになった。
永六輔さんの追悼番組に出た時、ピーコさんは
「永さんは戦争が嫌だと思っている。戦争はしちゃあいけないと。世の中がそっちの方に向かっているのでそれを言いたかったんでしょうね。」と言ったらそこがバッサリ抜かれてた。」と。
事実ならNHKは公共放送の看板を下ろすべきだ。
誰にどんな権限があって永さんの遺言のような言葉を切断する権利があるのか。
真実を知りたいと放送を信頼している視聴者を何だと思っているのか。
メディアへの権力の圧力が強まっているのだろう。今春には安倍政権に批判的な局報道番組のキャスターらが降板した。
しかし、視聴者は真実の報道に飢えている。
安心できる人生を送るために。
NHKとそこで働く方達はそれに応える義務がある。猛省を促したい。
と切実な声があった。
安倍政権の圧力がどんどん強まっていると
重苦しく感じている今
今日の朝日新聞にさらに重苦しい記事が載ってた。
【戦争や政治 語れぬ焦燥】
94歳、元兵士の体験談中止に。
元海軍兵士の94歳男性が大阪市の小中高などで戦争体験を語る活動を続けてきたのに、
この夏、講演を依頼されたのに一方的に取り消されたとか。
平和への思いを「政治」と結びつける風潮に懸念を募らせる。
中学校から講演依頼があって担当教諭は家に来て男性の戦争への思いを熱心に聞いていたのに、
その後、校長から講演を断ってきたとか。
戦争体験と平和の大切さを語ることがなぜ「政治」批判なのか?
校長は説明しなかった。
講演ではいつも「政治家や軍の上層部は絶対に最前線に行かない。」「国を守るためと言った言葉のウソを見抜く力をつけて」と語りかけるがこれが引っかかったのか?
それとも、安保法をめぐり国論が二分された空気を忖度し、校長の保身から自粛したのか
‥‥‥‥
「このままでは反戦平和の行動を取り締まる法律も出来るでしょうな。そうなっては困るから語り部をしているのですが。」と男性は言う。
10年前から100回以上講演してきた元兵士は
体験をありのまま語り継ぐ事が出来なくなった今を憂う。
将来を憂う。
安保法をはじめ憲法や政治のあり方を考える市民の活動に、自治体などが「政治性」を理由に会場使用や助成を抑制、制限しようとする例も相次いでいる。
脱原発や反戦などを訴える市民団体を運営する地方公務員の男性は、申請していた市民活動助成金について、団体の担当者から
「不特定多数を対象にしたデモ、署名活動は政治活動にあたり、来年からは助成出来ない。」と通告された。
今までは助成を受けられたのに。
「政権に批判的な市民活動は支援できない」という事だ。
姫路市では昨年、6月
労働団体が駅前広場で開いていた「駅前文化祭」が広場を管理する市によって中断に追い込まれた。
参加した市民が立憲主義の尊重や安保法反対を訴え、歌や寸劇などを披露したところ、「安倍政治を許さない」と配したビラや政権に批判的な参加者の発言を市が問題視したのが理由だった。
市は9月になって
集会や表現の自由を保障する憲法21条に反する対応だったと謝罪。
集会は改めて12月に同じ場所で開催された。
「憲法を守れという主張が政治的だという批判が、憲法を遵守する義務がある行政の側からくるとは。」と労働団体事務局長はこういう風潮に危機感を募らせる。
「集会などの一部分を捉えて、一かゼロかと二分したり、異論を押しつぶしたりするやり方はおかしい。」
安保法成立から一年
確実に世の中は後戻りしている。
後戻りさせられている。
じわじわと。
周到に。
確実に急速に戦前に戻りつつある今を憂う。
将来を憂う。
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