おばあちゃん。
今は亡きおばあちゃん。
痴呆の始まりはゆっくりと始まり、
だんだん言動がおかしくなり、
徘徊するようになったおばあちゃん。
私はおばあちゃんの服に、白い布を縫い付けた。
胸に、「名前と 住所、電話番号」をマジックで大きく書いた布を。
背中側には「痴呆老人。連絡お願いします。」と書いて縫い付けた。
服を新しくするたびに毎回縫い付けた。
おばあちゃんはその布を嫌がって、朝はあった布が夕方には無くなっていた。
自分で取ってしまうので、工夫して取れないようにした私。
おばあちゃんはよく駅に行った。
何かのすきに改札を抜けたら大変な事になるので、私は時間の許す限り、おばあちゃんの後をつけて行った。
ある日、
若いお母さんが、「あの布なぁに?」と言う子供の問いかけに小さい声で「‥‥‥‥」と答えていた。
直接白い布を指差して、ヒソヒソ言う女性達もいた。
私は気にしなかった。
他人の言葉など構う事はない。
問題はおばあちゃんが、痴呆老人が、
何か事を起こす方が大変なのだ。
事が起きてからでは遅い。
事前に防げる事は何でもした。
そのうちに徘徊をやめたおばあちゃんは
今度は一日中、家にいるようになった。
家の中は、二階のおばあちゃんの和室は
私達の部屋の前に作って
夜中いつでも夫と私のどちらかが行けるようにした。
おトイレもおばあちゃんの部屋の前に作った。
寝タバコがやめられないおばあちゃんのために
部屋に火災報知器も取り付けた。
おばあちゃんの部屋は退屈しないように
窓から外が見えるように道路側に取り付けた。
あらゆる事を想定して、新しい家を、おばあちゃんの部屋を設計した私。
家を新築する時から、時々おばあちゃんを連れて
「今度の新しい家は、おばあちゃんの部屋は
二階のあそこの部屋やからね。」と教えた。
でも、いざ家が完成して
おばあちゃんの新しい生活が始まると
おばあちゃんはゆるやかに痴呆になっていった。
無理もない。
今まであった古い家がなくなり
新しい家になり、自分の部屋がなくなったと
感じたのだろう。
おばあちゃんの痴呆が進まないように、
いろいろやったけどどれも効果なかった。
おばあちゃんの興味のある事を
させようとしたけど、何もしたがらなかった。
一日中、窓辺の椅子に座って外を見るようになったおばあちゃん。
そのうちに、それも飽きたおばあちゃんは
今度は家族の迷惑になる事を家の中で
し始めた。
その度に夫と私はおばあちゃんの後始末を
して回った。
でも、何をしても無駄だった。
痴呆と正常の間で揺れるおばあちゃんには
手こずった。
とうとう、あの温厚な夫が余裕がなくなって、
言うことを聞かないおばあちゃんの頭を
平手打ちした。
たった一度だけだったけど、小さい時から
自分を世話してくれてたおばあちゃんの頭を叩いた この出来事は、ずっと夫を苦しめた。
一日中、おばあちゃんの世話をしてた私への気兼ねもあったのだろう。
日に日に、痴呆が進むおばあちゃんへ対する悲しみもあったのだろう。
「〇〇に帰りたい。」と自分の生まれた場所を
よく言っていたおばあちゃん。
痴呆になるまでは〇〇の事は一度も言わなかったのに。
おばあちゃんは昔の自分に、生まれた思い出の場所へ帰りたかったのだろう。
夫はその度に、おばあちゃんをタクシーに
乗せて〇〇に連れて行った。
夫なりにできる事はしてたけど、
痴呆は なる本人も、周りの家族も苦しめる。
完全に痴呆になるのなら、手も打てるけど
時々、正常に戻る痴呆老人は悲しい。
おばあちゃんも夫も可哀想だった。
痴呆は本人も家族も悲しい。
人格が変わった痴呆者と暮らす事は
本人も家族も悲しい。