文系・理系はもう古い? | 「使える英語」推進者☆BANG-CHANG☆

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神奈川県の高校・家庭教師・学習塾で教鞭を執ってきた個人ブログです。

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高校生になると文系?それとも理系?
とよく聞かれたり、聞いたりしますよね。自分もいまだにそんなことを言ってしまってるところがあります。

タイプ的にはそのような分け方はあるものかもしれませんが、あえて分けることではないですよね。

本人がこれから将来何をしたいかが大切ですから、なりたいものに不得意な科目・分野があったらダメというより、なりたいためにはそんなことを言ってる場合ではないですからね。特に英語は文系・理系の区別をする教科・科目ではないですね。


それに関する記事がありましたので、
貼っておきます。


理系でも文系でもない「超域」が組織には必要?


 アベノミクスやら東京五輪やらで浮足立つニッポン。とんでもない。今は少子高齢化や人口減の衰退期なのだ。お家芸の日本経済は一体どうした。時代の閉塞感を打ち破る経営、人材とは何者、いや何系なのか。日本マイクロソフト社長の樋口泰行 さん(57)はこう話す。


* * *
──理系出身者は経営が苦手だと聞いたことがあります。


樋口:基本的に理系の人間、ある領域に特化し、深く追究します。人間の能力とか帯域幅が一定ならば、専門分野に多くの帯域幅を使うと、横の方向、つまりほかのことにガッと広げるエネルギーが残らない。会計士など専門性が高い分野は、いずれもそうだと思います。


 一方で経営では、物事を決断したり推進したりするのに、数字だけではなく、例えばAさんとBさんを組み合わせればできるかなとか、人も動かさないといけない。


 EQ(心の知能指数)も能力も異なる人間がいて、どういう対応、対話をすればいいのか、成功や失敗で得た経験則から「こういう法則性があるのだな」とアナログ的な情報を自分の頭の中に蓄積するんです。理系的なアプローチにも似ていますが、私の持論では、経営は「アート」のようなもの、なんです。
──日本的な「文系」「理系」の区分けをどう考えますか。


 米国のビジネススクールに留学し、外資系企業に勤めた後は大きな違和感を抱いています。英語で理系と文系をどう訳すのかも分かりません。技術立国という背景から、作る理系、売る文系という役割分担の中でできた枠組みではないでしょうか。


 高度成長期に最適化された仕組みや組織、考え方は、それぞれの分野をまたぐ「超域」で考えないといけない。


──なぜ、「超域」が必要なのでしょうか?


 今のように世の中が大きく変化している時は、まず多様な文化、いろんな人がいろんなことをオープンに言える環境をつくり出さないと、大変厳しい状況になる。同質化された「文化」の中だと、修正もききません。


 経営者も、不得手の分野を他人任せにしていては厳しい。新事業の判断も最終的には社長がするものです。経営者は、事業全体についての素地を持つべきではないでしょうか。「アート」は1人の人間から生まれなければいけません。
(AERAより)
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